ただ今、広島の山奥に滞在。
到着したのは、父が田植えした後。「田押し車」を押す作業にチャレンジ。 田植え後、除草剤を数個投げるだけで、どんな都会でも、どんな秘境でも、いわゆる美しい田園風景が保障されるようです。 ところが、昔の田園風景は、汗と涙と、五感に訴える多様な生命活動の賜物だったのでした。 柳生を出発して、高知の山間部をぬけ、愛媛の今治の「つむぎの村の祭り」に参加し、昨夜(すでに一昨日の夜)、ようやくたどり着いた、本籍地、広島の田舎。 この間、あらゆる意味で、感じること、再発見したことが多かったのですが…、どれかひとつだけを書くと、それだけの印象になってしまうし、すべてを書くと長大になってしまうし…。 せっかく通常のネット環境(しかも子守相手が普段の倍)にあるというのに、困ったものです。 柳生では旧式ダイヤルアップ、月10時間契約(夏にはケーブルの予定だけど♪)。 でも何かを選ばなくてはいけませんね。 すべて公開情報というものは、そういうもんです。 ただひとつの印象やイメージだけで、残りのすべてが削除され、全体像が形成されてしまう。。。 だから、私は「直感」という言葉が好きなのです。 削除されてしまった残像を、嗅ぎ取る本能。 話が逸れてしまいました。 「つむぎの村の祭り」は、一般参加者が少なく、関係者のみが集まったという感の強い空間になっていました。そのお陰で、密度の濃い再会や新たな出会いがあり、それを列挙するには到底、紙面が足りません(笑)。 このようなことは、多くのみなさんが経験されていることでしょうから、、思い切って省略! 祭りでは、かの有名なドキュメンタリー映画『六ヶ所ラプソディー』が、初日に2回、上映されていました。 もう、あちらこちらで、上映されまくっている映画です。関係者の間を縫うようにして上映されてきました。ところが、田舎に住んでいるのにいつもドタバタしている私は、長い間、見そびれていました。 そこで、今度こそは見逃すまい!ということで、内心、張り切っていました。 一回目は、時間を勘違いしてしまい、失敗。…上映テントでは、2人だけが見ていました。 二回目は、息子の後を追っているうちに、冒頭、少しだけ見逃したものの、なんとかテントに入り込み、最前列で鑑賞。今回も、中はガラガラ、3人ほどの観客。 映画がすべて終了した段階で、後ろを振り向いたら、そこには誰もいませんでした。 これは、当然といえば当然の話。 この祭りに参加している人たちのほとんどが、もうすでにこの映画を何度も見ている人たちだったのです。 映画は何一つ誇張することのない淡々としたドキュメンタリー、でも充分に衝撃的な内容です。 今は、あらゆる情報が操作されているようですので、「多角的」であるだけで、もう前衛的なのです。 プルトニウムというものは、角砂糖にして5個分の容量で、日本人ほぼ全員を死なせてしまう。 何百万年もの間、その毒性は続く。 プルトニウムは確実に漏れる。(全国各地の原発から陸路で運送中にも) 漏れない技術、処理する技術を、今の人類は持っていない。 結論として、プルトニウムは作ってはいけない。 そのためには、日常生活のなかでエネルギーを使わないようにするしかない。 上記の「科学的」事実をめぐる社会的矛盾を、日常生活のなかで捉えた映画でした。 とにかく、何が何でも、日本中の人が日常生活を変えるしかないのです。 一人一人が関係しているのです。 祭りでは、映画の話題はほとんど浮上しませんでした。私が映画の感想を言おうとしたら、次のような意見が返ってきました。 「この祭りでは、そういう感じのことは前面には出さない。自分達の生き様を見てもらうだけだ」。 その意見にも、共感を覚える私もいるのですが…。 反対運動というノリに昔から馴染めない性格だったこと、楽しいナチュラルな生活というのは身上でもあること。。 でも残念ながら、今回のような一般の方々の参加がほとんどない状態の祭りでは、「自分達の生き様」を見てもらうことはできないのです。 祭り会場は、市民公園の一角で、会場のすぐ隣の芝生スペースには大勢の一般の家族連れが集い、スポーツや行楽に興じる人々でいっぱいでした。 でも、誰も、敢えて会場の中に入っていこうとする人はいませんでした。 映画のテントは、会場内と外との「境界」上、芝生スペースに面してたてられていました。 ある女性のセリフが思い浮かびます。 「再処理工場に関しては、賛成か、反対か、しかない。事実として、それほど危険なもの。中立は、賛成じゃないから良心の呵責がないかもしれないけれど、それは賛成と同じこと。多くの『中立』意見によって、六ヶ所村に再処理工場が完成してしまった」。 祭りの2日目、その映画テントのそばで、関西地方のとある地方公務員の方が立っていました。 「もう地方行政の矛盾に堪忍袋の尾が切れそう。市議会議員は自分達の給料を上げていく一方。夕張なみの財政破綻状態なのに、粉飾決済で市民は誰も知らない。3代前の市長が、自分になびく人間達にお金をバラまき、維持費に年間、数千万円かかるハコモノをいっぱいつくってしまった。お金がかかるから、壊すに壊せない。選挙だって、実は選挙前から数々のオフレコ作戦が実施されている。要介護のお年寄りとか、……とか使って、(略)『みんな』知らないだけだ。知らないからこんな社会に満足しているんだ」。 まじめそうな彼は、怒りに燃えているものの…、公務員をなかなか辞められないようでした。 なんだか、気の毒でした。 ところで、彼の言う「みんな」とは、映画のセリフでいう「中立」に近いのではないでしょうか。 短く約せば、「みんな=中立」。 この事実が、この国の方向性を短絡的なものにしているように思えてなりません。 地球が育ててくれた生命と自然(人間を含めて)、祖先が築き上げた自然とかかわる文化を、一気に忘却の彼方に押しやろうとする行為。 「みんな=中立」というのは、本来「自由=平等」とおなじぐらい、並存が難しい状態です。 感覚が麻痺しない限りは。 そのように幻想的な状態になってしまうと、「特別」になった途端、少数派となり、「みんな」から弾き飛ばされてしまうのです。これは、おそらく数の問題ではないと思います。 「特別」だというレッテルを張られた途端、潜在的にどんなに圧倒的多数であっても、表面上は少数派に分類されてしまうのですね。 ところで、 随分以前から気になっていたのですが、最近では特に…、「境界」、「あこうくろう(沖縄の方言)」、「道祖神」が気になっている私です。 道祖神…、関西では、サイノカミ、サエノカミでしょうか。とにかく、道祖神は村の境界におかtれた石像というスタイルがもっとも一般的です。仲睦まじき夫婦の姿。 この「境界」に対する関心は、かねてからの数々の必然によって湧き起ったものなのですが、書くと長くなるので、また割愛。一部を6月1日発行の『naranto』連載コラムにも書いているので、ご笑覧ください。それもまさに紙面が足らず、何度も修正して、短く省略しました(編集の方、ゴメンナサイ)。 えっと、要するに、村の防御壁、つまり境界を確立するためにおかれたという道祖神ですが、、本来は内外和合の役割があったのではないかというのが、以前からの私の夢想です。 (詳細は「naranto」で) 人が呼吸するように、ある観念も、長期的に見れば呼吸しているのではないかというイメージがあります。つまり、ある時期に達すると、「吸う」から、「吐く」に切り替わる、反転するということです。 とすれば、道祖神も、ある時点になれば、いきなり内外和合の役割に反転することだってあり得るんじゃないでしょうか。 境界というものは、それほどのパワーを秘めているということです。 で、急に話がもとに戻りますが、今回、祭り会場と外との間、境界に設けられた映画テントは、まだ反転できていない、ほとんど既存の道祖神の役割になってしまったという感が残ったわけです。 平和運動が、特別な運動である限り、特別なものとして防御壁を建てられてしまうという、ある種、古典物理学的な現象。 結果として、いつも通りの選挙結果になってしまう。 この境界を、いかに内外和合、つまり陰陽和合の聖域とするか。 反転。 柳生に暮らす者としては……、 またしても、力を抜いた古武術的発想か、はたまた…。。。 今年の夏、大きな選挙がありますね。 大多数の「中立」だと自認する方へ、提案があります。 ・今という時代そのものが、境界、大きな分岐点にあることを感じる。 ・境界のただ「中に立」つ。 (投票所というのは、ある種、境界線です) お金で買ってきた、つじつま合わせの田園風景ですら、見れなくなる前に。 まだ本物の田園風景に戻れる、今という境界のときに。 鍵は、その「中」にあるのかもしれません。
by rupa-ajia
| 2007-05-15 01:03
| 旅
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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