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足下のスピリチュアリティ

明日は、美杉の仲山神社の奇祭の取材。 あさってからは2泊で、那智勝浦の色川地区。
両方、とっても楽しみな取材で、ウキウキしてます。
・・・
私たちは、美しい島国に住んでいますが、 そのことについて学ぶ機会は、あまりありません。

ところで今日たまたま、とあるサイトを見ました。
「地域プロデュース」を手がける、ある株式会社の事業を紹介するもの。
「かけがえのない地域づくり」と称して、関西のとある過疎地に、「乳牛の牧場」を建設する事業でした。
同区画に建設したバイオガス発電施設は評価できるのですが(風力発電に関しては再考の余地アリかも)、牧場はどうかしら?…と、個人的には思ってしまいます。
しかも「かけがえのない地域づくり」と銘打っておきながら、その会社は、関東地方の別な過疎地にも、ほぼ同様の事業を展開しています。
手描きのレイアウトマップは、癒し系っぽい、ほんわかテイスト。
企画者は、山奥には何もないと思っているようですね。山の神などの祠(山の神は、祠がないところが多いですが)は移動させてしまうのでしょうか。どうやら、また別な過疎地にも同じ事業を展開していく予定のようです。

私は、こういう話を耳にしても、まったくワクワクしないんですよ。
ダメなんです、ごめんなさい。雑誌などでは話題になるんでしょうが、取材する気にはなれません。
以前、訪れた沖縄の久高島でも、貴重な原生林が切り開かれて、牧場が建設中でした。カミンチュたちが、とんでもなく怒っておりました。 「神々が怒っている。久高のエネルギーが乱れていく」と。 上記サイトを見て、、いろいろ思い出してしまいました。

日本では、牛と言えば、「田畑の働き者」でした。
赤子からお年寄りまで、牛の乳を飲む習慣は、ほとんどありませんでした。
東山中(大和高原)の、60歳代後半以上の人達にとっても、そう。
多くの農家で、牛が大切に育てられていました。
「平坦(奈良盆地)との間で、牛の貸し借りをしていた時代が懐かしい」と、よく耳にします。
ちなみに柳生木炭組合の若手、Hさん(50歳代)は、小学生の頃まで、家業が博労でした。(博労とは、牛や馬の売買や手配に従事する人)
当時、子どものホセキ(おやつ)は、すべて芋や栗、柿、すり焼き(しきしき、しりしり:小麦粉を焼いたもの。小麦も油も自給)など、自給自足でまかなえるものでしたが、唯一、自給していないものは「ソラマメ」でした。 昔の東山中は冷え込みが厳しく、ソラマメが育たなかったのです。

なのに何故、ソラマメを食べることができたのか。
それは、平坦での田植えが終わって、牛が東山中に帰ってくるとき、牛の背に、ソラマメがどっさり、くくりつけられていたからなのです。 平坦の農家の方々の、心遣いですね。
ソラマメを背にのせ、ちょっぴり痩せて帰ってくる牛。
出迎えた家族一同、さぞかし、いたわってあげたことでしょう。
麦をどっさり炊いて、ねぎらってあげたことでしょうね。

・・・
ネイティヴなスピリットが残っているエリアに足を運び入れるときには、どこまでも、どこまでも謙虚になって、徹底して耳を傾け、大地にひれ伏してでも、「体験」の海の中へ飛び込む許可を得ていきたいと思います。
一見、残っていないように見えて、奥底から伝わる息づかいに、思わず振り返ってみたくなるような土地も少なくありません。
 何百年、何千年にもわたって築きあげた、人と自然の真摯な関係。
 そのスピリットを感じるには、どうすればいいのでしょう。

私達は、とまどうばかりに美しく、奥深い島に住んでいるのです。

ところで那智勝浦に、「色川百姓養成塾」を運営している友人がいます。
私は、彼女の志に深く共鳴しておりまして、心底、尊敬しています。
http://blog.goo.ne.jp/irogawa100sho
彼女のベタなところも大好きなんですよね!!

彼女が企画した事業に、「むらの教科書づくり」があります。
http://internevent.blog70.fc2.com/blog-entry-24.html
この参加者募集の告知文、本当に素晴らしいです(以下、引用)。

  水、食べ物、日用品にエネルギー・・・
  日々のくらしに必要なもの、何から何までお金で買わねば、
  1日たりとも生きられないのが、現代日本人の「あたりまえ」。

  けれど、つい数十年前まで日本中の田舎で
  自分達のくらしは自分達の手でつくりあげるのが
  「あたりまえ」だったはず。

  輸入に頼らなくても、お金に頼らなくても、
  そのときそこらへんにある資源で生きていける、
  百の仕事をこなす知恵と技術と根性を持った人々。
  敬意をこめて「お百姓さん」と呼びたいと思います。

  時代の流れのなかで、その価値は見失われて
  「お百姓さん」は今や絶滅寸前、
  そのくらしの舞台である「むら」も「限界集落」などと呼ばれ、
  全国で消えゆこうとしています。

  それでも、今なら、まだ間に合う。
  「お百姓さん」と呼べるお年寄りが元気なうちに、
  その生の声をきき、彼らがくらし守り続けてきた「むら」の
  記録をまとめ、この国の大切な財産を受け継いでゆく
  プロジェクトを計画しています。 (引用終わり)

そう、今なら、まだ間に合うんです。

  今しかないんです。

「身土不二の食」の必要性が叫ばれる一方で、「身土不二の生活文化」や、「身土不二のスピリチュアリティ」からの声は、あまりにも、あまりにも…。
遥か遠い国からやってきたスピリチュアリティに対しては、いろんなカリキュラムが組まれ、お金を払いさえすれば、誰もが触れることができる今の日本。

 この島で継承されてきた智慧は、お金で買えるものではない。

赤子から古老まで、一人一人がかけがえのない神役を果たしていた時代。
家々の台所や厠、イロリや縁側、軒下やニワが、祭祀場だった時代。
戦の最中にも種を蒔き続けた人々、流浪の踊りをやめなかった人々、
そんな底知れぬエネルギーに満ちあふれた島だからこそ、美しかった。

 そこにあるのは、ただ生活。
 アートとスピリット、笑いと涙と汗、喧噪と静けさ、混乱と調和に満ちた、 美しい生活。

1年チョットぶりの色川~。黒潮の恵みを受けた山里にて、老若男女、志をシェアできる仲間たちと、語り明かしてきたいです!
by rupa-ajia | 2009-02-10 23:46 | ライターの仕事
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