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大和高原の自家用茶、春番


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【大和茶摘女&かみや園」の春番茶】
大和高原の昔ながらの自家用茶、春番茶。「春番(はーばん、はるばん)」と呼ばれ、新茶シーズンの前、越冬した茶が新芽を出す前に枝ごと刈り、茶農家の自家用茶にされていました。

近畿の自家用茶といえば、古くから伝承されてきた紀伊半島山間部の山茶「釜炒り茶」が有名ですが、この春番茶は、茶の産地ならではの「蒸し茶」になります。「自家用茶」への愛が、釜炒り茶と蒸し茶という新旧の製茶を和したのかもしれません。

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大和高原では、玄関におかれた火鉢と鉄瓶で、家の男性が客人に上茶(緑茶)をもてなす風習があります(今は電気ポットが主流)。しかし出荷用の上茶とは別に、玄関奥の台所、竈の茶釜から一日、春番茶の香りがたっているのが、家族の日常の風景でした。
ちょっと体調悪いときには、「春番、飲んどき」が合い言葉。秋番茶よりもさらにカフェインが少なく、健康にいい成分が凝縮された春番は、日々の暮らしになくてはならない存在だったのです。

その愛すべき「春番」の再生にあたってのアドバイザーは、春番に親しんだ世代である都祁の「大西武男商店」店主(大和高原文化の会会員)。90年以上の在来茶樹、長野の桶職人による特注の蒸桶、都祁の森林組合による蒸し台、福井の藁細工職人による筵(ムシロ)、高知の竹細工職人による竹籠。無農薬無化学肥料の自然栽培であることに加えて、自然素材の民具を使うことで、かつての地場産業の奥深さ、「自然と人の関わり」そのものを伝えてくれる、壮大な春番プロジェクト。楽しみ学びながら再誕した「春番」は、実に素朴かつ滋味な味わいです。


4月8~9日の「柳生さくら祭」にて、大和茶摘女さんが、この貴重な春番の桶蒸と茶揉みの実演をしてくださいます。冬を乗り越えたからこその春の味わい、ぜひご堪能ください!

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↑ベルリンやフランクフルトを中心に、欧州で活躍のLowMoneyMusicLoveを主宰するアレクサンダー・サン氏。日本の文化に関心が高く、目下、大和高原で茶仕事をお手伝い中。8日の柳生さくら祭では、「さくら」をイメージして、「さくらさくら」などを選曲してくださるとか。
このアレクサンダー氏のテクノ音楽にて「大和茶摘女パフォーマンス」もされるご予定。湯飲みのヘッドホン、坂本鉄工所(山添村桐山)のキャップという大和高原の最先端の流行を採り入れた装い。楽しみですね!


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by rupa-ajia | 2017-04-07 22:40 | 大和高原(地元ネタ)

大晦日、新たな神霊を迎える火

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 古来、一日の終わりは日没とされたため、一年の終わりは大晦日の日暮れでした。年迎えの本番が始まるのは、大晦日の夕方から。薄暗がりのなか、大和高原と、隣接する三重県伊賀地方では、新年の迎え火行事「福丸迎え」がよく行われてきました。

 家ごと、または数軒ごとに、広場や辻、田んぼ、境内などの決まった場所で(餅やご飯などのお供えをする家も)、松明や藁、竹などに火を灯す。そ
して火が最高潮になった頃、「福丸、こっこー(福の神よ、来い)」と連呼して(唱えない家も)、提灯や松明に移して家に福火を持ち帰る行事です。

「福丸」の「丸」については、福の神や船の名前、「福、参る」の訛りなど、諸説ありますが、私は少なくとも江戸時代に、「福丸」の原型の唱え文句が大和の随所で広まったと考えています(大和高原における、他の年迎え行事、カギヒキの唱え歌から類推)。

 火を通して、新年に外から神をお迎えし、家内に招く祭祀。持ち帰った火は、まず神棚や仏壇など、家内の数々の灯明に灯し、その後、お雑煮をつくるための神聖な火として、竈(現在はコンロ)にも点ける家もあります(お雑煮の水は、山水や井戸水の若水を使用)。

 大和高原で行われる火の祭祀の多くは、いつも山とかかわってきました。年迎え行事の基層にも、山の神の神事がしっかりと根付いています。

 山の神を招き降ろした木に、火を放つことで、火は山の霊威そのものとなるのです。

 年迎え行事の詳細は、家ごとによって非常に異なります。古老たちにお話を伺っていると、代々隣家同士で暮らし、親戚同様に交流する仲であっても、祭祀の違いにお互い驚き合ったりすることが少なくありません。それほどに山の神には秘儀的要素が濃厚なのでしょう。

 正月の一般的なイメージである初々しさや清らかさを超えて、ダイナミックな胎動を生み出してくれる火。
 旧・室生村砥取の「福丸」は、そんなプリミティヴな火のエネルギーを存分に浴びることのできる貴重な年迎え祭祀です。

 田んぼに、竹を約30本、直径2~3mほどに立ててワラで周りを化粧し、夕暮れとともに点火。大和高原各地を探しても、10mの火柱が立つほどの大きな福丸は、ここ砥取以外で見ることができません。

 砥取では、福丸の火で、子どもの書き初めを飛ばす風習もあることから、小正月の「とんど(どんど)」と習合している側面もあるのでしょう。とにかく、この大規模な福丸を長く継承してくださった砥取の先人の方々、そして燈火会として建て直しをされた「砥取 福丸・燈火会保存会」の皆さんのご尽力には、本当に感謝が絶えません。

 現代に蘇った砥取の福丸・燈火会は、地域の方々のみならず、移住者や訪問者にとっても、大きな気づきを与えてくれています。

 まず何よりも、地域の貴重な伝統行事をベースにしていることで、地域の生活文化を発見する機会となっていること。
 そして、かつてアジア諸国で重要視されてきた営み、そしてこれからの日本で非常に重要になってくるであろう営み、「共同作業」の機会を与えてくれていることです。

 江戸時代の日本は、自給自足をベースにした高度な生活文化が築かれた国として、今なお世界に類のない時代として高く評価されています。
 その生活は、大変な労力が必要とされるものでしたが、当時の文献から、「共同作業」によって朗らかに生活を切り盛りしている様子がうかがわれます。

 一人では大変なことも、みんなでやれば「いとも楽しい遊び」になっていく。その神髄を、私たちの祖先は知り尽くしていたのです。

 アジア諸国の家庭内祭祀の真骨頂の一つ、年迎え行事。
 年々、簡素化・廃止される一方の日本の年迎え行事ですが、その忘却に拍車をかけたのは「日本人の大晦日は紅白歌合戦」というマスコミの洗脳でした。

 地域ごと、家庭ごとに多様な年迎えの設えがあった、かつての日本。その根源に燃えさかる、時空を超えて太古から続く生命の火は、まだ完全に消えたわけではありません。

 2012年の大晦日、2013年の年迎え。室生の砥取で、原初の火を分かち合いませんか。
今年は、移住者仲間が多くかかわっていますし、竹アーティストの三橋玄さんデザインのサプライズな竹アートも見もの。龍穴神社のある室生にふさわしい造形作品です。

 大晦日は夕方から、道の駅「室生路室生」(近鉄大阪線「三本松」駅のそば)から随時、会場の砥取の棚田まで、シャトルバスが運行されます。
 早めに来て、共同作業に参加したい方も、大歓迎。到着時間を合わせてくだされば、急行や快速急行が止まる「室生口大野」駅までお迎えに行ける可能性大ですので、是非、事前にご連絡ください。とにかく厳寒ですので、厚着を!耳までかぶれる帽子や長靴がオススメです。

 願い事を紙に書いて、福丸の火に飛ばすのもいいですね(室生では小学校で筆記。上の子は「度胸」と書いたらしい…)。今回、音楽ステージの後にサプライズ、その後、火で餅を焼いて食べながらのフリーセッションもあったりしますので、楽器ご持参、大歓迎~。

 世界の始まりのエネルギーをもたらしてくれる福丸の火

 新しい生命への萌芽を促しながら


17:00~ 地元住民の福丸 点火(家に持ち帰り、灯明点火)
18:00~ イベント開始、挨拶、ライヴ演奏
     マナナ(大和高原:私も参加)
     あべひろえ(京都)
     奈良ジャンベの会(奈良県各地)
19:00~ 福丸、燈火、点火、そして…!
     舞姫と、笛吹童子ならぬ笛吹オカンが。。
21:00頃 終了

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by rupa-ajia | 2012-12-25 17:02 | 大和高原(地元ネタ)

浄化

この季節だけの密かな愉しみ。
夜、用事が一段落すると、家のすぐそばのお気に入りの川原へ。

小川に面している田圃の土手。
潜り込むように入って草の上にしゃがめば、すぐに暗闇と沈黙に包まれて、その時空と一体化できるような気がする。

 誰もいない、ただひたすらに静か。
 小川のせせらぎ、蛙と虫の声。
 浮遊する蛍の光。

ふわりと点滅する光が、時々、思いも寄らぬタイミングで集まり、一斉に光る瞬間があって、そんなときは、ただ涙があふれる。

暗い大地の中に何年過ごそうとも、時が満ちれば地上に再誕し、自ら輝くことを忘れない。

近頃、取材仕事が立て込んだり、なんやかんやといろいろな出来事が押し寄せ、どうしても感情に波風が立ってしまう。
今日も、いろいろあったなあ。

でも、こうやって沈黙と光に抱かれていると、出逢う人たち一人一人が、確かに自ら美しく輝いていたことに気づく。
特に昨日、何年かぶりにじっくりお話ができた彼女は、まさに蛍の光のように幽玄な感じがした。

非日常の夢見と、日常の小さなこととが、等しく大切であることを想う。

もっとシンプルに、もっとあるがままに。
それこそが神秘、「『しないことを』する」力。

思考が昇華し、やがて光が定まる。
沈黙のまま、その絆を伝えてくれる緑色の光。

 ありがとう。
 心の底から、あなたたちが大好きだよ、本当にありがとう。
 一緒にいてくれて、ありがとう。

日常の小さな小さなひとときに宿る、かけがえのない浄化。

明日は、どんな光が待っているのかな。

  一斉に光るとき。

高きトリの地へ。
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by rupa-ajia | 2009-06-15 22:29 | 大和高原(地元ネタ)

本音

このささやかなブログにお目通し頂いている皆さま、いつも本当にありがとうございます。
皆さまなら、わかって頂けると思うのです。
柳生での主役は、柳生の地元の方々であることを。
そして、「柳生さくら祭」は、訪れてくださる方々も、共に主体的にかかわることができる機会であることも。
新規イベントで、地域の20以上の団体が協力しているケースは、そう多くはありません。何よりも、幅広い世代の地域住民が共に集うことを目的に(楽しみに)、お金がない分、人海戦術でキリモリし、文字通り住民が主役となって運営しているのです。

今日は、奈良市内中心地の某所にて、「柳生さくら祭」のプレゼンを3分間だけさせて頂きました。が、質疑応答の時間に、またしても某研究機関の、今度は別な教員のお方から、一方的に無理解なるお言葉を頂きました。「柳生さくら祭」に対する「有名人に依存しないように。住民が主役にならないとダメ」との度々のご公言で、場内に失笑を広げてくださいました。釈明の時間はありませんでした。その言葉を聞いた刹那、(世話になっている柳生に、迷惑をかけてしまった。また柳生が誤解されてしまう)という思いで、頭の中が真っ白。

リアルに「柳生さくら祭」を知る方々にとっては、絶句のコメントです。
千葉さんも甲野先生も、地元の発案でお呼びしたのではありません。無償で来て頂けるというご厚意を、受けさせて頂くかどうか、お言葉に甘えてもいいのかどうか、かなり迷った挙げ句の選択でした。それでも、「春の柳生地区文化祭」というスタンスは変わることはありませんでした。その「文化祭」に、イチ柳生ファンとして千葉さんも参加してくださり、柳生の「人と人の絆、自然」を評価してくださったことが、ただただ嬉しく、身内のように感じることができたのです。実際にお会いしてみると、とても礼儀正しく、謙虚な方でした。
「助成が実現した暁には、甲野先生にお声がけを」との企画は、あくまでも古武術の部門であって、祭り全体の目玉ではありません。しかも今までに2度、来柳してくださっていて、柳生を気に入ってくださっている。柳生の人たちは、一度生まれた絆を、延々、大切にしていく気性なのです。
人に何かを伝えるのは、本当に難しい。地域の方々のことを思って、一生懸命にプレゼン準備をしていただけに、とても申し訳ない思いでいっぱいです。

これから地域活性化にかかわる学問を目指されている、若い皆さまへ。
地域の方々から何かを学ぶには、何よりも謙虚さ、地域の方々への敬意が一番です。そこのあたりを誤解されている指導者が少なくありません。彼らが「フィールド」から立ち去った後、当の「フィールド」でどのように批評されているか、何もわかっちゃいないのです。人に迷惑をかけてはいけません。まずは今、お住いの地域をフィールドにされるのは如何でしょうか。

ストレス発散を続けてしまうことを、お許しください。
昨年度の「調査・観察」の報告書ですが、随所にちらばる誤解の数々。「調査・観察」方法も含めて、不服の旨が出ています。何故、先方チェックをせずに印刷にまわされたのでしょうか。調査団に言わせれば、柳生には飲食店は三軒しかないそうです。そもそも何故、「調査・観察」されねばならないのですか。「執筆陣に地元の方を一人でもいいので入れて頂きたい」と、必死でお願いしました。しかし「客観性が失われるから」という理由で、却下されました。疎まれるのを承知で、本音でお願いしたのですが…(ああ、我が母校が懐かしい。今はどうだか知らないけれど、当時は官僚的な空気に支配されていない、人間くさい教員がほとんどでした)。
とにかく、これからも永遠に地域を守り、継承していく地元の方々を、もっと尊重してください。人知れず、まったく目立つことなく、地域貢献につながる暮らしを普通に送る人々。宮本常一氏の姿勢を参考にしてください。

柳生をはじめとする大和高原には、無数の「名もなき創造者たち」がおられます。
まずは、その方々から学んでください。

「柳生のことは、いつも知識人や小説家ばかりが、作品や文章にしてきた。でもムラのほんまのことは、さほど書かれてない。口では『わかる、わかる』と言うけど、肝心なところは…。柳生は利用されやすいんや。そんなん嫌やねん。ねーちゃん、あんた、ほんまのことを書いてぇや」。このようなことを、何度か言われたことがあります(口には決して出しませんが、地元の方々は、相手が本当に理解しているかどうか、敏感に嗅ぎ取る嗅覚をお持ちです)。でも私自身は、まだ自分には表現できる資格がないと思っています。

山間に暮らす人々の多くは、外に対する発言権を剥奪されているか、放棄しているか、とにかく弱い立場です。
その一方で、知識階級の方々の言葉は、ご当人はわかっておられないようですが、想像以上の影響を及ぼしています。とある村に講演に来られた、件の研究機関の某教員が発した何気ない公言で、某集落の地域活性化がストップし、後退してしまったことがあります。某集落で地域のために長年尽力されてきた方から、無念の思いを打ち明けられて、どんなに残念で悲しい気持ちになったことでしょう。壊すのは一瞬でも、取り戻すのは無限の時間が必要なこともある。そのことを、わかっていただきたいのです。あなたたちはすぐに忘れても、地域は忘れていません。

語っていただくべき方に、語っていただくことができるような、そんな気風を取り戻すお手伝いをしたい。
私たちがもつべきものは、何よりも聞く耳なのです。


追記:柳生に戻ってすぐ、出張中の「さくら祭」某実行委員から電話が。「プレゼン、どうやった?なおちゃん」。悲報を告げる私を、慰めてくださいました。。もう、しゃーない!開き直って、また柳生らしく楽しんでいこう~。この楽観性こそ、地域から学んだこと…。
皆さま、愚痴ばかりならべて、本当に申し訳ございませんでしたm(__)m

追々記:今年の「柳生さくら祭」は、さらに質素倹約を強化したお陰で、地域の方々のお志からなる予算に、ほんの少しだけ余りが出ました(いつも赤字なのに)♪ 毎年、備品とかほんとんど個人購入だけど。毎年、チラシ&ポスター印刷は個人宅に転がり込んでプリンターをフル稼働しているけれど☆ 
初・余剰金は、桜の苗木購入&来年への資金に充てさせていただきま~す!
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by rupa-ajia | 2009-04-18 19:18 | 大和高原(地元ネタ)

虹の聖地

今日は保育園のお母さんたちと一緒に、Rupaにてランチ。 時々、子連れで集まったりしているけれど、今日は平日なので入園前の小さな子どもたちしかいなくて、いつもより静かめでした(それでも、賑やか♪)。

うちの息子は、ごくごく小さな頃から非常にヤンチャな性格で、どこに行っても「元気ね~」と言われます。そのキャラクターは、柳生保育園に通うようになっても相変わらず(より一層…)。
保育園をはじめ、地域の方々は、彼の個性をあるがままに認めてくれています。 保・小・中学合同の運動会でも、「柳生さくら祭」でも、本番で笑いを誘発するような出来事が多々あるのですが、「元気が一番!」と、みなさん、微笑んでくださいます。

保育園では、柳生地区内のお散歩に頻繁に出かけ、いろんな自然に触れあう日々。私たちが行ったことのない所にも、よく出かけていくようで、地区内のことはかなり詳しいのです。
園庭では野菜や米、お花をみんなで育てて、いろいろ教えてもらいます。お米は、田植えから、稲刈り、脱穀した後、玄米をビンに入れて棒で突く精白まで体験します。
「クッキング」の時間には、年長さんは包丁を使いますし、年少さんは炊飯の水加減を教えてもらったり、包丁を使う以外の作業を担当。家で見覚えたことを、保育園でも発揮しているようですよ。

息子は年少さんで、柳生・大柳生・狭川地区合わせて全員で5人。
でも園児全員で過ごす時間が多いため、みんなと仲良しです。こぜり合いやケンカも多々ありますが、次の瞬間にはケロリとして一緒にお遊び。個性を発揮し合い、認め合って、仲良くなっていくプロセスが興味深いです。何故だか、引きずるということがありません。

道で出会う誰もが、笑顔で子どもに声をかけてくれる。
こんな日常を送っていると、「子どもは家庭だけでなく、私自身も含めて、地域ぐるみで育ててもらっているんだ」という感覚が身に染みついてくるのです。
先日、東京から来られた方々のお話をお伺いしたのですが、都会では「首に警報機を下げて登下校している小学生」がいるとのこと。

日本の生活文化の中で、最も重要な要素は、やはり「地域ぐるみで子どもを育てる」感覚のように感じています。
大人の世界はいろいろあって、どんな地域でも、まあ、派閥みたいなものが必然的に生じてくるものです。 しかし、こと子どもに関しては、すべての枠組みを越えて、みんなで守り育てていこうという思いが優先されます。

地域そのものが母であり父であるというネイティヴな感覚。
それこそが、日本の生活文化の原点であり、数々の真摯な祭祀を継承するエネルギー源となったのでしょう。

しかし、このところ、奈良市の東部山間部では、学校規模適正化問題がとうとう具体的に浮上していて、保護者の間で検討会などが開催され始めました。
もう随分と前から「柳生小学校は廃校になるのでは」という話がささやかれていましたが、いざ、具体的な動きが始まり出すと、少子化という事実だけでなく、根本的な事柄を見直さざるを得なくなってきます。

今日のランチの後、お母さんたちのいろいろな本音の結論。
「むやみな統合はやめてほしい。田舎の子育て環境を残していかなあかん。むしろ、町からも通って来てもらえるような仕組みも必要」。「 田舎での子育てが、どんなに素晴らしいか、必要とあらば、どこででも話したい」という力強い意見も。
この「環境」という言葉には、自然環境だけではなく、地域ぐるみで子どもを見守る気風も含まれます。 まさに、「子どもはみんなの宝」なのです。

美辞麗句に聞こえるかもしれませんが、この件に関しては、シンプルにそうだとしか言えない私がいます。
多くの人々に見守られて育ったからと言って、勉強ができるようになるとか、何か得意分野ができるとか、そんな目に見える効果はないかもしれません。
 でも、「生きる力」になっていくのではないか。
 そう夢想するのです。

大和高原には、そうやって見守られ見守り、自給自足の生活を送ってきた個性豊かな人達が、まだまだ健在です。彼らのもつ「生きる力」は強靱ですが、それを言葉にすることをしないために、なかなか光のあたる機会がありません。
敢えて言上げしない気質のために、埋没しかかってきた山間の生活文化。
しかし最近になって、「柳生さくら祭」、そして学校廃校に対する問題意識などなどをきっかけに、外へと声を出すエネルギーが集結し始めているように感じています。 土地を愛する心。
・・・
今、暮らしている土地について、私たちはどれほど知っているだろう。
どこか遠くの神社・仏閣だけが、聖地ではない。  身近な聖地を思い出そう。
先人たち、これから来る人たち、
時空を越えてつながることのできる聖地を。
あまりにもささやかで、あまりにも小さな、
日々の暮らしの中に輝く結晶を。
 その積み重ねこそが、美しい虹を生み、時空をつなげてくれる。
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柳生木炭組合の炭焼窯は、柳生にある大切な聖地のうちの一つです。
先日、町から来てくださった皆さまが、その波動をシェアしてくださいました。
煤まみれの古老たちの背を見習い、窯の周辺で遊び回る子どもらを見守り、窯の内的世界を探検してくれました。ありがとうございます!
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その日の夕方、窯に挨拶に言ったら、炭火で肴をあぶる組合員たちが。
ひょいと手渡されたコップ。で、炭で温めたヤカンの酒をトクトク…。
 「ほれ!」
久々のAさんのお酒に、なんだかまた泣けてきた。
窯で飲むお酒は、どんな銘酒よりも美味しい。
この無口な古老たちは、その存在だけで、里を癒している。
美しい虹を、かけている。

 小さな温もりを思い出して

 今、ここにある聖地を思い出して

 誰しもが、聖地の守り手で、担い手であることを

 
 節くれ立った手が生み出す

 時空をつなぐ七つ橋
 
 子どもたちが行き交う輝きの橋 


 神々が行き来するよ
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写真上:「草笛のおっちゃん」と言えば、このお方。「柳生さくら祭」でも「木炭組合ブース」で、たくさんの葉っぱを準備して待ってます。 手作りの竹杖も圧巻。あ、もちろん、炭もあります!(常に何かを炙ってるハズ)
写真中:炭焼窯の周りで遊ぶ、七角形のタマユラたち。子どもたちと一緒に。
写真下:舞い降りてきてくれた、七角の虹。
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by rupa-ajia | 2009-03-11 22:59 | 大和高原(地元ネタ)

バトン

山添村勝原地区、子どもの伝統行事「涅槃会」。
走っているのは走者たちだけではない。涅槃を囲んで左回りに十三巡り。
時空を超えて、死と生をつなぐエネルギー。再生の春。…詳細は、また近いうちに。
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春の準備というものは、土の下、水の下から、始まるようだ。
今は、なんとはなしに、いろんな準備で忙しい時期。来年度に向けての会議が続いたり、いろんな集いがあったり、その都度、シンクロな出会いの目白押しで、名刺がたまっていく一方。今日は原稿を書こうとPCの前に座したものの、各方面から電話が相次いだ。各々に長時間話し込んでは、それまで待機中だった各々の件が、氷塊するように話が進んでいく。各方面の動きに促され、ようやく春に向けて、私自身も心の準備が始まったような気がする。さあ、これからいろんなことがスタートする。けつまづいたり、転んだり、助けてもらったり。そんな準備段階だからこそ、なおのこと、春が愛おしい。ありきたりの言葉だけれど、「それは必要なプロセスだったんだ」と、何よりも身体が伝えてくれているような、そんな実感が湧く。春だ、春の準備が始まったんだよ。それにしても、すべての準備を包み込む、大地の懐の深いこと!

ところで先日、福岡から突然、ピアニストの友人、てっちゃん(今井てつさん)が来柳。
曰く「昨日、急に関西に行きたくなってフェリーに乗った」。
ドタバタモードを一切感じさせず、すーっと来てしまうところが、てっちゃんだなあ。
昨年末、(1月か2月頃に福岡に行けたらなあ)と、ふと思ったりしていたけれど、結局のところ、てっちゃんといろいろ話したかったんだと思う。 最初、「九州→大阪・南港→滋賀→奈良」というルートを予定していたけれど、急に柳生経由で滋賀に行きたくなったらしい。
で、Rupaに来てみたら、ちょうど榛原からのご一行も来られていたので、みんな一緒に、必然的な話で盛り上がる。榛原・室生・大宇陀の話。

今の私には、なんとなく感じられる。 いろんな里の独特の空気感が。
例えば同じ柳生地区でも、7カ村、それぞれに空気が違う。
柳生と山添では、これまた全然、違う空気だし、山添の中でも、旧3村30大字で、それぞれに微妙に異なっている。
もちろん室生でも、北部と南部では、まったく違うし、そういう話は尽きることがなくて、本当にオモシロイ。 地元人の気質、移住者の気質、その相互関係も然り。
 風土って、やっぱり、すごいと思う。
 しみじみ感じれば、ほんと、地面に額をつけたくなるよ。
 どうしたって、大地とつながっているんだなあって、
 で、ゆっくりと深呼吸したくなる。

2日後、集会所で開かれた学校規模適正化計画の検討会(学校の合併問題)から戻ってきたら、滋賀&宇陀市ツアー帰りのてっちゃんもRupaに帰還していた。
敏感な私には、善悪の範疇を超えるような微妙な感覚について、なかなかうまく言葉にできないことが、山ほどある。 それを伝える術も知らず、無意識のうちに心の中に沈殿させているようだ。 てっちゃんには、表現したいこととは無関係な事柄を気にすることなく、拙いままに伝えることができるので、随分と助かる。
てっちゃんも、朴訥とした語りのなかに、鋭い直感を含ませながら応えてくれる。
ひとしきり内なる情報交換が済んだ後は、薪ストーヴを挟んで、夢のような話を語り合った。
時々、灰まじりの炭を掻き出して、火を起こし、薪をくべる。

夢の中では、やっぱり、みんな笑顔だ。

 笑顔なんだよ。
 みんな、息子みたいに、笑ってるの。

・・・
随分、前の話になるけれど、色川での3日間は、すごかった。
何故、すごかったかというと、ディープな体験そのものだけでなく、おそらく初めて、私と少し似たような立場の人を、少し客観的に見れたからだと思う。
地元の生活文化・自給自足の智慧を、自ら学び、外にPRしようと必死に頑張っている事務局さん。(もちろん、彼女の方が徹底しているけれど!!)
この国で最高水準の学歴をもつ人に対して言うのは失礼だけど、多分に彼女もそそっかしいところがあって、ワタルがびっくりするほど、三枚目的な方向性も私と似ているらしい。(地元とリンクすればするほど、村外との関係においても忙しくなる!)

しかし、それを取り巻く風土は、かなり異なっていた。

故に、地元の方々との接し方も必然的に異なってくる。
その様子も興味深くて新鮮で、それがとても楽しかった。
色川では、道で会う50歳代以下の方々はほとんどが移住者だけれど、柳生では、移住者一家はRupa家のみ。その環境だけでも、またさらに異なる人間関係が生まれる。
柳生に帰ってから、そのことについて彼女にメールしたところ「そのような違いについて、考えていなかった」という素直な感想が返ってきて、それも非常にオモシロイ。

それぞれの地で、流れのなかに飛び込み始めている無数の私たち。
無数の登場人物が現れる、ワガママな夢。
無限の存在が紡いできたスピリットを、次に続く無限のスピリットへと、バトンタッチしたいという欲求。

そして、おそらく私たちは、もっとも無様な走者だ。
不可解な頭の使い方をしているんだろうな。

でも、それでいい。
飛び込めば、いいんだよ。

山裾の地形に沿って、丁寧に積み上げられた棚田の石。
美しくて、愛(かな)しくて、泣けてくるよ。

それぞれの地で、それぞれの美しさを産み出し、
それぞれをつなげていく、それぞれの営み。 曼陀羅。

この風土を舞台に、一人一人が主役になればいい。
無様だなんて気にせず、ひたすら地に向かって、飛び込めばいい。
それがこの島を美しくしてきたんだ。

無様だっていい、滑稽だっていい。
飛び込んでこそ、根が伸び、芽が開く。

この光景のまっただ中に、飛び込んでこそ。

ところで、何がそうさせるんだろう。
何が、勇気を与えてくれるんだろう。

美しくて、愛しくて、泣けてくるよ。

バトンを手渡されて。
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by rupa-ajia | 2009-02-25 17:51 | 大和高原(地元ネタ)

取材現場の開放

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明けましておめでとうございます。
今年も、何卒宜しくお願い申しあげます。

ここ数年、大和高原の年迎え行事を取材したりしていましたので、今年こそ大和高原特有の「味噌仕立てのお雑煮」にしようかと思ったのですが…、無理でした。
二杯目までは、中国地方山間部のお澄ましのお雑煮。三杯目で、大和高原風の味噌仕立てに。やはり幼少時の記憶というのは消せないもの。家庭内祭祀の多様性を感じるには、お雑煮が一番わかりやすいかもしれません。
不思議なのは、幼少時の記憶とともに、お雑煮を口にすることによって、何か新たな力を与えられたような気がすることです。さらに、大和高原風のお雑煮には、土地からのご加護を感じたりもします。食というのは、人が想像する以上の影響を与えてくれるものなのですね。お米やお餅、野菜を送ってくれる両親に感謝しつつ、日々、有り難く食べ物をいただきたいものです(無農薬・無化学肥料による栽培。米を含め、自家採取の種が約30種も!)。

ところで、昨年末から年始にかけて、いつものように、いろいろなことがありました。大和高原の家庭内祭祀を見聞したり、久々に広島に帰省したり、仕事上でも何やかんやとあったり。
とにかく、いろんなことが、つながりながら存在していることが、ますます強く感じられる今日この頃です。
例えば伝統祭祀などにおいては、その行事「のみ」を紹介するだけでは、余計に難解な状況を生み出すようなケースが少なくないように感じられます。ひいては「伝統行事は意味不明で当然」という不遇なる認識が定着してしまう…。意味を確定せずとも、全体的なつながりのなかで表現できたなら、何か見え方・感じ方が変わってくることもあるのではないでしょうか。

仕事でも、企画テーマに沿った原稿が求められます。が、すべてがつながりあっている現実の中から、ごく一部の要素を抽出しなくてはいけないというジレンマは、時として執筆を難しいものにしています。
年明け早々、例によって某地域情報誌編集部より、重要な一文を二カ所、強制削除されたのですが、その理由が「テーマには関係ないから」。
「読者にわかりやすい情報のみ提供すべき」というポリシーのもと、テーマと深い関係をもち、なおかつ、現実の理解を深める一文を抹殺するのは、いかがなものでしょう。

特に家庭内祭祀や家庭料理は、家庭ごと、年代ごとの多様性、背景が幅広く、一概には類型化できないジャンルです。 原稿などにまとめるときに、注意し過ぎるほどに注意しても、なお過ちを犯してしまう危険性が常につきまといます。高度に洗練された学究的な視線よりも、名もなき一庶民の目線の方が、大きなヒントを与えてくれることも少なくありません。
「固定化され抽出された現実は、現実ではない」ということを認識しつつ、それでも消えゆくものを記録しておきたいという、ジレンマ。

その解消法の一つとして、「人から人へと、生きた体験を通して伝えていくこと」を挙げたいと思います。つまり、取材現場の開放です。
原稿を読んで頂くのは、本当に有り難いことです。しかし、もしご都合が許すのならば、なるべくなら大和高原に足を運んでいただいて、直に人々や自然に触れ、感じていただきたいと思っています。

ただ問題は、そのような貴重な場を設定しても、当日、私自身がドタバタとし過ぎてしまい、なかなかスマートなお膳立てができない、ということ。ですので、「取材者の一人、運営スタッフの一人」として、積極的に参加してくださると、なおのこと有り難いのです。得も言われぬ貴重な記録を残すことができるでしょう。
例えば年末恒例の「神野山での餅つき大会」では、「他の餅つき体験と違って、ここは準備から片づけまで、全部、経験できるので、子どもと一緒に毎年、来ている」と、おっしゃってくださる方もおられます(実は、準備不足なだけ:汗)。さらに来年からは、「餅つきの仕方」だけでなく、地元の方々との交流を促すような、ちょっとしたきっかけ作りを考えていきたいものです。
もちろん、静かに佇んでいたいというお気持ちも、十分に共感できますので、交流を押しつけるつもりはありません。取材対象者の方々も、寡黙な方が少なくありませんので(特にアルコール燃料がない場合)。

現場をセッティングするには、おこがましいほどの未熟者の私です。ですが今年は、「珍しい取材現場」の解放を、より一層促進できれば、と思っています。

紙やディスクじゃなくてもいい。魂に記録する言葉を、ともに取材していきませんか。
きっとその記録は、相応しい節目に再生の力を与えてくれるはずです。

あたたかなお雑煮のように。

※写真(左)は、山添村の某家のお雑煮。主役は、里芋のカシラ。お餅は椀から取り出して、小皿に入ったきな粉をつけて食べる。写真(右)は、同村某家の、十二月さんと三日月さんのお供え。三日月の上に載っている「星」は、男性が食べる餅。
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by rupa-ajia | 2009-01-12 16:13 | 大和高原(地元ネタ)

彗星のとどまる処

11月23日(祝・日)【つながりの祭り @Rupa】 、どうぞよろしくお願い申しあげます☆
http://rupa.exblog.jp/i15/   (お食事料金など、一部修正:お安くなりました)
・・・
昨日は、「大和高原文化の会」の皆さんと、バスツアーのお客さん達をおもてなし。
廃校になった山添村の豊央小学校の講堂にて、神野山の聖水で仕込んだドブロク、神野山で育ったシメジを振る舞い、干し柿づくりを体験していただきました。

現在、複数の市町村によって分断されていますが、東山中(大和高原)は、本来、山城、伊賀、甲賀、伊勢、吉野などの周辺山間部とゆるやかにつながる一つの文化圏。
平坦(奈良盆地)と密接につながりつつも、山間部独特の生活文化を創造・継承してきた地域です。
「大和高原文化の会」は、山添村を中心とした70歳前後の地元の方々によって結成された地域起こし・情報発信のネットワーク。 若輩者の移住者の私にとって、古老の方々から多くの学びを得ることのできる貴重な場になっています。
「文化の会」会員の皆さん、ご本人達そのものが、まさに生ける図書館、無形文化財級の方々です。
皆さんとのおつき合いのなかで体感する、知られざる東山中の宝物の数々。

田舎関係のライターとして非常に残念に感じているのは、知名度のある編集部の多くが、移住者中心の取材に傾きがちで、何百年、いや、何千年も続いてきた地域の真摯な生活そのものを企画に盛り込むのを厭う傾向にあることです。

この山間部における「文化」とは、特殊な家元や寺社仏閣に限定されるものではなく、家ごと、地域ごとに再生されつつ継承されてきた「生活そのもの」です。
それはお金を出して拝観・見学するものではなく、身土不二の原則に則って自らが主役となり創造するもの。
 過去と未来をつなぐスピリチュアルな行為。
 地域そのものが庭であり、学校であり、聖地であるということ。
 自然と人の絆の、絶えざる再生。
 それこそが故郷、ネイティヴ・ジャパニーズの精神なのです。
・・・
さて、ツアーのお客さん達が来られる前に、ムシロの上に座って干し柿をつるすための藁縄を作りました。会員の皆さんは、当然のように慣れた手つきで縄をなうのですが、私は…(笑)。でも心底、楽しい!

「文化の会」には、能・狂言の世界では名高い、山添村の春楽社に所属している会員さんもおられ、お客さん達が柿の皮を剥いている間に、袴姿で狂言を披露。
  高らかに謡われる言の葉、ふるまいのドブロク。
大和高原の晴れやかな直会の雰囲気の一旦を味わっていただけたのではないでしょうか。

能・狂言のルーツと言われる猿楽は、大和が起源。
プリミティヴな山人の所作から生まれたとも言われ、まさに大和高原は、能狂言の発祥地である可能性が高いのです。 当地の多くの神社には能舞台があり、秋の大祭には能や狂言、舞いが奉納されます。 この能舞台ですが、私の感想としては、まさに南西諸島のカミアシャギ。
(例:柳生地区の興ヶ原、天満神社の能舞台

ところで昨日は、会員のA氏と、「やまんと」小山さんが、いとも意味深な資料を貸してくださいました。こちらから直接、お借り願いしたわけではないのですが、【魂レベルでのお願い】が、ちゃんと届いたようです。
 A氏からは、「聖武天皇の紫香楽宮遷宮のいきさつ」についての資料。
 小山さんからは、「甲賀忍者と、マリシテン様」についての資料(各々、渡辺俊経氏と前川友秀氏による論文)。 これは、先日の谷川先生の講演会後の交流会で、一部に配布されたもの。
特筆すべきは、後者資料の内容!
柳生への移住と同時に注目してきたマリシテン様ですが、これほど詳細でわかりやすい内容のものは初めてかも。

先日、大和高原に来られた木内さんは、「忍者」に関心があるとのことで、大和高原に来られる前に、甲賀と紫香楽宮を散策されました。
一方、先日の谷川先生の講演の内容も「甲賀や紫香楽宮」が大きなテーマ。
木内さんは宮古島で大きなプロジェクトをスタートされておられますし、谷川先生も「宮古島の神と森を考える会」の会長として、今月の22・23日にはシンポジウムのため、ご自身の第二の故郷とも言うべき、宮古に行かれます。

なんやかんやと、私の中でリンクしている複数のテーマが、またまたつながってきております。
さて、その驚くべき資料の内容を少し、ご紹介。
・・・
●忍者とは、命がけの【情報産業】(身体的技術だけでなく)
・高度な情報収集力(情報判断力と行動力、情報ネットワーク)
・必ず生還できる武力・知力・技術力・精神力(サバイバル能力)
・強大な指揮官なしで、いつでもゲリラ戦に臨める協力体制
(「外部闘争型自治組織」ではなく、独自の【隣人協調型自治権】:大和高原では今なお健在)
・地元での安定した平和な暮らしが、他国に出ても安心して活躍できる基盤を与えた
・理由もなく人を殺める殺人者ではなく、平時は【農業】に従事
・中央情勢に関する高い政治意識と、【鉄や薬草、火薬】などに関する深い技術と智慧をもつ
・忍者とは、修行して【山岳兵法】を身につけ、【情報】を武器として中世・戦国時代に活躍した地侍

テレビや新聞、電話やインターネットのない時代における情報とは(うちもテレビ・新聞はないですが)、要するに【魂レベルでのお願い】をフル活用していたのでしょう。
その背景は、平素からの真摯な日常生活があったと思われます。

そして忍者のルーツ(創始者)としては、大陸由来という説以外に、以下の説が伝承されています。
 ・スサノオノミコト説
 ・聖徳太子説

次に、もう一つの論文のテーマは「マリシテン様」。柳生でも(特に柳生新陰流と長谷川流棒術で。陰陽師もですね)深く信仰されてきた女神です。
Rupaの近所にあるマリシテン山は、私たちの移住当初、草むらになっていて訪れる人もほとんどいない状態でしたが、昨年の「柳生さくら祭」の折には、マリシテン様の記念碑が建立され、俳優の千葉真一氏の立ち会いの下、除幕式まで開催されたのでした。

目には見えない陽炎(かげろう)の神格化であり、日月の光の象徴であるマリシテン様は、太陽神を先導し、大地に光明をもたらす神として崇拝されてきました。

そして甲賀忍者の間でも、絶大な信仰の対象となっていました。
昨日お借りした論文には、甲賀忍者の系統にある複数の家で保持されてきた古文書の、マリシテン様にかかわる忍術、秘法、呪術がかなり詳細に掲載されていました。シンボルや印、呪文までもが記されており、ここまで公開しても大丈夫なのだろうか、、というレベル。
その詳細を見るに、複雑な秘法のベースが、聖徳太子にかかわるものであることは自明です。

かつ、柳生町のB家に継承されてきた言い伝えや古文書と同様、鞍馬の牛若丸もかかわっているとのこと。 「牛若丸は大柳生で誕生し、柳生で生後しばらく過ごした」という伝説があることから、この流れが、柳生~甲賀とつながっていることも想像できます。

ところで、主な秘法が残されている甲賀忍者の系統であるC家のルーツは、諏訪。
「甲賀の英雄、甲賀三郎が、地底遍歴の末に蛇体に姿を変え、観音の力を得て人間の姿に戻り、諏訪大明神として祀られた」という「諏訪の本地」という伝説があります。
甲南町や水口町に祀られている諏訪社などにも、甲賀三郎の伝説がしっかりと残されているのです。

C家での言い伝えは、「祖先、三郎は、信濃佐久郡の城主で、近江の甲賀での戦功を認められ、諏訪大明神を甲賀に勧進し、甲賀の土豪となった」というもの。
確か、木内さんは長野の佐久市にお住いでしたでしょうか。

ちなみに、この伝説にかかわる龍蛇神は、諏訪、大和の三輪、山添村の神野山、出雲、宮古島に共通するテーマ。 甲賀の忍術、柳生の古武術にかかわる秘法は、かなり広範かつ古層のルーツをもつのかもしれません。

さて、お借りした論文の最後は、甲賀の油日神社のマリシテン信仰と、その源泉となった聖徳太子信仰の関係で締めくくられていました。
ちなみに先日、木内さん達は、大和高原訪問の前に甲賀の油日神社を参拝されています。
油日神社は、蘇我と物部の戦いにかかわった聖徳太子による創設とされています。
神社の縁起は以下の通り。
「蘇我と物部の合戦に加わり、聖徳太子を守護することを誓った翁が、太子から通山大明神(油日大明神)との神号を得て、観音からマリシテンへと変化する。 太子は、この油日大明神から得た鏑矢で、物部守屋を倒し、大明神を日本無双勝軍神と讃えたという」

女神、マリシテン様の出現を機に、武神として語られるようになった「油日神社縁起」の聖徳太子。
「太子、両州の軍術を示す。守屋対峙の後、忍の一名を得たり」
物部と蘇我の合戦で勝利したことによって、「忍」の名を得、兵法書を伝授されたという太子の伝説。
つまり甲賀忍者の底流には、聖徳太子崇拝をベースとしたマリシテン信仰が深く根付いていたのです。

ところで私は、物部と蘇我の一大決戦地跡のど真ん中で誕生しました。 生まれた病院の敷地には巨大なイワクラがあり、その前は守屋の墓、すぐ近所には太子ゆかりの大聖勝軍寺があります。

 苦渋の選択をされた太子の本意は、如何に。
 その心を、忍の者たちは、感じていたのかもしれません。

  馬屋で生まれた御子
  聖母マリヤの御胸に抱かれて

  東方の三博士が目指すは

  彗星のとどまる処

   大倭、新嘗の祝福
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by rupa-ajia | 2008-11-18 00:34 | 大和高原(地元ネタ)

梅の香

f0018942_19572018.jpg11月23日(祝・日)【つながりの祭り @Rupa】 、どうぞよろしくお願い申しあげます☆
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(お食事料金など、一部修正:お安くなりました)
・・・
ところで先週末、有り難いことに友人が伊賀まで車を出してくれたお陰で、民俗学者の谷川健一先生の講演会に参加することができました(本当に本当に、ありがとうございます!!)。
数え88歳のご高齢ながら、季刊『東北学』などで刺激的な論文を次々と発表されている谷川先生。「確か柳生で食堂をしていましたよね」と、私と息子のことも覚えてくださっていて、その記憶力に脱帽!
講演テーマは「木津川と杣人」でした。
平城京や紫香楽宮などの造営に際して材木を供給してきた山間地についてのお話。
この講演で、私の中に再浮上してきたのが「聖武天皇」でした。

天平12年9月に、藤原広嗣が大宰府で反乱を起こしたのを機に、突然、東国に行幸を開始した聖武天皇。 10月26日には平城京から姿を消し、伊賀、伊勢、美濃、不破、近江をめぐり、恭仁京、紫香楽京、難波京とわたり、5年後に、ようやく平城京に帰還。
加茂の恭仁京に入るまでのルートをネットで調べてみると…、
 奈良県都祁村10/29→ 三重県名張市10/30→ 三重県青山町11/1→ 三重県白山町11/2→ 鈴鹿市11/14→四日市市11/20→ 多度町11/25→ 岐阜県養老町11/26→ 垂井町12/1→ 滋賀県山東町か米原町12/6→ 彦根市12/7→ 八日市市あたり12/9→野洲町か守山市12/10→大津市12/11→京都市山科区12/14 …と、三重・岐阜・滋賀・京都とぐるりとまわり、12月15日に恭仁へ入ったとのこと。

列記すると、とってもややこしいルートのように思えますが、実はこの流れは、柳生に住んでいると、どこも比較的、行きやすいところです。
東山中に住むようになって以来、移動はどこに行くのも「山道」経由が当たり前になりました。理由としては、ただ信号がなくて便利というだけでなく、古くからの必然的な流れがあって、ついついそこに乗っかってしまうというような感覚です。
そうした目で山々を俯瞰してみると、柳生から四方八方に延びている山道が見えてきます。おそらくそこは山部(やまべ)や忍者など、歴史の裏側で活躍してきた人々が日常的に使っていたルートなのでしょう。
聖武天皇が平城京を出発してまず東山中(大和高原)に入り、そこから青山町、白山町、岐阜に入ってから湖東へ行ったという道中。そこでは、かなり意味深な作業がなされたに違いありません (私達も、柳生から中部方面への往来に、信楽・彦根・岐阜ルートを利用します)。
そして平城京に還る直前に、造営を目指していた「紫香楽宮」では、何か大きな仕掛けが意図されていたのかも。
2010年の「平城遷都1300年祭」に向けて動きが始まろうとしている奈良県ですが、奈良時代、聖武天皇の5年間の旅も忘れてはならない要素のように感じています。

…また話が脱線しました。谷川先生の講演に戻ります。
先生は、講演の最後に、【紫香楽宮から平城京へ】帰る前の聖武天皇の心情を、せつせつと語られました。 そして「朕、天下に大謝すべし」という聖武天皇の勅語を先生が朗読されたとき、私の中の何かが、ふわっと解けたような感覚になりました。

 奥に垣間見えるのは、聖徳太子。
 そう言えば、最近出会った2010年塾のY氏も、聖武天皇のことを熱く語っていたなあ。
 それに先日、Kさんたち、大和高原に来る前、紫香楽宮と法隆寺に立ち寄ったそうだし。

そんなこんなで、柳生に帰って紫香楽宮のことを考えていたら、先日、紫香楽宮に行ってきたという友人から電話が。 「紫香楽宮」から、沖縄のスダチまで、けっこう長い話になったのですが、全体的な印象としては「もう近い。もうすぐ!」という感じでした。

さて、谷川先生の講演会の翌日は、「風人の祭り」への委託販売と、京都の「ゆにかる祭」の出店だったのですが、、寒かった!
「ゆにかる祭」では、夕方から南米の儀式的な唄と太鼓が始まって、案の定、私も吸い寄せられて随分と踊ったり歌ったりしてしまい、最後には「プチ・やまうと」みたいな感じで、褌の人々がいてもおかしくないような状況まで盛り上がっていました。 会場は、平安神宮の前、岡崎公園だったのですが。

そんなこんなで、出店続きの日々に、ようやく一区切り。
翌11月10日には、11/23「つながりの祭り」で演奏してくれることになった、大好きな友人達が音合わせでRupaに来てくれました。

想像を遙かに超える、強烈なまでの素晴らしさ!
こんな贅沢を一足早く味わえて、ほんとに極楽でした。。
しかも、その素晴らしさは「演奏」だけではありませんでした。
みんなが帰ってから、息子が「男5人、女5人いたね」と、ポツリ。
 そう。
そこに集ったのは、「演奏者と聴衆」、「大人と子ども」という枠組みを越えて、ただひたすらに楽しんだ「5人+5人」。
2歳の子どもから、50歳代の国府さんまで、みんなあるがままに時空をシェアし、音の響きに身を浸し、いっぱい遊んで、一緒に食卓を囲み、他愛もない話題で盛り上がり、夢を語って。
そのこと全部が、楽しかったのです。

ところで音合わせの日、最後に、ずっと気になっていた曲を、タイトルも知らずに国府さんにリクエスト。
その精妙な響きが広がった途端に、確かに時空が変化したように感じました。
 漂い広がる、得も言われぬ香り。
 その曲の名は、「Spring Flower、梅の花」
   何かが開こうとしている。
   何かが生まれようとしている。

みんなが帰ってから、メールをチェックすると、神野山と関係の深い、ある友人からメールが届いていました。ある年の七夕、神野山に来てくださったご縁です。
柳生のRupaに「梅の花」の響きが広がっていたちょうど同じ頃、なんと彼女は自らのスダチの作業を行っていたのでした。

 スダチとは、生まれ直し。新たなる再生。
 今生で、本当の誕生を自らの意志で選択すること。

梅は、生む、生まれること。
5枚の花弁、紅白の梅が一つになって、
 どんな実を生み出してくれるかな。
  つながりのなかで。

紫香楽から、平城へ。 道中、369号を通って、柳生にも是非、お立ち寄りを。

 柳生、卯(東)の日の 新嘗のお祝い。
 紫(太子)の香り楽しむ 平らかな和。 
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by rupa-ajia | 2008-11-13 19:43 | 大和高原(地元ネタ)

卯月の終わりに

まぶしい光に輝く緑。
田の苗もしっかり根付き、自然も人も、いよいよ活気づこうとしている山里。

来週開催予定の観光協会総会の出欠の葉書を出し忘れていたため、昨日の夕方、事務局のある柳生藩家老屋敷に葉書を持って行った。
まずは柳生八坂神社にお参り。鳥のさえずり、小川のせせらぎを聞きながら、静かな山道や田畑の脇を行くこと数百m。お手軽な散歩コースとも言うべき近所の道なのに、3歳の息子と手をつなぎながらゆっくり歩いているだけで、江戸時代の親子になったような気分に浸ることができる。笠をかぶった着物姿で、ちょいと杖なんぞ持っているイメージ。
家老屋敷の門をくぐる。「さくら祭」で共に実行委員をしてきた門番風情のA氏に葉書を渡し、大保八坂神社の話で盛り上がる。大保ではアニミズムの香り濃厚な土着の伝統祭祀が、まだ続いている。その話を今度、B氏に聞きにいこう。

で、またのんびりと息子に手を引かれつつ山道を歩いて帰る。道中、彼の発する他愛ない質問が妙に意味深で、一人歩きのときよりも、景色のずっと細かいところまでが目に入る。木立の向こうの息づかいのようなものが、よりリアルに迫ってくる。

帰りはマリシ天山に上がり、正木坂道場と対面しながら、里の全景を見下ろす。
これが、世界だ。

何気ないこのひとときこそが、時空を超えた自分を広げてくれる。
イマジネーションは日常の中に。触感を経由して魂へと直結する、空間の広がり。
現実が常に神秘な自然そのものであった、そんな古を想う。

・・・
今日から裏の「しょうぶ園」が開園して、庄屋脇あたりの空気が一変。
Rupaがオープンして以来、毎年6月に来てくださるご夫妻と再会。
毎年、息子のやんちゃぶりを笑ってくださるのが、私たちにとっても成長を見直す良い機会。

・唐突ながら、「今日のメニュー」
 手作りの皮の野菜ギョウザ
 甘いカボチャ(無事、越冬)とスナップエンドウ(スナップエンドウとヒヨコ豆のディップ添え)
 手打ちの冷やしうどん(天日干しぜんまいと薄揚げ、さやえんどうのトッピング)
 豆腐のしょうが焼き(新玉葱とアサツキのお浸し、満願寺トウガラシ添え)
 コンニャクと天日干しエリンギ、ウドのきんぴら
 クスクスとナス、アスパラ、パプリカの中近東風和え物
 ソラ豆の梅肉あえ
 紅芋とユズの黒糖煮
 ヤーコンの味噌漬け
 大根の酢漬け(古漬け)
 羽間農園の古代米入り玄米
 38種ブレンドの薬草茶+羽間農園の天日干し手作り番茶
 エチオピア産の野性のコーヒー+ハワイ産のフレーバードコーヒー(マカダミアナッツ風味)
(有機玄米は広島の実家産、野菜は実家産・地元産・自家製・自然採取、小麦粉は北海道産、全粒粉有機小麦は、実家産・実家製粉)

今月は、夏至の21日と22日に、山添村の神野山にて一泊二日のディープなツアーを実施することになった。多くの流れがシンクロし、「水と光」をテーマに集うことになったスタッッフたち。
詳細は明日あたりアップの予定。いざ、水と光の源流へ、是非、ご参加ください。

毎年6月は、「しょうぶ園」のお膝元、という感じで庄屋脇にべったりという状況だったが、今年はいつもとちょっと違う。
夏至の日までに、生駒の宝山寺(柳生とは深い縁が)、湖東の彦根、和歌山の白浜(彦根と白浜は柳生をはさんで直線上)に行く取材や出店などがある。どれも水のかかわる意味深な訪問になりそうな予感。今は節目の時なのだと思う。節の第一段は、彦根から宝山寺に向かう、旧暦五月五日の来週末から週明けか。

古の人々は、ひとかたならぬ思い入れや意味を旅に付与していたのだろう。
「ちょっと出張に、ちょっと遊びに行ってくる」、きれいなパッケージにシールを一枚貼り付けたような旅からは想像もできないような、深淵な世界に飛び込んで行ったのだと想像する。

包みを開き、時空の息づかいを吸い込む
神秘へ続く道は、この日常のただ中から始まっている

水晶山に木霊する

 鶯の声
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by rupa-ajia | 2008-06-01 17:06 | 大和高原(地元ネタ)