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透明な感覚

祭までに仕上げるべき原稿が、やっと終了しました。

ああ、もう同時進行でいろいろ整理整頓しながら進めなくてもいいと思うと、嬉しくて力が抜けていきます。
複数の連絡事項が頭の中でこんがらがって、もつれそうな日々を過ごしていましたが、今は、とてもクリアになってきています。

昨年の祭も、こんな感じでした。
祭が近づくにつれて、いろんな用事が複雑化してきて、手配のややこしさに負けてしまいそうになってきます(こんな性格ですから)。問い合わせを受ける内容、問い合わせすべき内容、コーディネイトしたい内容も、どんどん詳細になってきて、パンク寸前。

でも、祭の直前になって、急に視界が広がり、心のなかのもやもやが消えていく、そんなタイミングが訪れるのです。

 そこまで来たら、もうすべてを信じ、すべてを喜び、すべてを受け入れるがいい。

ちっぽけな私には、何もわかりません。
でもいくつかの確信があります。

それは、今、このような心境になっている存在が他にもいて、その思いが時空を超えてつながり合っている。だから、こんなに喜びを感じることができるんだという確信。

今日(もう昨日ですが)の午前中は、陣屋跡でステージとテントの設営。
私一人だけが軟弱者の女子で、たいした仕事はできません。
でも、テントの紐を何本か結び、皆さんと足を組み立てただけで、ただそれだけで、とっても嬉しいのです。どんなにちっぽけなことでもいい、すべての作業が、本当に嬉しいのです。
他の方々も、本当にくったくなく、上機嫌で嬉しそうに動いておられました。
地元の方々が放散する幸せな思いは、大地にダイレクトに響くようです。


ただ、ひとつ心残りなこと。お世話になったある方の体調の様子。
祭の一番の貢献者であったその方も、きっと祭のことを想っておられることでしょう。

どうしたらいいのだろう。私にできることは何だろう。
そんな思いが、祭を前にして少し、わずかなりとも透明になってきたのでしょうか。


できる・できないを超えた
あるべき私としての存在へ 


ある、一つのイメージ

目的からも解放されたとき

何らかの必然


 みこころのままに 光 ましませ

  大いなる 一つの私へ
by rupa-ajia | 2008-04-04 04:31 | ◆柳生さくら祭
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