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メモ

長野へ、息子と二人で短い旅に出ていました。人生の転機になるような、短くも深い日々。まさに、陰陽和合~転換~再生の旅。
この必然の流れに引き合わせてくださった多くの存在、そして、この大切な過渡期に私を支えてくれた大切な友人たちに、心からの感謝でいっぱいです。 ありがとうございます。
深い愛を惜しみなく与えてくれた友人たちに、本当の私自身として生きていくことで、応えていきたい。

旅のプロセスを経るうちに、私の中の深い部分で、岩長姫(八ヶ岳)が蘇り、木花咲耶姫(不二山)と和合し、反転していったのでした。 精神性と日常の和合。
縄文のエネルギーが、自分自身の内に満ちあふれ蘇ってくるのが感じられます。

 いざ、日常へ、祝福すべき、この日常へ

・・・
柳生を出発して以来、何週間分もの深みをもって染みわたっていく、1日というトキ。

さて7月17日には、早朝、数霊の深田さんと諏訪ICで待ち合わせ、タカテル姫神社、手長神社、足長神社と巡りました。 深田さんは表、私は裏の象徴。 深田さんは事前にアヤマル(謝罪)ことを主眼とされていました。 それは表の役割としては、必須のことでした。
古代関係者(?)の私には、純粋にエネルギー的な意味がきていて、そのイメージのままにウガンしたのですが、自分でも驚くべきことがいくつかありました。
今まで心の内でしか響かせることを許されなかった旋律、その名を、声を出して唱うことができたこと。
そして、7年前ほど前に、宮古島で降りてきた唄の歌詞が、17日に突然、変わったということ。

守屋山登山の集合場所に向かうと、大勢の人。
その中から、明らかに明確な目的意識をもった方々が3名おられました。 どういう方々か、よくわからなかったのですが、即座に、(私は、この方々と共に登山すべき!)という直感が。
守屋山をイワクラのコースで登るというこの3人の方々に、率直に「同行させてほしい」と頼むと、「どうぞ、どうぞ」と、車に乗せてくれました。 表は深田さんたちにお任せして、裏のウガンコースへ、出発!
車に乗った途端、歯車が噛み合ったかのように、早速、感覚とリーディングのシェアと検証が始まりました。

最近のキーワード…、四方位の中心の柱、クロス、足長、手長、岩長、タカテル、シモテル、舟に乗った観音さま、アベ・マリア・ステラ、山幸・海幸などなど、多くのイメージを多様な観点から、素直に検証し、昇華していくうちに、一つの道筋が見えてくるのです。
ポイントは、自分自身に正直になること。
自ずから、各自の役割が果たされていく幸せ。

霧が広がる神秘の森に出現するイワクラたちは、存在感を増していて、異なる側面の意味合いを教えてくれます。

 縄文のスピリットが、共に歩いている

最終目的地は、古代の最重要なイワクラの聖域でした。
着いた途端、イワクラの奥地に呼ばれ、その中に入らせていただくと、そのさらに最奥に。

陰の大地母神さま
岩長姫であり、私自身の最奥であり、
すべての事象を陰ながら支えてくださっていた存在

その日、新しく歌詞が変わった唄で、まずは扉を開き、 その後、メンバーの一人、シンガーソングライターの美咲さんが、新しい歌詞の意味を紐解き、世界へと広げていくかのような縄文の唄を唱ってくださいました。 彼女は、まさに縄文の歌姫。魂に染みいる響き。

その響きに誘われて、最奥の処より、とうとう出てこられました。
11時23分。(=22を超えた、次なる次元への飛翔)
次は、陰の存在に、表舞台に立っていただき、いざ、舟に乗ってご出発!
巨大なイワクラの上に登り、宙に突き出た表舞台に移動して、霧立つ山々を見渡す。
その日の朝から、音として響かすことが可能になった唄で、まずは【空と海の交わり】を意図し、その境界をつなぎ、いざ、船出。 アベ・マリア・ステラ、暁の明星。

美咲さんの唄は、まさにその船出を歌ったもので、魂の底から泣けてくるものでした。
すべてが終わった刹那、正午の時報。
表裏が重なり、一つとなり、反転が始まるトキ。

そして、諏訪湖へ。
親子の亀のかたちをした遊覧船、竜宮丸に揺られたひとときは、本当に至福そのものでした。
クロスが○で包まれ、中心が浮上し、すべてが循環し始めたのです。
ただスワ、輪、和、環を感じ、満たされていました。
すべらかに、平らかに、内なるワが広がるのを感じていました。
船上で、直会の杯。

・・・
ここで、かねてより降りてきていた、手長・足長の意味を簡単に記録しておきたいと思います。

手と足は、動くために必要なものです。
でも手と足が動くためには、とあるものが必要です。

それは、中心。
中心で、つながっていること。

 クロス X

両手・両足を起点に、対角線状に線をのばすと、クロスとなり中心点が生まれます。
それは、4点の内側に存在します。

私たちが本当に動き、本当に生きるためには、私たち自身の内に中心を定める必要があるのです。

 自分の外側・他者にではなく、 私の内側に。

そこに生まれる、本当の私。

 陰陽和合、神秘のエネルギーはクロスの中心に生まれる

古代のエネルギーを封印するため、中心の柱を取り除いた為政者たちよ、もうこの流れを押しとどめることは、できない。

一人一人のうちに、柱を立てよ
ピラミッドの神秘
クラタテ、ヘイタテ、カムクラ

長き手足を伸ばせ
自由に動き、自由に飛び立て

大きな私が生まれる

着せられた悲劇の神話を返し
エネルギーを取り戻せ

八光一宇の奇跡

・・・
表裏反転。
裏に控えていた存在が表に出たことで生じる反動。

でも、きっと大丈夫。
表裏はつながっている。
分断されてはいない。

今から後、本当の共同作業が始まるのだから。

・・・
長野の旅の終わり、21日の夕方、関西に帰還。

曇天の22日。霧に包まれた山の上。
ただ、平和な思いを感じていたとき。

ちょうど日月の重なった処に、うっすら丸い穴が開き、美しい三日月が姿を現してくれました。
ちょうど日食が極まった、午前11時過ぎ、束の間の丸い晴れ間。

 私たちは、何を見てもいい、
 心が本当に平和に満たされていたならば。

 その心の内を見ることが、できたなら。

 見えることを、思い出したなら。
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by rupa-ajia | 2009-07-25 07:56 |

I'm here with you

取材仕事や個人的な用事が山積してしまい、かなりあわただしい日々が続いている。
7月に入り、時代的にも個人的にも、いよいよ大きな過渡期に入ったのを感じる。
あさっての、吉本有里さんのコンサート&シェアリングも、大きな過渡期をシェアすることになりそうで、ご参加を表明いただいている皆様お一人お一人に、深いご縁を感じている(↓まだ余裕がありますので、ピン!と来られる方は是非ご参加くださいませ)。
http://rupa.exblog.jp/11276803/

ところで、あさってのテーマ「陰陽和合と再生」に関して、七夕にからめてイメージを広げてみたい。実は、少し前から降りてきている、七夕のイメージがある。
七夕と言えば、天の川にはばまれて、年に1回しか会えない彦星と織姫の神話が一般的。
でも私が感じているイメージは逆で、天の川とは、陰陽和合の中心に誕生しているものの象徴。
つまり、彦星と織姫のエネルギーが和合したからこそ、そのハザマに強烈なエネルギーが出現し、流れが生じているという感覚。 川はむしろ、異なる両者が和合している証。

地上に投影するならば、それはフォッサマグナ。
東西のエネルギーのハザマに生まれるフォッサマグナの「翡翠」は、再生の象徴である鳥、「カワセミのつがい」という意味を持つ。翡(雄)翠(雌)。セミもまた、再生の象徴。
陰陽和合の奥深さを熟知していた縄文時代。
再生のエネルギーに満ちた翡翠を重視し、それで勾玉をつくるということは、縄文人にとって当然のことだったのだろう。
翡翠を身につけるということは、陰陽和合~再生、つまり、時空を超えたエネルギーとの一体化。
七夕は、悲劇的神話ではなく、生命エネルギーの蘇りと活性化を意図した陰陽和合の霊的作業が行われた日だったのかもしれない。 陰陽和合を成すための橋がかかり、柱が立つ日。

中国の神話では、彦星と織姫が、夫婦となって楽しい日々を送ったために、仕事がおろそかになってしまったというプロローグがある。 しかし本来、陰陽和合のエネルギーが生まれれば、日常の仕事はむしろ潤滑になっていくように思う。 つまりは、為政者たちの意図的な神話のコントロール。

その陰陽和合の鍵になるのが、二人の飛翔、アセンション。
シンボルは、羽、鳥。
日本には、中国とは異なる七夕の神話がある。
http://www2.plala.or.jp/cygnus/st5.htm
彦星は、天稚彦であり、矢や鳥のイメージ。
また、陰陽和合のエネルギーがこめられた布を織る織姫には、天羽衣のイメージ。これも飛翔。

少し前、やまんと小山氏が、「万葉集の歌番号を西暦の年号と重ねると、予言の書やという説があるんや」と言い始めた(珍しく、意味は解説せず)。

万葉集2009番は、七夕の歌。
  汝が恋ふる 妹の命は飽き足らに 袖振る見えつ 雲隠るまで

訳:あなたが慕う織姫は、恋しい気持ちを抑えられないので、袖を振っていましたよ、雲に隠れてしまうまで。

雲は、「籠もる」ことの象徴か。一度、子宮のような時空に籠もることで再生エネルギーを内に充たしているイメージでもある。
「振る」の一般的な解釈は、魂振り(たまふり)のことで、振動させることによって、魂のエネルギーを活性化させたり、新たな魂を招く呪術とも言われている。
また、私が明治生まれの古老からお伺いしたのは、「神が人に降りると、祈りのために合わせた両手が、自然と【ふるえてくる】」とのことでした。それが「勇む」ことの本来の意味だと。
振る、震えることは、原初のエネルギー活性化現象に通じていたのかもしれない。
ただ気になるのは、「袖」を振るということ。
私のイメージでは、それはどうしても、「羽」となる。
飛翔を象徴しているのではないか、と。

 飛翔してこそ、彦星と乙姫は陰陽和合を成すことができる。

飛び立つ先は、何処へ。
3次元的な象徴としては、かねてより「川の中洲」が思い浮かんでいる。
(ちなみに熊野大社は、かつて熊野川の中洲に建っていた)
中洲は、古来、陰陽和合の霊的作業がなされた時空であったのかもしれない。

  「中心のス」は、陰陽和合の聖域。
夫婦鶴の飛翔が、なぜ、祝福、寿ぎのシンボルになっているのか。
七夕も、本来は悲劇ではなく、祝福のシンボルであっていいはず。

さて私自身は、七夕の日は、天橋立あたりで過ごしていた。翌日の仕事が、早朝から舞鶴であったので、前泊にて丹後地方に入った。時間が少しあったので、元伊勢・内宮皇大神社と、籠神社に参拝することに。
元伊勢内宮皇大神社の社務所には、『岩長姫命』に関する和綴じの本がおいてあった。
ちょうど少し前に福岡の友人と電話で「岩長姫」の話になっていたので、ちょっと立ち読み。

曰く、本来、木花咲耶姫(陽)と岩長姫(陰)は、表裏一体、陰陽調和しての働きを担っておられた。ところが、岩長姫が退けられたため、バランスが崩れ、体主霊従の世界になってしまった。
今、岩長姫が表に出始めたことで、ようやく本来の霊主体従が蘇ろうとしている。

古事記などで【みにくい】と形容される岩長姫であるが、本当は【見えにくい】存在だったという。
目には見えない、見えにくい存在は、どうしても選択肢のなかからこぼれ落ちてしまう。
色や形があり、目に見え触れることができるものを、私たちは選択してしまう。

先日の電話で、福岡の友人と岩長姫の話になったのだが、最近、彼は福岡で、岩長姫と木花咲耶姫が共に祀られている神社に参拝したという。
それは、細石神社。(さざれいし)
そして近くの桜谷神社には、「苔むす姫」と木花咲耶姫が祀られていたとのこと。
「苔むす姫」は、岩長姫のことかもしれない。

それで「君が代」を思い出していたのだけれど、岩長姫の和本にも「君が代」のことが言及されていた。
細石が巌となりて、苔のむすまで。 これはまさに、岩長姫の働きであるという。

私の好きな映画のひとつ、『もののけ姫』。
その独特の雰囲気は、森の中に密生する苔が発しているのだと感じている。

以前、奈良の大台ヶ原についての紀行文を書いたことがあって、そのとき私は苔に関して、「君が代」をイメージしながら切々と書いた(編集部からは相当な苦情が)。
大台ヶ原に迫る環境破壊、苔の退縮による木々の枯死を間近に見てしまい、泊まりの取材から帰ってから、ずっと泣いていたことを思い出した。

・・・ (以下、当時執筆した原稿より引用)
苔の襞につく露の一滴一滴にも、生命が宿る。
倒木や切り株をおおいつくし、悠久の時空を放散させる苔。
その苔の上に落ちた木の種が、新たな芽を伸ばす。
生命再生のむすびを伝える歌が、この国にはある。
その原点は森にあった。

巌も亡骸も、苔むすことで永遠へと向かう美に組み込まれていく。
生と死の神秘なる一体化。森の奥深く、密やかに流れ出す生命の調べ。
森は、静謐なる豊穣の音楽に満ちている。
・・・(引用終わり)
森は、苔と倒木更新で再生し、生命を更新していく。
(倒木更新:枯れて倒れた木に苔が生え、そこに落ちた種が芽を出す。苔がないと種は発芽しない)
まさに、岩長姫と木花咲耶姫、両者の働きによって、生命は循環していく。
足下の岩とつながり、苔の胞子を感じる、開かれた感覚を取り戻したい。

さて、社務所に荷物を預けて、境内を巡り、天龍八岐龍神社で、昔、宮古島の石庭に行ったときに降りてきた唄を奉納。 さらに、谷を下り、清流沿いの岩戸神社に。
とにかく道中、岩や木に生えた苔の美しさが印象的だった。

社務所に戻ると、番をされている女性が、またいろいろとお話をしてくださった。
お茶をいただきながら、いろんな話になり、なんとなく最後は、また泣けてきてしまった。
岩長姫のパンフレットをいろいろとくださった。「初めて会う人に渡すのは初めて。でもご縁があるようなので」とのこと。 それらを特別にいただいたことは、その内容よりも、岩長姫が表に出てこられたことのサインとして、胸に響くものがあった。

それで、かなり昔のことを思い出した。
どうして今まで思い出さなかったのだろう。

私は柳生の前は、天理。天理の前は、京都市内に住んでいた。
アパートを探すとき、なんとなく京都の地図を見ていて、鞍馬の地名を見つけ、そのあたりにしようとイメージ。 京都市内の不動産屋さんに尋ねたけれど、そのあたりはアパートがないとのこと。で、なんとなく京都市内を歩いていたら、またしても、なんとなく気になった不動産屋さんがあったので入ってみたら、「すごくいい部屋が、西賀茂にある。以前、自分が借りていた部屋で、中庭もある」と薦めてくれた。で、その部屋に即決定。

アパートの名前は、「大将軍荘」。
アパートの前には、大将軍神社。
大将軍神社の祭神は、岩長姫とその家族たち。

私が住んでいたとき、神社の本殿はずっと建設中だった。
放火で本殿が焼けてしまい、その廃材を使って新築するという。
以前の本殿は、賀茂別雷神社摂社「片岡社」の本殿を遷したもので、相当、古いものだったらしい。

大将軍荘に引っ越して1年半ほど経った夏の夜。
家の前の大将軍神社から、雅楽が聞こえてくる。けっこう遅い時間帯だったけれど、その音色を聞くやいなや、私は取り付かれたように外にとび出した。

大将軍神社に、幻想的な光景が出現していた。
本殿が完成し、記念の祭祀が行われていた。小さな小さな境内に、京都中からぎっしりと宮司さんが結集。八坂神社、上賀茂神社、下鴨神社…、とにかく有名無名、ものすごい数の神社から宮司さんが集い、一人一人神社名を呼ばれては、榊を奉納している。

で、イスが一つ空いていたので、思わず私も末席に加わってしまった。
驚くべきことに、そのことを咎める人は誰もいなかった。

蒸し暑い夜で、私の格好といえば、ランニングに短パン。そのランニングはウサギ柄で、母が縫ってくれたもの。ヨレッとしていて、ほとんど下着に近い。親しい友人の前でも着るのがためらわれるような、、ましてや外に着て出る服ではない。

目の前には、絢爛豪華な衣装を着た人達が勢揃いしているというのに、なんて子どもじみた格好をしているんだろう。 でも魂が魅入られてしまったようで、どうしてもその場を立ち去ることができなかった。

宮司さん以外にも、背広姿の関係者が何名か来られていて、その代表者が名を呼ばれると、その関係者たちも同時に起立して二礼二拍一礼。
「地元関係者」というような感じで呼ばれたとき、私も一緒に立って参拝。

やがて、すべての灯りが消され、まったくの暗闇になったかと思うと、マスクをした人々が白い布で囲いながら、本殿に御霊を遷していった。そのときの奏楽は、龍笛のソロ。その神秘的な音色は、凄まじいエネルギーに満ちていた。
目の前を御霊が通ったとき、私の頭の中は真っ白。何かが乗り移ったような感覚で、呆然としていた。

気づけば、すべての儀式が終了し、参加者は手土産を配ってもらって解散し始めていた。配っておられるのは柔和な方で、私も「おいで」と呼ばれ、記念のお盆と、赤飯の重箱を頂いた。お土産を手に部屋に戻ってやっと、ハッと我に返る。

その出来事があってから、京都での生活は急展開。
奈良の天理への引っ越しが決まったり、鞍馬を巡ったり、なんだか目まぐるしい日々が始まった。
そして10年前の9月に天理に移住。
・・・
10年前の夏、社殿に戻った岩長姫の魂。
10年後の今、社殿から出るトキが来たのだろうか。
岩長姫との再会で、今、次なる転換点が訪れたのだと思った。

ちなみに「Rupa」という名前の由来は、ワタルの寝言。ワタルが決めた。後で、東大寺の和尚さんが教えてくれたのだけど、「色、物、かたち、目に見えるものすべて」という意味があるそうだ。つまり「色即是空」の「色」。
霊主体従の世界に立ち返ろうとしている現在、何らかの卒業のようなトキが近づいているのかもしれない。

しかし、その「色」も、すべて神そのもの。
大自然、大宇宙、この私自身も、髪の毛一本にいたるまで、すべて神の顕現。
その表裏一体の奥深さを思うとき、節目節目の転換期は、感謝に始まり、感謝で終わるものなのだとしみじみ思う。

・・・
岩長姫の社務所を出て、また電車に乗り、今度は天橋立に向かう。
(雨がちな天気だったけれど、社務所にいる間だけ集中して大雨が降ったので、まったく濡れることがなかった)
「天橋立」駅前のレンタサイクルのお店で荷物を預け、自転車で出動♪
昔、夢で見た通り、天橋立の途中に、真水が湧いているところがあった。
ママチャリをノンビリこぐのは本当に気持ちいい。
すぐに籠神社に到着。本殿で参拝を終えた途端、待ちかまえていたようにご高齢の宮司さんが近づいてきて話しかけてこられた。

いただいた名刺は「宮司:海部光彦」さま。本当に話好きな方のようで、お話が止まらない。 それがだんだん尋常ではない感じになってきて、ほかの巫女さんや禰宜さんたちが「夕方だから、もう閉めますけど」と言っても、意に介さず。 電話がかかってきても「後にしてもらって」。 来客が来られると、「すぐに戻ってくるので、2,3分、待ってて」と言われる。

戻ってこられたときには、手に何かの封筒と資料をお持ちでした。
見ると、それは知人のミュージシャン、小嶋さちほさんのプロフィール!
「小嶋さちほさんという人から資料が届いて、奉納演奏をさせてほしいという話なんですわ」。

ちょうど7月25日の件で、さちほさんとメールのやりとりをしていたところだったので、いっぱい、いっぱいPR♪
「このタイミングでお会いした、あなたがそう言うのなら、佳い奉納演奏をされるんでしょうなあ。では、このお話をお受けしましょう」。

宮司さんのお話をお伺いしながら、私自身も、海部一族、海人族とかかわりが非常に深いという感覚が明確になってきた。 来週、長野に行くのも、「安曇」というテーマが来ていたので、そのあたりへとつながっていくのだろう。
 今再び、船出のときがきた。南への帰還。

「いやー、お会いできて佳かった。ご縁ですなあ、また会いましょう」と、最後は手をさしのべてくださり、握手してお別れ。8月にまた舞鶴での仕事がある。さちほさんの奉納演奏とも日が近いので、また立ち寄らせて頂きたいと思った。
急いで自転車に乗って、今度はマナイ神社へ。
本来の場所は、もっと奥なのだろうから、お通しという感じ。
はるか昔の7月7日、伊勢へと旅立たれたトヨウケさま。

いよいよ夕方になってきたので、再び天橋立へ。自転車は早い早い~☆
天橋立の宮津湾側(外海側)には、砂浜の所々に、亀の頭のように海に向かって突き出た小さな石垣が組んである。
満月のときが近づく頃から、その石垣のひとつの上に座って、目を閉じて耳を澄ましていた。亀に乗っている気分。

穏やかな波の音が反芻して、響きはどこまでも広がる。
言葉にはならない、目には見えない感覚が、押し寄せてきた。

私の内から、陰陽和合が始まる。
無数の生命、地球そのものに包まれるような、あらゆる生命が、私の中に入ってくるような感覚。
微生物、虫、植物、動物…、とにかくいろんな存在とその連なりが、内なる感覚のなかに、めくるめく打ち寄せる。

その一つ一つの存在が、主役として舞台に上るときがきた。
目には見えなくとも、大きな力を発揮し、一緒になって世界を再生していく仲間たち。
脚光を浴びてきた大スターたちは満足げに退場し、控え室にいた名優たちとバトンタッチ。
表裏の協力体制、絆は、変わらない。

トキが満ちたのを感じ、いろんな感覚に包まれながら立ち上がって海を拝し、天橋立の南側へ戻る。智恩寺の境内に入った。 本堂にポスターがあって、そこに書かれた言葉が気になった。

【人は変われる。一緒なら。】

天橋立で、多くの存在に包まれ、その存在たちが入ってきた感覚。

・・・
翌日、午前中に舞鶴での仕事が終わり、特急電車を待っていたら、待合室のテレビで、NHKの番組が放送されていた。
「みんなのうた」。

「I'm here with you」という曲が流れた。
素朴なアニメーションも、とても意味深く、勾玉のようなかたちから、いろんな動植物へと姿が変わっていく。

 ああ、昨夕の天橋立での感覚は、これだったんだな。
 これが、天の川の感覚なんだ。
 別れては、いなかった。

柳生に帰って、you tubeで検索したところ、「川の光」というアニメの主題歌とのこと。
川の光。
http://www.youtube.com/watch?v=uXH_czgyxA8

岩長姫は、見えにくいわけじゃない。
見ようと思えば、ちゃんと見える。

細石が巌になって、苔むすのは、
瞬間ごとに、新たな生命が生まれるのは、

 一緒だから。

サミシイヨルモ ワスレナイデネ
アナタト トモニイル

 I'm here with you.

 It's called the earth.
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by rupa-ajia | 2009-07-10 22:40 |

夏至~火水が和して 生まれし光

6月8日(旧暦5日5日)は、彦根の「アートフェスタ勝負市」に参加。
彦根市の花「花しょうぶ」にちなんで、「花しょうぶ通り商店街」と名付けられた古い通りに、作家さんたちの出店が並びます。
花しょうぶは、5月5日と6月8日の「誕生花」だそうですが、この日に、柳生しょうぶ園の地から、勝負市に出店するのも何かのご縁なのでしょう。今年の市のテーマは、「拓く(ひらく)」。
柳生新陰流を念頭においた勝負とするならば、「昨日の我に今日は勝つべし」。「拓く」ことで新たに生まれ直す、そんなイメージでしょうか。

当日は、降水確率70%を覆し、快晴の天気となりました。
いつものように昼には天然酵母パンとカルツォーネが完売し、あとは木のスプーンと版画の店番をしていました。今回は大きめの版画のお買いあげも。有り難いことです。ワタルは作家さん巡りをして、木地師の出店者の方々からいろいろ教えてもらったそうで、これまた嬉しそうでした。

ところで今回、久々に器を購入しました。
こっそり格安にして頂きました~。大皿を一枚購入した出店ブースでは、うちにある黒いお茶碗とペアになるような白いお茶碗など3点をオマケにつけてくれました。帰り際に格安で白い大皿を購入したブースでは、ペアになるダークブラウンの大皿もオマケに。この陶芸家さんとは十数年ぶりの再会(当時、購入した小皿は今もRupaでよく使わせてもらっています)。
ということで、その日、陰陽ペアのお皿が二組そろいました。

夕方、ワタルと一緒に息子が抽選会に行ってきて、これまた嬉しいプレゼントが大当たり(何度も遊びに行くので、抽選会場のスタッフ達と顔見知りになってしまった息子)!。賞品は、最近、花しょうぶ通りでオープンした話題のビーガンカフェ「Ruwam」の焼き菓子2袋と、ケーキの無料ペアチケット。
近頃私も、両親が育てた小麦と大豆の粉を100%使ったビーガン(動物性不使用)のお菓子をよく作っています。参考になりそうで、嬉しい。。 遠方からの出店のためカフェで飲食できないので、持ち帰りをお願いしに行ったところ、カフェ内にいるスタッフ&お客さん達みんなで「すご~い!当選、おめでとう~」と喜んでくださって、嬉しさ倍増。ケーキは完売していたので、後日、送ってくださることになりました。

出店終了後の夕方、真奈美さんオススメの大杉神社に参拝に行こうかと思っていたのですが、遅い時間になってしまったので、断念。
昨秋に参加したプレスツアーで印象に残った米原の丹生地区が近いことが判明したので、急遽、木彫りの里、丹生にまた立ち寄ることにしました。
来週の夏至、神野山で「水と光」の企画を考えているので、下丹生の湧水を頂こうかと思ったのです。

地図を見ると、丹生は、大杉神社のある武奈山や、霊仙山のふもと。この山々の水が丹生川へと流れ込んでいたのですね。湧水は「いぼとり水」との命名で、案内板を見れば、丹生ということで、やはり「製鉄」や「子授け」とも縁が深いようです。水神は、子守神・子授けの神でもあります。柳生地区にも丹生町に丹生神社がありますが、やはりご祭神は水神(最近、柳生の丹生が気になっていたので、調べていたところでした)。
丹生と言えば、朱のイメージ。「朱に交われば赤くなる」と言いますが、水のことをアカ(アクア)と呼ぶこともあり、おもしろいものです。

翌日、6月9日は、奈良市民病院の耳鼻科へ。
息子が保育園の耳鼻科検診で「鼻水少々、鼻炎の可能性アリ」との結果をいただき、耳鼻科に行くことにしました。診察はあっという間に終了し、案の定、何の問題もなかったのですが、待ち時間が長かった…。小児科と違って、耳鼻科の待合い室は素っ気なく、息子をなだめるのが大変。ところが、小児科から持ち込まれたのか、象のぬいぐるみがポツンと置いてあるのを発見。それで随分と助かった次第です。象の鼻をもって遊ぶ息子を眺めつつ、以前見た印象的な夢を思い出していました。

ノアの箱船のような船内。
いろんな動物たちが雄雌つがいで入っているのですが、象の前に来たとき、夢の中で変成意識に。テレパシーのようなもので象と会話をするのですが、そこで、私が子どもの頃から象が大好きだった理由が明かされたのでした。途端に目が覚め、「そうだったんだ!」と感動しながら起きたことは覚えているのですが、今となっては、その理由がイメージとしてしか思い出せないのです。そのイメージは、言葉にするのがちょっと難しい…。敢えて言うならば、「すべてのあなたは、ひとつの私」でしょうか?

病院を出て、そのまま生駒の宝山寺に向かいました。人と会う用事が済んだ後、初めて宝山寺にお参りに行きました。非常に濃い波動。行くべきところがあるようで、奥の院のその奥へ、大急ぎで向かいました。古代からのウタキです。ウガンが終了した途端、突然、雷が鳴り始め、大急ぎで車に戻ったときには大雨になってしまいました。

宝山寺には歓喜天が祀られていました。歓喜天は象頭の双身で、陰陽和合の象徴。ちょうど6月9日は陰陽和合の日でもあるとか。ここでも、夏至のために、丹生の水を奉納し、宝山寺のお水をいただきました。
象。天地をつなぎ、光の矢で大地に受精する雷。

翌6月10日は「時の記念日」。
実は、私のアマチュア無線のコールサインはJJ3JJY。JJYは、日本標準時間を放送している時刻放送のイニシュアルでもあるので、6/10は昔からご縁を感じる日です。

この日は早朝から、和歌山の旧・日置川町に行きました。
農家民泊や体験型観光を通した村起こしの取材で、日置川沿いの農家の方々から、実に感動的な話をお伺いしました(梅の実の選別作業中)。

古代、太陽信仰、とりわけ測量や暦の作成にかかわっていた「日置氏」と関係の深い地なのでしょうか。取材後、日置川を散策し、「日の出神社」にお参りしてから、帰還。

帰りは大阪に立ち寄り、和歌山の「ほんまもん体験」の仕掛け人であり、観光カリスマでもあるT氏の取材。この話が、また圧巻でした。大和高原での地域起こしを考えている私にとっては、まさにタイムリーな授業。
T氏曰く、「普通、知らない人に会ったら、最初の何分間かはゲスト扱いでしょ、観光客なら、なおさら。でも、日置川町の人達は、初対面の相手でも、会った人みんなに家族のように接するんです。即、家族扱いなんですわ」。

そう、先程までいた日置川町で、まさしく私達も家族として受け入れられたのでした。
取材後、息子と一緒に田圃でオタマジャクシを見ていたら、はるか向こうの方から、おばあちゃんが何やら大急ぎでこちらにやってきます。見れば、手には鈴なりに結実したグミの枝と、ビワの実、ユスラウメの実。
そして息子に枝ごと差し出して「よう来たなあ、食べへんかぁ、美味しいで」。

刻まれたしわの奥で輝くやさしい眼差しが、田舎の亡き祖母を思い出させて、胸がいっぱいになりました。田圃の土手に一緒に座り、ノンビリ四方山話をしながら果実を食べるうち、お腹も心もやさしさで満たされてくるのです。

会う人、みんなが家族。
悲しい事件を引き起こす加害者のほとんどが、孤独にさい悩まされていたと言われています。こんなおばあちゃんと接する機会が少しでもあれば…、加害者と被害者を巡る人生はまったく異なるものになっていたのかもしれません。

無限の時空のなかで、出会うことができた者同士。
時間と空間を測ったかのように生まれた、貴重な一期一会。

その小さな交わりにこそ、大きな創造が隠されている。

 それこそが、陰陽和合の極意。

ところで大和高原の神野山では、古くから「九十八夜の神野山登り」と呼ばれた風習があり、5月の九十八夜にみんなで神野山に登り、歌舞飲食を楽しんできました。民俗学でいう「岳登り」ですね。沖縄の「モーアシビー」、古代の「歌垣」がルーツなのでしょう(今は「つつじ祭」として継承されています。今年はステージ司会をさせていただきました)。
一族郎党を越えて、集ったみんなで仲良く楽しむ場。
男女が出会い、新たな家族が広がる場。
聖域で行うことから、祖霊や地霊との交歓、神人共食も大きな目的だったのでしょう。

最近『神野の民話』を読み直していて再発見したことがあります。
曰く、「神野山は、昔、毎年旧暦5月12日に【火祭り】があり、ウツギの木で火をおこし、遠くは三輪・長谷からも火種をもらいに人々が集まってきた。このカガヒの祭りは、男女の語らいの場になっていた」。

まさに古代の歌垣の世界なのですが、それが旧暦5月12日だという説は再発見でした。
八十八夜の十日後か、はたまた旧五月五日の一週間後か。
このあたり、日程がぼやけているのですが、ひょっとすると夏至だったのではないかという思いも湧いてきます。

古代ケルトでは夏至の夜、太陽と祖先への感謝の言葉を唱えながら火を起こし、健康を祈願して焚き火を飛び越える遊びに興じたといいます。
今でも北欧では、夏至祭の聖なる火は家に福を呼ぶと考えられており、新婚夫婦は新しい火を家に持ち帰るとのこと(大和高原の古習、フクマルコッコにそっくり!)。恋人同士で手をつないで焚き火を飛び越えると、無事、結婚できるという話も。
そして、夏至の日の朝露には奇跡的な治癒力があると言われているそうです。

 夏至の火と水に宿る、新たな生命エネルギー。

生命の再生、よみがえり。
日本では若水という考え方があって、新年最初に汲んだ湧水を聖なる水として儀式に使っていました。しかしその祭祀には、火の要素もあったようです。 東大寺二月堂の「お水取り」も、火と水の祭祀ですね。

今年、神野山のある山添村で聞き取りした「年迎え行事」で、非常に興味深い風習がありました。年迎え行事は家によって異なるのですが、とある家では、初日の出を拝んでから、新年最初の水、若水をバケツに汲み、そこに鉗子(蜜柑)浮かべます。で、その水で、お雑煮をつくったり、顔を洗ったりするのです。
新たなる、よみがえりのエネルギーを全身に浴びるわけですね。

ところで、この鉗子(蜜柑)には、太陽のイメージが付随します。
万葉集では、田道間守が常世から持ち帰った不老不死の実「トキジクカグノコノミ」として、橘(蜜柑)が有名です。カグ、つまり輝く果実。

蜜柑が太陽や火の象徴でもあることの他の理由は省略しますが、鉗子(蜜柑)をワカ水に入れるということは、太陽や火のエネルギーを水に転写させる、つまり火水の陰陽和合を意図しているのでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/tuk_trei/
カンボジアの民俗風習を記した上記ブログで、水を含んだライムで仏像を洗う場面が出てきますが、これを読んで、すぐに山添村の年迎え行事を思い出しました。(このブログでは、村人の粽に関する発言もありますが、これまた、以前取材した「柿の葉寿司」の取材を喚起させるのです。う~ん、古代の香り漂う山間の民俗風習って、本当におもしろい!)

先月、神野山ツアーの後、断食状態になったときに「水を飲む」夢を見たのですが、詳細を言うと、「柑橘類のようなものを入れた水」を飲む夢だったのです。

さてイメージを膨らますと…、
彦根の彦が「日子の根」を、ワカ山の「日置」川でいただいた果実が蜜柑を象徴していたとしたら。

大地に根をはった生命樹が、太陽と水のエネルギーを浴びて結実する。
火と水による陰陽和合が始まったのかもしれません。

山に隠されし宝、双身の象、歓喜天のエネルギー。

 火水が和して 生まれし光
 日月の生みし 星の輝き

 時空を交えて 新たな実ぞ結ぶ

 山より言霊  宣り上ぐる日

 光の家族の再会

再生する ひとつの私
美しき この地球で


よろしければ、夏至の日に、いざ神野山へ。
http://rupa.exblog.jp/8275649/
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by rupa-ajia | 2008-06-12 20:05 |

一陽来復 東方からの光

最近、東京からの強い光を感じています。
東京在住・東京勤務の友人・知人の方々の想いや動きとリンクしているのだと想いますが、まぶしいぐらいに強い光です。
皆さん、それぞれに浄化・掘り起こし作業を真摯にされていて、それがここ柳生にいても、ダイレクトに感じられるのです。 そして、とっても助けられています。

ここ数日、山崎まさよしの「ツバメ」という歌をよく聴いています。
http://jp.youtube.com/watch?v=VRDBFNaBMGo&feature=related
「東京での日常」を描写した歌詞ですね。

なのに、この歌を聴いていると、柳生の自然を背景にして、柳生木炭組合のおじさん達の顔が次々と思い浮かんでくるのですよ。
で、この歌を聴きながら、炭焼窯づくりの工程をまとめていました。

つながっているのですね。

山崎まさよしさんのことは、さほど気にしてはいなかったのですが、数日前、以前に購入したけれどあまり聴いていなかった彼のCDを思い出しました。
日常のなかにあふれる光。

今月、東京の都心を歩き回ったことの影響もあるのかもしれませんが、 何故か、とても心に響く歌です。 今回の東京滞在では、友人・知人から、本当に心づくしのサポートを頂いて、なんとか乗り切ることができました。 本当にありがとうございました!

昔4年間、新宿区に住んでいましたが、自分の内側を見直す日々でした。
故郷の奈良のこと、特に奈良の穏やかな山々のこと、子どものときの頃、そして長く世話していた庭のチャボのことまで、よく思い起こしていました。
外食はさほどしませんでしたが、コインランドリーや銭湯には、ちょっと余裕で通っていたかな。

東京中をかけずりまわった、ものすごく、ものすごく濃い日々だったのですが、実は、その頃の感覚をあまり思い出すことができないのです。
「東京に住んでたんだったら、少しは慣れてるよね」と言われたりするのですが、もうその時の感覚は霞の向こう。おぼろげな影のようです。

東京の大学を卒業後、とんでもない濃い4年間からなんとか脱出して奈良に戻りました。激変した環境のなかで、東京での日々のことをゆっくり回想していれば、もう少し根付くものもあったのでしょうが。
卒業してすぐ、大好きな兄の難病が発覚し、その年の12月に亡くなりました。
その後、数年間どうやって生きていたのか、あまり覚えていません。
本当は、生きていなかったのかもしれません。

今年の命日は東京におりました。
兄も東京で4年間、大学生活を送っていたのですが、とても楽しい期間だったようです。兄が亡くなって何年か後、改めて兄の大学やサークルの稽古場を訪れたこともありました。

滅多に行かないところですが、私にとって東京は特別なところでもあります。

ところで、大都会から東山中、柳生に来てくださる方々は、とても清らかな心の持ち主の方ばかりです。 そして、「都会は本当に大変なところ」と説明してくださいます。

久々に東京に行った感想。
視界に入る人のほとんどが、「知らない人」であるという驚愕。
テレビを見ているわけでもないのに(うちはテレビないですが)、ナマで知らない人達が、こんなにも、こんなにも無数にいて、電車の中などでは肩が触れるどころか、押し合いへし合いして隣り合わせになっている。ほんの時々、奈良の町へ行く機会もありますが、道中、ずっと車の中にいるので、すぐそばに知らない人がこんなにもいるという状況にはなり得ないのです。

柳生では、知らない人に会う機会はとても少ないです。
時折、観光客が歩いていることもありますが、一つの目的でくくることのできる人々であって、「知らない人」という範疇とは少し異なります。
普段会うのは、見知った顔の人達ばかり。
すれ違うときは、ニッコリ挨拶。小中学生は、子どもたちの方から声をかけてくれます。
一人一人、個性の際だった方々ばかりで、微笑みのニュアンスもそれぞれ微妙に違っているところが、また安心できます。
でもこの季節、道を歩いている人はほとんどいませんが。

東京ではあまりにも人が多いので、このような小さな交流ができる相手は、人口からいうと、柳生の何千倍、ひょっとしたら何万倍もの割合になるのかもしれません。圧倒的多数の人達に対して、表面上、無関心・無関係のままですれ違がうしかない状況。

知らない人の多い都心を歩いていると、自分の表面に何かフタをせざるを得ない状況が苦しくなってきて、存分に交流できる相手、つまり木々や大地、石、岩、太陽の光などに、より一層、助けられているのを感じます。

人には本来、何のこだわりもなく、自分以外の存在と親しく交流し、交歓したい欲求というものがあるのかもしれません。
生きている人だけに限らず、自然や目に見えない存在も含めて。
そのようなエネルギーの流出入といのは、想像以上に大切な役割を果たしているのでしょう。
柳生のような僻地にいると、このような交流が当たり前になってしまうので、ついつい感謝を忘れてしまいがちです。
東京のような大都会に暮らすということは、逆説的ですが、とても小さなことに目を向けることができる機会が多いのではないでしょうか。

都心では、コンクリートで覆われていない土地は貴重なので、それだけ集中して交流できて、木々にも感謝できます。東京滞在中、街路樹の木々、公園の岩たち、小さな祠、太陽からの光にも、どれだけ助けられたことでしょう。手に触れては、挨拶してまわりました。
要所要所で、大切に守られている聖地がとても多いように感じました。
本来、とても重要な地なのです。

そして最近、東京の友人・知人の皆さんが集中的に浄化・掘り起こし作業をされているブログなどを拝見して、とんでもない数の光が集約されてきているのを感じています。

小さなこと ささいなことだと 想わないで
それは計り知れないほどの光を放っている

 どこにいても、つながっている

あまねくものを照らす陽が、今日からより一層、長くさすだろう

   もっとも小さな処へと
   もっともありふれた処へと

霞の向こうに新宿が見える
ツバメはうまくビルを縫ってゆく

そっちには僕の声とどいてますか

    届いています。
    どこにいても。
  
山崎まさよしさんは、今日が誕生日だそうですね。
12月23日といえば、大倭紫陽花村のある方の誕生日もそうだったような。
「あじさい」
http://jp.youtube.com/watch?v=5TOQiPqswuk&feature=related

私の兄と、私の息子は、8月生まれです。
「8月のクリスマス」(映画「8月のクリスマス」主題歌)
http://www.youtube.com/watch?v=ZcWF4TNomng&feature=related

涙から始まるもの、

     生まれるもの。

浄化の雨が止んで、今、突然、陽がさしてきました。

東方より、再生の光

皆様、良きクリスマスを☆
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by rupa-ajia | 2007-12-23 13:34 |

鶴と亀

19日に綾部のハス園(ボブ・サムさんストーリーテリング)、20日から天橋立の籠神社、天真名井神社、そして丹後へ行くことに決定。 その後、ついでにどこを巡ろうかと考えていた。
長距離移動が多い私達、その途上をゆっくり巡ることがあまりないので、いつも通り過ぎがちな但馬を巡ってみようと、ふと思いついた。

仕事を含めた日常生活そのものが、必然的なメッセージだという確信があるので、旅についても、さほど前もって心配したりすることはない。
一昨年ほど前から、ますますその感が強まっていて、天気などもまったく気にしなくなった。晴れてほしい時は、天気予報を完全に覆して快晴になってくれるし、浄化が必要なときは前もって豪雨になってくれる。
ただ今回は、ずっとカミナリのイメージがあった。

それと、籠神社に行くということで、「カゴメの歌」が気になる。
「綾部が鶴、亀岡が亀」…、大本教で有名だけれど、その情報に忠実に、わざわざ亀岡を散策する気にはならない。 今回は、きっと別な鶴亀が準備されているのだろう。

19日は快晴。
朝から柳生で「行者さん」「観音さん」の行事。柳生といえば、芳徳寺が有名だけど、地元民にとっての寺といえば、立野寺。その寺の裏山を登ったところに「行者さん」があって、役行者の像があるけれど、もともとは雨乞いの場所だったらしい。50歳代ぐらいの方によると、子どもの頃、松明をもって雨乞いしていたらしいので、今もそのイメージは強いようだ。
「昔はクワガタがギョウサンいたところや」と言って、数人が木を揺らしたら…、すぐに大きなミヤマクワガタの雄が2匹落ちてきて、息子は大喜び。クワガタを袋に持ちつつ、みんなで祈祷。
「これで、雨が降ってくれるで」と言いつつ、今度は寺の本堂で観音さまの行事。御詠歌をうたう老齢のご婦人3名も参加。本堂の隣には、弥勒菩薩様もおられる。
お昼前に行事が終了し、ナオライは辞退。クワガタを放してから、綾部に向かった。
出雲に行くときに頻繁に使っていた9号線を経由。綾部に入った途端、黒雲が立ちこめてきて、予想通り、激しい豪雨と雷。
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イベント会場のハス園に着く頃にはちゃんと雨が止み、目の前には瑞々しい空気に満ちた谷間が広がっていた。
出店者・企画者ではなく、一般参加でのイベントは久々。出店には2,3日前から準備が必要だけど、今回は出店許可が当日に判明したため、身軽な参加となった。
久々に会う友人家族たちは、出産で新家族が増えていたりで、とても幸せな空気が会場に広がっている。
園主手作りの、とても温かな谷間だった。 所々に「柳」が植えられているのがいい感じ。
見頃は終わりかけだったけれど、ハスの花はとても美しく、花びらが落ちた後の個性豊かな「蜂の巣」が数多く頭をのぞかせていた。

短期間でこれだけの準備、集客を成し遂げた関係者の純粋な志、そして必然の波にのっているボブさんたちの動きを思った。
風情のある東屋で、「やのん」のユッコさんが、ネイティヴアメリカンのアニマルカードを引かせてくれた。
私は「クマ」だった。

ボブさんの語りは、いよいよ真骨頂という感じ。質疑応答タイムの応えも、穏やかな口調のなかに、稲妻のように輝くようなものがある。「今日、子どもたちも参加してくれたことが、とても嬉しい」…、やはり彼は語り部だ。

一番興味深かったのは、ボブさんの語りが始まった途端に、会場の隅で子どもたちが「カゴメ歌」の遊びを始めたこと。
年長の小学生のお姉ちゃんが面倒見がよく、3歳の息子たちもちゃんと輪の中に入れてくれた。語りの邪魔にならないよう、控えめに小さな声で遊んでいるのが、より一層、不思議な感覚を誘う。ボブさんの語りのBGMとしては、最高だった。
今回の旅のテーマは、鶴と亀であることが、はっきりわかった。

イベント終了後、火を囲んで三々五々に語らい。「Rupaさんですよね」と、見知らぬ方々が声をかけてくださった。こだわりなく等身大で話ができたのも、たき火のお陰。欲張らなかった分、自分の言葉ではない不要な主義主張を話すこともなく、とても平和な感じが有り難かった。
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翌朝、露に濡れたハスの花を愛でてから、天橋立に向かった。
霧がはれて、また快晴。炎天下、天橋立に到着。 「籠神社」、「天真名井神社」へ。
天真名井神社の印象は、またいつか。とても深いものを感じる。大和にも似ている場所がある。「もと」というイメージがきたので、その近所の氏神さま、「ふもと神社」にもお参り。

そして、丹後半島へ。「伊根」の静かな家並みが、素晴らしい。海と一体となった生活。村はずれの、小さな美しい湾の先端で、水遊び。波のない静かな浅瀬で木陰もあり、息子はまた素っ裸。 どうやら、ここは「亀山」という字名らしい。
イネの亀山。

しばらく遊んだ後、丹後半島を海沿いにまわって、浦島神社へ。内陸の方にあるからか、さほど…、ピンと来ない。 稲ワラでつくった亀が飾ってあって、それがすごかった。

翌朝、近くの公園に大きな地図の看板があった。見ていたワタルが「玄武洞」という処が気になるという。私も異論はない。朝6時、朝食も食べずに、まっしぐらに向かった。
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そこは、人智を越えた宇宙!
「六角柱」の世界。
もう言葉では表現できないので、表現しないことにする。スケールが大きい上に六角の形状が細かいので、全写真でも全容を撮りようがない。
4カ所の洞がある、最高級の聖地。
玄武洞の磁性の方向を調べた結果、この洞が生まれた160万年前は、地磁気が「南北逆」であったことが判明したそうな。
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これほどまでに、亀甲づくしの世界を見たことがない。
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ここに来れて、本当に良かった。
感謝しつつ、近くの河原で玄米粥をつくって朝食。

で、昨夜、看板を見て気になっていた「コウノトリの郷公園」に直行。
野生復帰を目指して放鳥されたコウノトリのカップルが、今年5月に卵からヒナを孵したことは知っていたけれど、7/31に、ヒナが巣立っていたことは、、恥ずかしながら初めて知った。国内の自然環境での巣立ちは48年ぶり、とのこと。
早くに行ったので、まだ開園していなかった。どういう公園だかよくわからないままに売店の人に「巣立ったコウノトリがいるんですか」と訊くと、「公園にはいない。百合地で生まれ、今は『六方田圃』というところにいる。六方川のそば」とのこと。
で、教えてもらったあたりに行くと…、向こうの田圃に一羽のトリが歩いている。サギではない、コウノトリだ。
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一羽のコウノトリが、あぜ道をゆっくりと歩いていた。
その向こうには民家が見える。
ごくごく普通の光景のなか、自由に歩いていた。

なんとも言えない感動が湧き起こってきた。

  カゴの中から、出たんだ。

日本国内に留鳥としても存在したが1956年には20羽にまで減少。同年、国の特別天然記念物に指定。1986年2月28日最後の一羽が死亡、国内絶滅種に。
何度、卵を産んでも、まったく孵らない。調べた結果、水銀などの農薬の成分が体内や卵に蓄積し、繁殖能力が低下してしまったことも、主な原因のひとつだったらしい。
その後、動物園などで人工飼育、人工繁殖に成功。コウノトリの郷公園では、2005年から野生復帰計画を開始。今年7月31日、国内の自然界で43年ぶりに誕生した幼鳥が人工巣塔から巣立ちし、飛び立った。
この計画では絶滅の原因になったとされる「農薬」を使わない、「無農薬栽培」を周辺の農民が協力。地域ぐるみで野生絶滅種をよみがえらせる世界初の成功例だという。

元来、鶴は木の上に巣をつくらない。
方や、コウノトリはよく松の木に巣をつくる。日本画で描かれている鶴は、実はコウノトリだという。
昔、コウノトリは鶴とも呼ばれていて、出石にあったコウノトリがよく巣をつくる山は「鶴山」と呼ばれ、コウノトリを見物できる名所として有名だったという。

コウノトリの巣づくりは、古今東西、瑞祥とされてきたのだ。

ここの博物館、実にすごい。
「柳」のカゴづくりの産地でもあったようで、今も柳行李をつくっている職人さんもおられるとか。現地の歴史や風土の展示もしっかりしている。

それにしても、地域住民の顔や声が、ここまで丁寧に展示されている博物館は見たことがない。現場の生の声、本当の思い、…見ているうちに、涙が止まらなくなってきた。

「無農薬農業を始めた頃、『コウノトリのためにしてるんですね』と誉められたけど、コウノトリのためにしているんじゃない。今こそ、本来の農業をしないと農業が滅んでしまうんじゃないかという危機感があるんです。昔は、山と川と田圃を一体として見ていた。自分たちが国土を支えているというプライドがあった。夢は、50年前の米の味を再現し、孫に食べさせることです」

無農薬の米や野菜を買って食べる理由に、「身体に良いから」というのがある。しかしその行為が、無数の生命を守っていることを忘れてしまいがちだ。実のところ、その土地全体を守ること、自分達の子孫を守ることにつながっている。
そんな心のこもった無農薬の田圃があってこそ、コウノトリは生きていける。

 米、コウノトリ

この博物館があったところは、カタシロによって祓いを行う「ハラエド」があった場所であったことが発掘調査で判明しているという。

心晴れやかに博物館を出ると、目線の先に、羽ばたき飛んでいく一羽のコウノトリがいた。力強い羽ばたき。

私達も、自然のなかに生きているはずだ。
今なら、きっとまだ間に合う、

カゴのなかから出て、自然とつながって生きてみよう。

目を覚まし、力強く、羽ばたいてみよう。


 はらえどの うしろどの もんを あけて
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by rupa-ajia | 2007-08-25 13:53 |

ヤタガラスに導かれて

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今週も、いろんなことが目白押しでした。
8日・9日は、取材も兼ねて、天川村に行って来ました。
アラスカ先住民族のボブ・サムさんの神話の語り、そして、天川弁財天社の奥宮のある弥山への登山です。(11日まで筋肉痛が続き、星空観望会はパスしてしまいました…)
ついでに熊野まで足を伸ばし、久々にパッチワークハウスの武和さんと会い、大好きな場所で水遊び、そして玉置神社もお参りしてきました。
非常に重要なイベントで、是非、皆様にお伝えしたいのですが、原稿との兼ね合いもありまして、全体の公表はできません(残念)。

とりあえず、一部を。
そして、この流れで、8月19日(旧暦7/7)には出店も兼ね、綾部の蓮園で開催されるボブ・サムさん関連のイベントにも参加することになりました。
いよいよ懸念される地球環境激変のときに、心静かに自然の声に耳を傾けてみたいものです。
              ・・・・・・・・・・
 現在、紀伊半島中央部の原生林では、急速な環境悪化に耐えきれず多くの木々が立ち枯れ、崩落が進んでいる。弥山山頂のトウヒ林の枯死も深刻な状態で、このまま放置すれば完全に木々が消滅してしまうのも時間の問題だという。
現在、国内で使用される材木のうち、国産のものは20数%にすぎない。残りはすべて海外からの輸入に依存。世界で伐採される木の2割が日本へ輸出されているのだ。ボブが暮らす南東アラスカでは、伐採される原生林の44%が日本に輸出されている。「樹齢五百年から千五百年のシダーの巨木が、日本の寺社仏閣や立派な和風建築に使われています。その隣で、樹齢二百年ほどの木に注連縄が張られている。これが現実なのです」と、講師の速水亨さん。日本にも数十年前までは残っていたという、南東アラスカの苔むした深い森。次々と切り開かれる森のスライドを見ると、申し訳ない気持ちで胸が痛む。「海外の森林破壊に歯止めをかけるためにも、植林や間伐などの健全な林業経営が大切です」。古来から培ってきた森と人の深いつながり。その絆の再生も求められているのだ。

 レクチャーの後、しばしの休憩。会場の天川村村立資料館の外は、満点の星。その星影の下、民族衣装の上着をはおった男性が一人、佇んでいた。ボブだ。海外の人という感じはしない。あまりに自然な様子で立っていたため、躊躇することなく声をかけてしまった。想像以上に人なつっこい笑顔で、クリンギット族について話してくれる。まさにカタコトの英語とジェスチャーだけなのだが、声の響きだけで何かが伝わるような、そんな不思議な語り口だった。「私たちは木に語りかけ対話をする。木を切る前に、許しを得て、眠ってもらうんだよ。歌で呼びかけるんだ。言葉の意味よりも、響き、波動が大切。木を気持ちよくさせるのさ。トーテムポールや家などで木をを立てた後は、木に目を覚ましてもらう歌を歌うんだよ」。そして、木を眠らせる歌を歌ってくれた。低く穏やかな、波のようにシンプルな旋律。なんと、やさしい響きだろう。これほどまでに心を込めて歌ってもらえたなら、誰だって許したくなるだろう。木だけでなく、人間にとっても心地よい歌。「そう、みんなが気持ちよくなる歌なんだよ」。日本でも、昔は木を切る前に供物と祝詞を捧げたという。木を切る前のボブの目がキラキラと笑っている。これに似た輝きを、はるか遠い昔、見たことがあるような気がした。
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 8月9日朝、快晴。行者還トンネル脇の登山口から、弥山山頂を目指す。光輝く木々の緑。見通しが良く、ところどころに苔むした大地がとても美しい。逞しくはった木の根につかまるようにして、山道を登る。しかし一見、美しく見えるこの景観は、弥山にとっては普通ではない状態だという。
「これは異常な景色です。以前の弥山は、丈の高い草木で樹間が覆われ、うっそうとしていました。苔のあるところは、もっとびっしり生えてましたよ。手でかきわけて道を進むので、半袖で山に入るなんて考えられないことでした。虫も多かったですしね。昔は積雪が2mほどあり、鹿は山頂で冬を越せなかったんです。温暖化で越冬できるようになったため、草や幼木が食べられてしまうんです。表土をしっかり留めてくれる丈の高い草や木々がなくなったので、雨水で土が流れ出して木の根が露出し、崩落も多発してます」。
 登山道を先導する、天川村役場の中森圭一さんの声は固い。子どもの頃の風景とはすっかり変わってしまった弥山。しかも、ここ5年から10年の間に激変したという。今回のイベントの主催者でもある写真家の赤坂友昭さんからは、矢野智徳さん(NPO杜の会)の説として、興味深い話を教えていただいた。
「森を支える土の中には、水や空気の通り道が無数にあるんです。雨水は、そこを通って地下水や湧き水となる。でも、ダムや道路、護岸工事などで、山すそがどんどんコンクリで覆われると、ストローの先が閉じたような感じになって、水が土に浸み込めないんです。浸透できなくなった水は表土を削りながら、一気に山すそへと流れる。表面のフカフカの腐葉土がなくなり、ますます木が育たない」。
 弥山の麓にあるダムは、今、土砂で埋め尽くされた異様な光景を呈している。これも、山から流された土砂だという。通気性・通水性のなくなった土は、表面はねっとりとした泥になるが、その下はすぐに乾燥した岩層になる。嫌気性バクテリアが繁殖して腐敗した泥はますます通気性が低下し、種を腐らせ、木の根の呼吸を妨げる。大地が呼吸不全となってしまうのだ。
 息も絶え絶えに、限界までこらえている木々。乾燥が進む森は、私の意識の顕れでもあるのだろうか。毛細血管を詰まらせた身体のように、今、大地は痛めつけられている。
 弥山山頂の光景は衝撃的だった。超高齢化社会の行く末を暗示しているかのような世界。大型台風で倒れたトウヒ林が再生することなく、枯死している。かろうじて木々が残っている天河辨財天社の奥宮の祠の裏にまわり、まずは謝罪の祈りを捧げた。そして私たちにできることを想い、森の声に耳を傾けた。

 山頂での昼食後、奥宮の祠前に皆で集まり、ボブがクリンギットの言葉で祈りを捧げた。風のように歌う言葉。低いけれど、とてもクリアで精妙な響き。
「日本の神社は、いつも私を力づけてくれました。これからは、私たちも聖地を支えていかねばなりません。アラスカと日本、一つになって森を支えていきましょう」。
 そう、私たちは森のように生きていく。多様でありながら、つながりながら、一つの生命として。心静かに森に入り、耳を澄まし、心を開こう。忘れてはならない。森の精霊たち、大地の子らが旅立ったとしても、目には見えない処で大いなる山の神は厳然として胎動している。そして、その岩戸が、今まさに開かれようとしているということを。
 今こそ、天地をつなぐ柱を、立てるとき。
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by rupa-ajia | 2007-08-14 15:20 |

境界の中で

ただ今、広島の山奥に滞在。
到着したのは、父が田植えした後。「田押し車」を押す作業にチャレンジ。
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田植え後、除草剤を数個投げるだけで、どんな都会でも、どんな秘境でも、いわゆる美しい田園風景が保障されるようです。
ところが、昔の田園風景は、汗と涙と、五感に訴える多様な生命活動の賜物だったのでした。
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柳生を出発して、高知の山間部をぬけ、愛媛の今治の「つむぎの村の祭り」に参加し、昨夜(すでに一昨日の夜)、ようやくたどり着いた、本籍地、広島の田舎。

この間、あらゆる意味で、感じること、再発見したことが多かったのですが…、どれかひとつだけを書くと、それだけの印象になってしまうし、すべてを書くと長大になってしまうし…。
せっかく通常のネット環境(しかも子守相手が普段の倍)にあるというのに、困ったものです。
柳生では旧式ダイヤルアップ、月10時間契約(夏にはケーブルの予定だけど♪)。

でも何かを選ばなくてはいけませんね。
すべて公開情報というものは、そういうもんです。
ただひとつの印象やイメージだけで、残りのすべてが削除され、全体像が形成されてしまう。。。

だから、私は「直感」という言葉が好きなのです。
削除されてしまった残像を、嗅ぎ取る本能。

話が逸れてしまいました。

「つむぎの村の祭り」は、一般参加者が少なく、関係者のみが集まったという感の強い空間になっていました。そのお陰で、密度の濃い再会や新たな出会いがあり、それを列挙するには到底、紙面が足りません(笑)。
このようなことは、多くのみなさんが経験されていることでしょうから、、思い切って省略!

祭りでは、かの有名なドキュメンタリー映画『六ヶ所ラプソディー』が、初日に2回、上映されていました。
もう、あちらこちらで、上映されまくっている映画です。関係者の間を縫うようにして上映されてきました。ところが、田舎に住んでいるのにいつもドタバタしている私は、長い間、見そびれていました。
そこで、今度こそは見逃すまい!ということで、内心、張り切っていました。

一回目は、時間を勘違いしてしまい、失敗。…上映テントでは、2人だけが見ていました。
二回目は、息子の後を追っているうちに、冒頭、少しだけ見逃したものの、なんとかテントに入り込み、最前列で鑑賞。今回も、中はガラガラ、3人ほどの観客。
映画がすべて終了した段階で、後ろを振り向いたら、そこには誰もいませんでした。

これは、当然といえば当然の話。
この祭りに参加している人たちのほとんどが、もうすでにこの映画を何度も見ている人たちだったのです。
映画は何一つ誇張することのない淡々としたドキュメンタリー、でも充分に衝撃的な内容です。
今は、あらゆる情報が操作されているようですので、「多角的」であるだけで、もう前衛的なのです。

プルトニウムというものは、角砂糖にして5個分の容量で、日本人ほぼ全員を死なせてしまう。
何百万年もの間、その毒性は続く。
プルトニウムは確実に漏れる。(全国各地の原発から陸路で運送中にも)
漏れない技術、処理する技術を、今の人類は持っていない。

結論として、プルトニウムは作ってはいけない。
そのためには、日常生活のなかでエネルギーを使わないようにするしかない。

上記の「科学的」事実をめぐる社会的矛盾を、日常生活のなかで捉えた映画でした。

とにかく、何が何でも、日本中の人が日常生活を変えるしかないのです。
一人一人が関係しているのです。

祭りでは、映画の話題はほとんど浮上しませんでした。私が映画の感想を言おうとしたら、次のような意見が返ってきました。
「この祭りでは、そういう感じのことは前面には出さない。自分達の生き様を見てもらうだけだ」。

その意見にも、共感を覚える私もいるのですが…。
反対運動というノリに昔から馴染めない性格だったこと、楽しいナチュラルな生活というのは身上でもあること。。

でも残念ながら、今回のような一般の方々の参加がほとんどない状態の祭りでは、「自分達の生き様」を見てもらうことはできないのです。


祭り会場は、市民公園の一角で、会場のすぐ隣の芝生スペースには大勢の一般の家族連れが集い、スポーツや行楽に興じる人々でいっぱいでした。
でも、誰も、敢えて会場の中に入っていこうとする人はいませんでした。

映画のテントは、会場内と外との「境界」上、芝生スペースに面してたてられていました。

ある女性のセリフが思い浮かびます。
「再処理工場に関しては、賛成か、反対か、しかない。事実として、それほど危険なもの。中立は、賛成じゃないから良心の呵責がないかもしれないけれど、それは賛成と同じこと。多くの『中立』意見によって、六ヶ所村に再処理工場が完成してしまった」。

祭りの2日目、その映画テントのそばで、関西地方のとある地方公務員の方が立っていました。

「もう地方行政の矛盾に堪忍袋の尾が切れそう。市議会議員は自分達の給料を上げていく一方。夕張なみの財政破綻状態なのに、粉飾決済で市民は誰も知らない。3代前の市長が、自分になびく人間達にお金をバラまき、維持費に年間、数千万円かかるハコモノをいっぱいつくってしまった。お金がかかるから、壊すに壊せない。選挙だって、実は選挙前から数々のオフレコ作戦が実施されている。要介護のお年寄りとか、……とか使って、(略)『みんな』知らないだけだ。知らないからこんな社会に満足しているんだ」。
まじめそうな彼は、怒りに燃えているものの…、公務員をなかなか辞められないようでした。
なんだか、気の毒でした。

ところで、彼の言う「みんな」とは、映画のセリフでいう「中立」に近いのではないでしょうか。

短く約せば、「みんな=中立」。

この事実が、この国の方向性を短絡的なものにしているように思えてなりません。
地球が育ててくれた生命と自然(人間を含めて)、祖先が築き上げた自然とかかわる文化を、一気に忘却の彼方に押しやろうとする行為。

「みんな=中立」というのは、本来「自由=平等」とおなじぐらい、並存が難しい状態です。
感覚が麻痺しない限りは。

そのように幻想的な状態になってしまうと、「特別」になった途端、少数派となり、「みんな」から弾き飛ばされてしまうのです。これは、おそらく数の問題ではないと思います。
「特別」だというレッテルを張られた途端、潜在的にどんなに圧倒的多数であっても、表面上は少数派に分類されてしまうのですね。

ところで、
随分以前から気になっていたのですが、最近では特に…、「境界」、「あこうくろう(沖縄の方言)」、「道祖神」が気になっている私です。
道祖神…、関西では、サイノカミ、サエノカミでしょうか。とにかく、道祖神は村の境界におかtれた石像というスタイルがもっとも一般的です。仲睦まじき夫婦の姿。
この「境界」に対する関心は、かねてからの数々の必然によって湧き起ったものなのですが、書くと長くなるので、また割愛。一部を6月1日発行の『naranto』連載コラムにも書いているので、ご笑覧ください。それもまさに紙面が足らず、何度も修正して、短く省略しました(編集の方、ゴメンナサイ)。

えっと、要するに、村の防御壁、つまり境界を確立するためにおかれたという道祖神ですが、、本来は内外和合の役割があったのではないかというのが、以前からの私の夢想です。
(詳細は「naranto」で)

人が呼吸するように、ある観念も、長期的に見れば呼吸しているのではないかというイメージがあります。つまり、ある時期に達すると、「吸う」から、「吐く」に切り替わる、反転するということです。

とすれば、道祖神も、ある時点になれば、いきなり内外和合の役割に反転することだってあり得るんじゃないでしょうか。

境界というものは、それほどのパワーを秘めているということです。

で、急に話がもとに戻りますが、今回、祭り会場と外との間、境界に設けられた映画テントは、まだ反転できていない、ほとんど既存の道祖神の役割になってしまったという感が残ったわけです。

平和運動が、特別な運動である限り、特別なものとして防御壁を建てられてしまうという、ある種、古典物理学的な現象。
結果として、いつも通りの選挙結果になってしまう。

この境界を、いかに内外和合、つまり陰陽和合の聖域とするか。

   反転。

柳生に暮らす者としては……、
  またしても、力を抜いた古武術的発想か、はたまた…。。。

今年の夏、大きな選挙がありますね。
大多数の「中立」だと自認する方へ、提案があります。

・今という時代そのものが、境界、大きな分岐点にあることを感じる。
・境界のただ「中に立」つ。
(投票所というのは、ある種、境界線です)

お金で買ってきた、つじつま合わせの田園風景ですら、見れなくなる前に。
まだ本物の田園風景に戻れる、今という境界のときに。

鍵は、その「中」にあるのかもしれません。
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by rupa-ajia | 2007-05-15 01:03 |

ここ広島に到着する前に、高知、愛媛と巡りました。
で、その高知の山間部に暮らす友人に、素晴らしい滝を案内してもらいました。

その名も、「轟の滝」。とどろきのたき。
もっとも気になったのが、三段階の滝になっていることです。

轟という漢字には、車が三つありますが、ちょうど三つの滝つぼが渦巻いていて、まさに文字通りの状況でした。
しかも2つめと、3つめの滝つぼを、間近に見ることができる散策道も整っていました。
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青い水面がとても神秘的で、美しい女性のイメージがでてきます。
案内板を見ると、やはり姫に関する伝説があったようです。

 玉織姫。

水に身を投ずる女性の伝説は、世界各地にありますね。もちろん、奈良にも、大和高原にも、あります。そして、そこにはいつも龍が関係しています。

で、滝の上方には織物に関する神社がありました。織物や鍛冶という技術は、本来、とても呪術的な分野に該当するもの。
祠の前に、剣にまきつく龍の石造がありました。裏側が何かの衝撃で欠けたのでしょうか、欠けた処を補うように、3つの渦巻きが彫られています。
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ここにも、三つに渦巻く轟が。
アイルランドのとある聖地の洞窟にも、古代に刻印された三つの渦巻きがあるそうですね。

滝から、さらに山を少し上ると、小さな隠れ集落があり、耳の神様と、目の神様が祀られています。
耳、ミミ、三三。目は、渦の中心でもあります。

日本は、本当に神秘の国だと思いませんか。
ひなびた山間部にも、ビルが林立する大都会にも、深く根をはったシグナルが残されているのですから。

ルーツに近いと、なおのこと。
現在、広島ですが…、その暗号の深さに眩暈がするほどなのです。。
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by rupa-ajia | 2007-05-14 16:55 |

とある田舎にて

関西を離れ、海をわたり…、とある田舎の友人宅に来ています。
柳生での用事を大急ぎですませて、脱出!
こんなに早く出てこれるとは思いませんでしたが、奇跡的にすべてが順調に進み、今は、ファンキーな友人一家との再会。

昨今の田舎暮らし事情のよもやま談義。

       おもしろい! 

無限の宝物が隠されている、田舎。

近頃、お客さんを田舎にお迎えするサイドばかりでしたが(当たり前)、ちょっと久々に違う田舎に迎えてもらうと、とても新鮮!(ネット環境先進地域に…、ため息。)

実は、最近、有り難いことに、柳生・大和高原への関心が高まってきているのか、Rupaとしては問い合わせ窓口的な対応が増えてきてました。個々のご希望に合わせたコーディネイト。。

こうやって、違う田舎に来てみると、また別な視点が見えてきて、実に刺激的です。

田舎の可能性を、田舎の人々も、町の人々も、共に楽しめるような時空~。

ただ今、シカ肉を頂いております!
え、Rupaって、ベジタリアンだったんじゃなかったっけ。。。?

縄文人は、心身共に健康な野菜や肉を、感謝していただいていたのです♪
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by rupa-ajia | 2007-05-09 17:21 |

熊野、再生の力

久々の熊野。
何年ぶりだか、はっきりわからなかったけれど、会う人々の意見を総合すると、約5年ぶりらしい。 それまでは、頻繁に熊野に通っていた。
きれいに積まれた石垣や小ぶりな家は、沖縄そっくり。沖縄北部、アスムイあたりの雄大な景観に似ていて、本当に素晴らしいところ。まずは、花のイワヤ神社にご挨拶して、甲斐さんのタコ焼き食べて。

6年、、、それぞれの大きな変化。
熊野の初日は、パッチワークハウスに宿泊。これまた大きく変貌。仕切壁が増えて、壁にはたくさんの絵。
主の武和さんも、、、見た感じが変化。
でも、人も建物も、本質的には、さほど変わってなかったかも。
夜中までいろんな本音のぶっちゃけ話…、共感。

この日は、なんと武和さんの誕生日だった。
めでたい!

翌日は、米も野菜も、全部、自給自足されているご一家を訪問。
田舎で子どもと住んでいると、何故だか未来への不安というものがどんどん消えてくるのだけれど、このご一家は、まさしくその先を行っておられる。
「ちなみにお仕事は?」
「仕事…、いわゆるお金が入る仕事のことかな? 頼まれたことをしてますね。山仕事とか大工仕事とか」
「本当の仕事は?」
「食べるため、生活の中での仕事のことですね。畑と田圃です!」
これじゃ不安がないのは当たり前。
うちらも、食べるための仕事、ボチボチしていこう。
食べるための仕事かどうかはともかく、「本当の仕事」には、不安なんてないのだ!

夕方、山道クネクネ走って、大好きな友人夫婦の家へ。
二人は、私達にとって、熊野の姉と兄だった。

「熊野」と一言で言っても、それは大和高原にしたら、何個分あるんだろう。天理に住んでいた頃、熊野の友人宅巡りは、本当に時間がかかると思ったものだけど、今は山暮らしに慣れたので、熊野で言う「近所の友人」が、車で1時間先に暮らしていても、さほど違和感はない。ややこしい山道だけど、結構、覚えていたので、かなりスムーズに移動できた。

5年ぶりの再会。
第一印象は、、まったく変わってなかった!
でも、一晩、暮らしぶりを見ているうちに感じる、大きな大きな、本質的な変化。
長らく会わない間、彼女に癌が発覚し、いくつかの療法を試したけれど、効果がなく、、、1年ほど前に出会ったとある気功教室に通い始めてから、癌が自然退縮し始めたという。
もともと、こだわりの暮らしをしていた彼らだったけれど、なんだか今は、、、こだわりを超えた、こだわりのなさが、そこはかとなく漂っている。すごく、普通!

『すべては、あなたが治るため』という小冊子をもらった。これが結構、オススメだという。病院や製薬会社からの広告を完全に断り、ただシンプルに、癌になった本人を主役にした雑誌があるらしい。癌になって、新しく生まれ変わった人々が堂々と主張する、誌面。
http://www.naotta.net
そうでなくっちゃ!

そしてその日は、なんと彼女の誕生日だった!
めでたい!

翌日、彼女と一緒に気功教室に行くことに。
息子とワタルは、遊んでくるといって海にでかけた。
教室に行く前に、ある方の見舞いに、病院へ立ち寄った。
80歳代半ば、点滴をされている。静かに天井を眺めるその眼差しは、とても透明で何かを悟ったかのような。。。大きな瞳。

病院から教室へ車を走らせながら、二人でいろんなことを話した。
癌になって、自分の内側を見つめざるを得なくなったこと、
こだわりに囚われていた自分、そのことに気づかせてくれた癌に感謝していること、、、
彼女は、死して、再び誕生したんだ。

気功教室は、とても静かで穏やかで、自分の身心と静かに向き合うことができるものだった。
原因不明の症状で30もの病名がつき、10種類以上の薬を服用していた女性が、今では健やかとしか言いようのない表情で微笑んでいる。先月、癌の手術を受けたばかりだという男性、力強い存在感。
気功体操の後、じっくり時間をかけて太極拳の基本的な動きを教えていただいた。今回の動きは、太極拳のなかでも、最も古く、最も基本的なものだという。
丁寧に、丁寧に、ひとつひとつの動きの意味やイメージを語ってくださる。
昨年の3月、久高島での経験から、もっとも気になっていたのが太極拳とお能の動きだった。
それを改めて、このように洞察、体験できる機会が訪れたことに、心から感謝した。

 何故、私達には身体があるのだろう?

身体が小宇宙であるとしたら、それを通してこそ、大宇宙とつながることができるのだろう。
心と身体が分化する前、太極というよりも、無極であったとき。
母なるカオスの記憶を、もう一度、思い出すことができるだろうか。
 熊野、再生を準備する地
今月中旬を過ぎてから、誕生日ネタが本当に多い。
先日もらった電話の主とも、ワタルと同じ誕生日だということが発覚し、大いに盛り上がった。

つまり、みな、水瓶座だということ。
  水の瓶
  瓶棺 そして 子宮
私達は、死して再び、母なる子宮から生まれ出ることができるほどに、力強い存在だ。そこに火を灯したのは、誰?
その力を忘れてはなるまい。
  地球    その力を
        その恵みを  思い出す
自らの内にある無限のエネルギー
宇宙そのものである、この生命
 内なる光と 外なる光が
   つながり 広がる
 新しき誕生を祝して

   おめでとう
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by rupa-ajia | 2007-01-29 11:18 |