今日は、柳生公民館主催の講座「刀工の伝統技術に触れる」に参加。
以前から、「柳生に刀鍛冶の人がいる」と噂で聞いていたが、どこでどうされているのか、地元の方々も詳細は知らないようで、長らく保留事項となっていた。 柳生の西の外れ、阪原に向かう坂道に建つ「有俊日本刀鍛錬道場」。 85年からここに工房を構え、奈良市内から通っておられるという刀匠、江住有俊氏によるお話。 今回、初めて鍛錬道場にお邪魔させて頂いたが、なんと、砂鉄から製鉄する「たたら製鉄」もされているという。 谷川健一先生のファンで、中国地方山間部が本籍地の人間にとっては、まさに「灯台下暗し」な気分。 木製ふいごから漏れる風音、鋼を叩く甲高い音。 なんと不思議な、 錬金術的光景。 鎌倉時代の製法による刀鍛冶の現場を拝見させていただくと、やはり日本人にとって刀は特別な存在であることが、ひしひしと感じられる。 何よりも「心を正すことの大切さ」を伝えてくれる、霊的な媒体でもあるということ。 日本刀の素材は、木炭を使ったタタラ製鉄によって生み出される和鋼。 接着剤炉の中に入れ叩くと、接着剤なしで鋼同士がくっつき、そのために鋼以外の不純物が自ずと外に排出されていくという、自然の摂理。 和鋼ならではの特徴をそのまま活用した、この鍛錬の手法を見出した先人の知恵。 「現代の刀工が束になってかかっても、鎌倉時代の名刀に及ぶ作品は作れないんです」 江住氏が小学校4年生のときに学校で使われていた教科書。そこに掲載されていたという文章を、以下に引用する。 ・・・ 日本刀は、よく切れて折れ曲がりもしない上に、美しいということが、その特色をなしている。(略)しっとりとなめらかで底光りのする鉄の色、直刃、乱刃の刃文の美しさ、おかすことのできない気品に至っては、とてもことばではいいあらわせないところである。 刀工が刀をきたえる時には、仕事場を清浄にし、しめなわを張り、神をまつり、精進潔斎して、一つち一つち魂を打ち込むのである。もし、このさい少しでも心にくもりがあれば、できた刀は、そんなによく切れても、名刀にはかぞえられない。 平和を愛し、美を喜ぶわが国民の優美な性情と、善にくみし、邪をにくむ道義心とは、実によく日本刀に具現されているのである。 ・・・ この文章を読む限り、軍国主義の人間には日本刀を持つ資格はないようだ。古武術研究家の甲野善紀先生の抜刀術を拝見した折も、刀を持つに値する人間というのは、限られていることを痛感した。 古の刀工たち、その思いは如何に。 戦時中、特攻隊が飛び立つ飛行場で整備士を勤めていたという江住氏。「日本刀をもって、空へ飛び立った特攻隊員たちが少なくなかった」という氏の言葉から、私たちは何を想像することができるだろう。 死を前にした、一人の人間。 私たちには、彼の心境を想像することは、本当は不可能だと思う。 善悪、主義主張、美化、憐憫…、それらすべてが属するこの世界から、境界を越えて、向こうの世界へと旅立たざるを得ない極限状況。 一本の刀は、せめてもの、 せめてもの、救いになったのだろうか。 不条理な現世に輝く、灯火になり得たのだろうか。 究極の刹那に、かけらでもいい、人間としての精神性を思い出させてくれる橋となったのだろうか。 真剣。 「三種の神器」に剣が含まれていることの意味。 はりつめた弓の ふるえる弦よ 月の光にざわめく おまえの心 砥ぎすまされた 刃の美しい その切っ先によく似た そなたの横顔 悲しみと怒りにひそむ 誠の心を知るは
by rupa-ajia
| 2007-10-25 20:49
| 大和高原(地元ネタ)
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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