4月14・15日「柳生さくら祭」にご参加くださいました皆様、心を寄せてくださいました皆様、
本当にありがとうございました。 心より、御礼申し上げます。 今回、あまりにも多くのことが起こり、あまりにも多くの気づきがあり、あまりにも多くの喜びがありました。 一言で表現するなら、、「幸せ」」。自然と伝統を愛し、外からの多様な人々を歓迎する。このような人々が守ってきた里に住まわせていただいて、本当に幸せだと実感します。祭が終わって、より一層、感じます。 この心が、大いなる私へと広がりますように。 この心が、大いなる和へとつながりますように。 美しき哉、自然 美しき哉、人の心 そを結い紡ぐは 大いなる喜び 棒鉾で大地を打ちならし、目を覚ませ 今こそ 岩戸の扉、開かん 祭のポスターには、「大物スター・俳優」という言葉は、一切なかった。肩書きはただ「現世の柳生十兵衛」。 「故郷に帰ってきました」。柳生を語るときの、千葉真一さんの潤んだ目。大河ドラマ撮影の合間をぬって、手弁当で駆けつけてくださった。つなぎ役は、小説家の多田さん。運転手担当の柳生二蓋笠会の池之側さんによると、あまりにも十兵衛に入れ込んだ千葉さんは、隻眼と言われた十兵衛が乗り移ったためか、もうすでに右目の視力がほとんどないという。「十兵衛は、勧善懲悪という理性的な気持ちで人を切ったのではない。絶対に切りたくない、でも切らざるを得ない。最後まで戦いを避けて、最後に泣きながら、深い苦しみを背負いながら切った」と、十兵衛の苦悩の心境を代弁する。 切られた人の側に立つ。その人の苦しみを背負う。心やさしい柳生の当主であったという。 江戸を離れ、遠く離れた柳生に馳せ参じた、時空を超えた十兵衛たち。 400年後も、桜は変わらず咲いている。 2日目も、大賑わい。昨日からずっとドタバタと走り回って2日目の午後、ようやくステージ見学。とあるステージを見ていたとき、私の中で、私が消えたような感覚になった。 右手にプリミティヴな舞台、正面には本部、実行委員のみなさん、左手には年齢層の高い一般観衆のみなさん。 みんな、仲間だ。 みんな、ひとつだ。 表情には出ていないけれど、顕在意識には昇ってこないかもしれないけれど、大勢の人々の魂の奥底の喜びが、直に伝わってきた。 遙か古代、みんなで踊ったね。楽しかったね。 人は、本来、みんな単純でいいんだ。 それは本当に「素」晴らしい。 始まりの島からのやってきたエネルギーに、東から大地のエネルギーが出迎えて、ここ柳生で邂逅。鶴と亀がすべって大地が揺れる。 岩戸開き。 その後のステージは、何だかよくわからない。 「ののさま」の唄を聞きながら、ただただ自然からの祝福を感じ、すべての存在に感謝していた。 同じステージでレイさんが自然への感謝と喜びを体中で表現して踊っている。 感謝の心、そして自然と人を讃える唄が、魂をふるわす。 桜の花びらが舞う空を見上げ、辺りの緑を眺めながら、その唄を聴いていると、涙が止まらなくなってしまった。 私はちっぽけで無力な存在だけれど、 でも、なんと大いなる存在とつながっていることだろう。 走馬燈のように、祭までのことが思い出される。 マリシテン様の乗る車輪が回り、前進し始める…。 「あんたは、こんな人まで呼んでくれたんやなあ♪」と言うI先生の指さす方を見れば…、陣屋跡の入口に、チョンマゲ姿の武士! 先月3月21日は柳生十兵三厳の命日。正木坂道場からの戻り、柳生の夕陽観音さまにご挨拶に行こうとしたら、武士姿の人が369号線を歩いている。観音さまに挨拶してから、その武士姿の人に声をかけた。 「時代劇の撮影で、切られ役をしてるんです。太秦で。普段は文房具屋ですけどね。3/21に柳生で何かがあると聞いて来たんです」とのこと。 切られないようにする術は数あれど、切られ役の参考になるような兵法は少なくて困ったものだ、という。ちょうど、二蓋笠会の皆様が奉納演武をされていたので、正木坂道場までご案内。道中、柳生さくら祭の宣伝をしたり、いろいろと四方山話。息子が走り始めたので、二蓋笠の先生にご紹介してから道場を後にした。 そのFさんが、カツラまでかぶった凛々しい武士姿で立っている! 「来てくださってありがとうございます!どうぞ、会場に入って、舞台を楽しんでください」と声をかけたのだけれど、 「いや、今日の私の仕事は、記念写真のサービスのため、陣屋の入り口に立つことなんです」と言って、中に入ろうとしない。 かなり暑い日だった。刀と脇差しをさした重厚な姿のままで立ちつくすのは、どんなに大変なことだろう。 通りがかりに出会っただけの縁。誰が頼んだわけでもなし、もちろんノーギャラ。でも、陣屋の入口に、武士が立っているだけで、どんなに柳生らしい雰囲気になってくれたことだろう! 家族連れやカップルや、、いろんな人達との写真撮影に快く応える武士。 切られる人の心を想った十兵衛が、切られ役を生き返らせたのか。 池之側さんから「茶室で出会うは順縁、兵法で出会うは逆縁」という話を聞いたことがある。太刀を合わせることになってしまう者同志というのは、元来、とても深い縁がある。究極の一期一会を成就するために、まっすぐに柳生に向かった魂たち。 一点の曇りもない心 素に晴れわたった心 その心を信じる心 その心が、日のまわりに虹の輪をかけた。 神は人の内にいる。 私は、この祭で、神を見た。 内なる神仏に恥じない私になろう 素のままに、神仏を顕現していこう 開いた扉の奥から、無垢なる光がさす 「アンタの働きは、よう見せてもらったで」と、満面の笑みを浮かべて「大和高原文化の会」のNさん70歳代が木陰から登場(注:私はほとんど何もしていないようなもんなんですが)。祭りに来ていたS県議会議員と私を引き合わせ、「こんな頑張っている子もおるんや、知っといたってや」と言う。笑顔の議員に、「それぞれの地、埋もれつつある特有の文化と歴史を新しく甦らせたいんです」と言う私。「どんな田舎にも素晴らしい文化はある。でも、それをどう活かし活用していくかが大切やな。その表現方法に違いがあるのが、またおもしろいんやなあ」。文化の会の方の言葉に、また涙。 ファイナルステージ。出演者一同が舞台上に勢揃い。 私も一旦はステージに上がったが、息子が客席に向かったので、一緒に客席に座った。 でも、客席と舞台の境界は消えていた。 境界をなくした人々が「故郷」を唄う。 舞台の中央に、草笛のNさんが手を広げて唄っている。 柳生中学生が、各方面からの飛び入りゲストが、唄っている。 山仕事の達人たちが、客席最前列で甲高い声で唄っている。 着物姿・ハッピ姿もあれば、野良着姿もある。会場のあちらこちら、三々五々に立つおっちゃん・おばちゃんが、唄っている。 老若男女が、笑って唄っている 柳生を愛し、大和を愛し、地球を愛し、宇宙を愛する人が、唄っている 天国は、今、ここに 私たちは家族 同じ故郷からやってきた ひとつの家族 ★今後の予定★ 5月3日 吉本由里コンサート&大和高原ツアー@Rupa 5月20日 風人の祭@高島市
by rupa-ajia
| 2007-04-19 13:54
| ◆柳生さくら祭
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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