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足下のスピリチュアリティ

明日は、美杉の仲山神社の奇祭の取材。 あさってからは2泊で、那智勝浦の色川地区。
両方、とっても楽しみな取材で、ウキウキしてます。
・・・
私たちは、美しい島国に住んでいますが、 そのことについて学ぶ機会は、あまりありません。

ところで今日たまたま、とあるサイトを見ました。
「地域プロデュース」を手がける、ある株式会社の事業を紹介するもの。
「かけがえのない地域づくり」と称して、関西のとある過疎地に、「乳牛の牧場」を建設する事業でした。
同区画に建設したバイオガス発電施設は評価できるのですが(風力発電に関しては再考の余地アリかも)、牧場はどうかしら?…と、個人的には思ってしまいます。
しかも「かけがえのない地域づくり」と銘打っておきながら、その会社は、関東地方の別な過疎地にも、ほぼ同様の事業を展開しています。
手描きのレイアウトマップは、癒し系っぽい、ほんわかテイスト。
企画者は、山奥には何もないと思っているようですね。山の神などの祠(山の神は、祠がないところが多いですが)は移動させてしまうのでしょうか。どうやら、また別な過疎地にも同じ事業を展開していく予定のようです。

私は、こういう話を耳にしても、まったくワクワクしないんですよ。
ダメなんです、ごめんなさい。雑誌などでは話題になるんでしょうが、取材する気にはなれません。
以前、訪れた沖縄の久高島でも、貴重な原生林が切り開かれて、牧場が建設中でした。カミンチュたちが、とんでもなく怒っておりました。 「神々が怒っている。久高のエネルギーが乱れていく」と。 上記サイトを見て、、いろいろ思い出してしまいました。

日本では、牛と言えば、「田畑の働き者」でした。
赤子からお年寄りまで、牛の乳を飲む習慣は、ほとんどありませんでした。
東山中(大和高原)の、60歳代後半以上の人達にとっても、そう。
多くの農家で、牛が大切に育てられていました。
「平坦(奈良盆地)との間で、牛の貸し借りをしていた時代が懐かしい」と、よく耳にします。
ちなみに柳生木炭組合の若手、Hさん(50歳代)は、小学生の頃まで、家業が博労でした。(博労とは、牛や馬の売買や手配に従事する人)
当時、子どものホセキ(おやつ)は、すべて芋や栗、柿、すり焼き(しきしき、しりしり:小麦粉を焼いたもの。小麦も油も自給)など、自給自足でまかなえるものでしたが、唯一、自給していないものは「ソラマメ」でした。 昔の東山中は冷え込みが厳しく、ソラマメが育たなかったのです。

なのに何故、ソラマメを食べることができたのか。
それは、平坦での田植えが終わって、牛が東山中に帰ってくるとき、牛の背に、ソラマメがどっさり、くくりつけられていたからなのです。 平坦の農家の方々の、心遣いですね。
ソラマメを背にのせ、ちょっぴり痩せて帰ってくる牛。
出迎えた家族一同、さぞかし、いたわってあげたことでしょう。
麦をどっさり炊いて、ねぎらってあげたことでしょうね。

・・・
ネイティヴなスピリットが残っているエリアに足を運び入れるときには、どこまでも、どこまでも謙虚になって、徹底して耳を傾け、大地にひれ伏してでも、「体験」の海の中へ飛び込む許可を得ていきたいと思います。
一見、残っていないように見えて、奥底から伝わる息づかいに、思わず振り返ってみたくなるような土地も少なくありません。
 何百年、何千年にもわたって築きあげた、人と自然の真摯な関係。
 そのスピリットを感じるには、どうすればいいのでしょう。

私達は、とまどうばかりに美しく、奥深い島に住んでいるのです。

ところで那智勝浦に、「色川百姓養成塾」を運営している友人がいます。
私は、彼女の志に深く共鳴しておりまして、心底、尊敬しています。
http://blog.goo.ne.jp/irogawa100sho
彼女のベタなところも大好きなんですよね!!

彼女が企画した事業に、「むらの教科書づくり」があります。
http://internevent.blog70.fc2.com/blog-entry-24.html
この参加者募集の告知文、本当に素晴らしいです(以下、引用)。

  水、食べ物、日用品にエネルギー・・・
  日々のくらしに必要なもの、何から何までお金で買わねば、
  1日たりとも生きられないのが、現代日本人の「あたりまえ」。

  けれど、つい数十年前まで日本中の田舎で
  自分達のくらしは自分達の手でつくりあげるのが
  「あたりまえ」だったはず。

  輸入に頼らなくても、お金に頼らなくても、
  そのときそこらへんにある資源で生きていける、
  百の仕事をこなす知恵と技術と根性を持った人々。
  敬意をこめて「お百姓さん」と呼びたいと思います。

  時代の流れのなかで、その価値は見失われて
  「お百姓さん」は今や絶滅寸前、
  そのくらしの舞台である「むら」も「限界集落」などと呼ばれ、
  全国で消えゆこうとしています。

  それでも、今なら、まだ間に合う。
  「お百姓さん」と呼べるお年寄りが元気なうちに、
  その生の声をきき、彼らがくらし守り続けてきた「むら」の
  記録をまとめ、この国の大切な財産を受け継いでゆく
  プロジェクトを計画しています。 (引用終わり)

そう、今なら、まだ間に合うんです。

  今しかないんです。

「身土不二の食」の必要性が叫ばれる一方で、「身土不二の生活文化」や、「身土不二のスピリチュアリティ」からの声は、あまりにも、あまりにも…。
遥か遠い国からやってきたスピリチュアリティに対しては、いろんなカリキュラムが組まれ、お金を払いさえすれば、誰もが触れることができる今の日本。

 この島で継承されてきた智慧は、お金で買えるものではない。

赤子から古老まで、一人一人がかけがえのない神役を果たしていた時代。
家々の台所や厠、イロリや縁側、軒下やニワが、祭祀場だった時代。
戦の最中にも種を蒔き続けた人々、流浪の踊りをやめなかった人々、
そんな底知れぬエネルギーに満ちあふれた島だからこそ、美しかった。

 そこにあるのは、ただ生活。
 アートとスピリット、笑いと涙と汗、喧噪と静けさ、混乱と調和に満ちた、 美しい生活。

1年チョットぶりの色川~。黒潮の恵みを受けた山里にて、老若男女、志をシェアできる仲間たちと、語り明かしてきたいです!
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by rupa-ajia | 2009-02-10 23:46 | ライターの仕事

あこうくろうの刻に

久々の日記です。
昨日は、地元の垣内(カイト)、ショヤワキの忘年会で、昔話に花が咲きました。ここ5年間で恒例になった「ショヤワキ忘年会@Rupa」を準備する度に、いよいよ年末という感じがします。

多くのことがあって、師走もいつも通りドタバタと過ごしてはいたのですが、どちらかというと「静」のイメージでいろいろ動いていました。個人的には、12月上旬は生死を感じ、想うとき。今年は友人の旅立ち(「月の庭」のマサルさん)があり、息を引き取る日にマサルさんや彼の仲間たちと貴重な時間を体験することができ、また多くの気づきを得ることができました。

ところで今月に入って、「獣害に悩む過疎地」の取材があり、県内の集落に足を運んでいました。
「獣害」ときいて、眉をひそめる動物愛護主義の方々も少なくないと思います。主義主張はさておき、実際に現地では想像を絶する状況になっています。
広葉樹の伐採・針葉樹の植樹による、山の荒廃と、絶滅の一途をたどる野性生物については、よく話題に上ります。しかし変貌を遂げた山の環境によって、人と野性動物の棲み分けが消滅し、従来の境界域において、猿と人の立場の反転すら起こり始めていることは、さほど知られていないかもしれません。自給率の向上に寄与すべき中山間地域の実状です。
昨年、大台ヶ原を取材した折にも、鹿の増加が大きな問題となっていました。

40年もの間、育てた野菜の9割以上を猿に荒らされ続けても、それでもなお、数々の種を蒔き続ける古老。
その表情には、諦観を超えて、まるで野に咲く花のような温かさと美しさが、確かにありました。おおげさな表現かもしれませんが、彼らのような古老の前では、プロパガンダや机上の理想をかざす気にはなれません。決して目立ちはしないけれど、ほのかな明かりを灯し続けた、彼らのような祖先のお陰で、私達は生命のバトンを頂くことができたのでしょう。

ところで、「Rupa」という言葉の、大好きな意味をご紹介。
Rupaは、イタリア語で「メスの狼」という意味です。
ローマの初代の王様を育てたのがメスの狼だというのは有名な話ですね。

私は密かに狼が好きで、大台ヶ原の原稿を書いたときも、最後は狼の話をかなり書いてしまいました。大台ヶ原を開山した古川嵩は、大台ヶ原での修行中、つがいの狼に守られていたそうです。日本の霊性が弱まった原因の一つに、日本狼の絶滅があると、私は本気で感じています。バランスが崩れ、守護の力も弱まったのですね。

お時間のある方は、是非、とある村の昔話をご覧ください。
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/folktale/folktale.htm
狼が頻繁に登場していますが、決して恐ろしいだけの存在として描かれているわけではありません。

さて、取材の翌日、A山に行く予定にしていました。
国道から脇道に入り、何度も蛇行する山道を上って辿り着いたのは、陸の孤島、桃源郷のような里。静かな静かな、秘境の里でした。
高齢化率77.4%という、高齢化の極地にある集落にて、とある作業を見聞していました。作業に参加できる働き盛りの方は全員で5名。60歳代一人、70歳代2人、80歳代一人。そのうちの最高齢の方が、今年の8月まで、5年間、A神社の宮司を務めておられたとのことで、いろいろとA山のお話もお伺いしました。

この5年前まで、公表の難しい、深刻なトラブルがA山で多発していました。それは何というか…、私の感想としては、人の傲慢さがそうさせてしまったというか…、とにかく地域の生活文化をまったく無視したリーディングで、重要なポイントを、イベントのように軽々しく触ってしまったことによって、長年にわたって保たれてきたバランスが一気に崩れたような感じです。それも必然だったのかもしれませんが。

私は、その頃からA山に行くようになったのですが、ここ5年近くは、さほど足を運んでいませんでした(昨夏、久々に武和さんと一緒に行きましたが)。噂では、トラブルが絶えないため、5年前から村人によって選ばれた村民が宮司になるようになって、以降、落ち着きを取り戻したという話を聞いたことがありました。

前・宮司さんと、神社ではなく、長く住み続けている彼の故郷、生活のなかでお会いできたのは、非常に幸いなことでした。遠路はるばる聖地に出向くことはあっても、途中、土地の古老の話をおうかがいできる機会はさほど多くはありません。

取材主旨からは外れますが、保健所で殺されそうになっていたハスキー犬をもらってきて、飼っていたら、その犬が猪、鹿、猿を追い払ってくれていたそうです。
「いつも必ず神社のあたりまで追い払ってから、戻ってきたもんや。人には、ほんまに優しくてなあ。有り難い犬やった」 。
ハスキー犬には、シベリア狼の血が流れています。
縄文時代、犬(狼)だけが、特別丁寧に埋葬されていた理由を垣間見るような思いです。

「わしは、畑にA神社のお札を下げとるよ。Aさんは、オオカミじゃから…」 と、前宮司さん。
かねてより、A山には狼のイメージがありましたが、やはり。
残念ながら、ハスキー犬は昨年、大往生をとげてしまったため、今年から獣害が一気に増えたとのこと(原稿には書けないんですが)。

 狼のスピリットが、この里を守ってくれますように。

その日は、ムチャチョさん宅に泊まり、非常に深い話になりました。何年ぶりの再会だったか、もう思い出せないほど。ふと思いついて急に電話したのに、仕事を中断してまで迎えてくれました。
ムチャチョさんは彫刻家&庭師でありながら、罠で鯉や猪を捕り、自ら料理する縄文人そのものな人でもあります。 かなり寡黙な人ですが、必要なときには言葉を選びながら、非常に意味深な発言をしてくれます。しかも、ここまで正直に言葉を使う人は、そう多くはないんじゃないかな。
狩猟について、生死について、豊かさについて。
ムチャチョさん一家の暮らしぶりから、まだまだ多くの気づきがあるように感じています。来年もまた会うことになりそうです。
(ムチャチョさん宅は、口コミで民泊をされています。スピリチュアルなアートが好きな方にはオススメです。詳細は、Rupaまでご連絡ください)
翌日、ムチャチョさんの案内でかなりレアなポイントを巡ったあと(これまた、非常に意味深な処)、車でA山に。 少し前に夢で、とある事柄を教えられていましたが、その場所がA山でした。 最近の一連の出来事とのかかわりのなかで、見えてきたもの。

盛りだくさんな短い旅の後、柳生に戻ったら、狩猟採集民のSちゃんが遊びに来てくれて、今度は鴨と烏骨鶏の解体の話に。
最近、鳥の解体を頼まれることが続いたとのことで、その心境を切々と語ってくれました。

肉を買って食べることのない私ですが、植物も尊い命であるし、そこまで真剣に向き合い感謝していたかと問われると、はなはだ疑問。。
最近、みりこさんの翻訳による「プラント・メディスン・スピリット」を拝読して、植物の魂について考えていたところでもありました。

その数日後には、神奈川の友人から突然、電話。1,2年に1回ほど、一緒に重要な地を巡ったりすることになる彼女。いつも、シンクロな話題で電話してくれます。
電話で開口一番、「オオクチノマカミって知ってる?」。
大口真神(オオクチノマカミ)とは、狼のことです。

遠方ばかり訪れる彼女に「今、住んでいる近所の川のちょっと上流に、大切な場所が」と、以前、伝えたところ、すぐに重要なポイントを発見。そこに度々通っていたところ、最近になって、ふとしたきっかけで、その奥地を発見し、それが大口真神の祠だった、とのこと。 そばには、鳥獣供養塔。
植林地ではない、小さな小さな原生林のような処。そこは、頻繁に足を踏み入れる処ではない。特別な用事がない限り、行ってはならない。 そのエリアの、最奥の聖域。

狼や熊が示唆すること、自然への畏怖。
生きとし生けるものすべてへの敬意。
里と奥山の間には、里山があり、そこは人と動物たちとの緩衝帯であり、交わりの場でもありました。 でもその先は、動植物たちが主役の世界なのです。
動物たちの世界が狭まり、里山が姿を消しつつある今、里が緩衝帯になってしまいました。
野性動物との棲み分けという、果てなき中道を選択してきた祖先は、今の状況をどう見ているのでしょうか。

人と動物の世界を超然と往来する狼のスピリット
アコウクロウの時空から、どこへ導いてくれるのだろう

 最奥の聖地で、そのカシラを拝する者よ


・・・
さて突然ですが、またお知らせです。

12月30日に山添村、神野山の森林科学館で、年末恒例の餅つき大会が行われます。
国府さんのピアノ演奏もありますよ~♪  飛び入り演奏、大歓迎です!!!

朝10時から蒸したり搗いたりの繰り返しで、何時から参加してもいいのですが、私は早めに行って、山添村のお供え餅について取材をする予定です(餅つき大会の助っ人のおばちゃん70歳代に)。
大和高原には、一般的な鏡餅だけでなく、星&三日月とか、小判型とか、オッパイとか…、いろんなカタチのお供え餅があるのです。興味ある方は、私の取材に便乗してしまうのがオススメです。 (正月2日には、別なお宅にお邪魔して取材する予定)

大和高原で今も行われている家庭内の年迎え祭祀には、土着信仰のスピリットが凝縮されています。
ご興味のある方は、奈良か大阪か東京の主要な書店にて、現在発売中の奈良の季刊誌『naranto冬号』の、「ふるさとの味探訪:お雑煮」の拙文を立ち読みしてください。編集部のグルメ方針からますます乖離している私の原稿。バブリーな(?)表紙写真からは想像もつかないような内容になっております。
編集部のクレームに耐えつつ、妥協しつつ、字数制限ギリギリいっぱいに、大和高原の家庭内の年迎え行事について執筆しました。
火の神事「福丸こっこ」と、水の神事「お水取り」のスピリットを和合させて調理し、神々にお供えし、それを下げてからの直会が、お雑煮です。山添のお雑煮は、かなり独特で、興味深いですよ。

…と、また話がそれました。
餅つき大会で、「一緒に自分ちのお餅も搗きたい!」という方は、前日から水に浸けておいた餅米をご持参ください。 餅米が準備できない場合、森林科学館で1升800円で準備できるようなので、至急、Rupaまでご連絡ください(表向きには、実は「天狗っ子倶楽部」の行事なので、こっそり急いで、ご連絡を)。

餅つき大会の後は、これまた恒例の「やまんと忘年会」。
いつもは健ちゃんちでしたが、今年は小山さんが神野山の近くに引っ越したので、今回は小山邸です。 料理と鍋の具材は持ち寄り。手ぶらの人は、会費千円。
いつもの「やまんと」ノリで、ベタにガンガン盛り上がります。 しばらく「静」でいたので、30日は「動」で。

 ああ、年末!

さてさて正月、小正月、旧正、立春…。
ハザマの時期が、しばし続きそうです。

 紅逢黒逢の刻

 再生に向けて
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by rupa-ajia | 2008-12-29 02:44 | ライターの仕事

独り言

このところ、取材と締め切りが続いていまして。
もちろん、都会に暮らすライターさんに比べたら、断然マシなんでしょうが。

先程、ようやく修羅場を越えて原稿を送信。
5分後、一番書きたかった段落を2つほど削除されてFAXで帰ってきました。
最後の段落を丸ごと消してしまうとは、なんと大胆で、なんとアンバランスな。
悔しいという思いはなく、ただ、哀しいです。
某誌編集部はグルメ志向。ぱっと目につくページがいいようで。

私の敬愛する大和高原の、最重要な伝統祭祀に関する原稿。
字数制限がますます厳しくなってきて。そうでなくても書きたかったことの10分の1ぐらいしか表現できていないのに。たとえばステーキとかパスタとかの、照明使いこなして非現実的なまでにヨッタ写真を、あともう少しだけ小さくしてもらえたら、ちゃんと掲載できるんです。

 自由に書きたいなあ。

感じたことを、あるがままに、書きたい。


こんなにも真摯に生きてこられた方々が、外にはまったく沈黙したままで世界から立ち去ろうとしている。あなたたちの大地に根ざした生き様は、まったく振り返られることもなく、なかったことになってしまうのだろうか。

私たちは、あまりにも有名な人たちの言葉ばかりに耳を傾け過ぎた。
聖域は、足下にあるんだよ。

 ああ、行かないで、名もなき偉大な人たちよ。

どうか、その愛すべき後ろ姿だけでも、伝えさせてください。

神様。



いや、  お兄ちゃん、おばあちゃん。
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by rupa-ajia | 2008-09-29 23:14 | ライターの仕事

名もなき創造者たち・2

 最近、特に注目しているのは「お年寄りを含めた地元の方」だ。高齢化が進むここ柳生では、ありふれた日常の風景と言えるだろう。その光景は、一見、井戸端会議に近い。ところが、この土地でお話をお伺いしていると、拝聴を通り越して、ひれ伏したい気持ちになることすらある。

 決して威厳たっぷりというわけではない。むしろ地味で目立たず、口数は少ない。しかし、ゆっくりとした所作からにじみ出る謙虚さと信頼関係、そして、眼差しの奥に光る優しさに触れると、もうそれだけで心が満たされる。地元の方々が集うときに漂う、なんとも陽気な、微笑ましいとすら言える空気感。お腹の底までじんわり広がる温もり。

 時折、夢想することがある。今ここに、皆さんのご先祖たちも共に来られて、おしゃべりを楽しまれているのだろう、と。祖先を大切にし、農業のかたわら古の風習を継承する。何百年にもわたって続けられてきた日常生活が、底の底まで染みこんでいる土地。挨拶ひとつ交わすだけで、何か穏やかな響きが足元からも伝ってくるような気がする。
 ここにいるのは、今、目にしている相手だけではない。その人の背後に連なる、目には見えざる無数の存在に対しても、挨拶の意を伝えたくなるのだ。

 移住者でありながら、この山村風景を安堵の思いで眺めることができるのは、何百年にもわたって同じ景観に心休めてきた、先人たちの存在があるからなのだろう。
 ある意味、ここの里人たちは、死んでも生きている。風に揺れる梢に、石仏に生えるしっとりした苔に、薄暗い山の細道に、そして何よりも子孫たちの心のなかに。

 極言するなら、今後、私が拝聴していきたい相手は、そんな目には見えない無数の存在だ。
 その多くは生涯、無名であったことだろう。畑仕事に精を出し、お地蔵さんに祈りを捧げ、花を手向けてきた人々。遠い誰かに知られることもなく、静かに続けられてきた日常生活。大地そのものと一体化し昇華された、人々の鼓動。
 私たちの生命は、本当はこのような名もなき存在たちに支えられているのではないだろうか。地霊とも、カミサマとも呼んでもいい。それらは、崇め奉るだけの対象ではなく、日常生活を共にする親しき存在なのかもしれない。大地とつながり感謝と共に生きるならば、旅人や余所者であっても、きっとその波動を感じ取ることができるはずだ。

 日々の暮らしで感じるささやかな喜びは、決して自分一人だけのものではない。

より大きな存在とともに、私たちは生きている。
それこそが、幸せの本質だ。

 このことを体感させてくださった柳生の皆さんには、どう表現していいのかわからないほどに感謝している。東山中、柳生での日々は驚愕に満ちている。
 今夏、広報にはさみこまれて、町内の地蔵盆のチラシが届けられた。疱瘡地蔵の写真の下に書かれたお知らせ文を読んだ刹那、思わず手を合わせたくなった。
 素朴な民俗行事のなかに、実は壮大な宇宙観が込められているのではないかと、常々感じる。それはまさに、今に生きる人と人の絆、過去と未来の絆を再生し、創造する行為。その直感が、いとも見事に表現されていたのだ。このような言葉で地蔵盆を知らせる土地に暮らせるとは、なんと幸せなことだろう。折々に柳生の奥深さを教えてくださる、雅号“白羅布”さんが書かれたその文章を、最後にご紹介したい。

 私たちは、宇宙生成にかかわっている。
 だから堂々と、幸せになろう。

 そして世界に宣言したっていい、
 「光あれ」と。

 名もなき創造者として。

・・・以下、白羅布さんによる告知文

「この地球のかけらは、はじめはただの岩。それが数百年の数千数万人の『祈りのあつまり』となって、風や土や水を生み私たちの営みを見守り育て上げてくれています。

この村が好きだとみんなが思う。そん な集まりを、いつものようにおこないます。
豊かな自然と豊かな隣人愛に囲まれて育っていることのうれしさを、子どもたちとともに感じ取りたいと思います。みんなできてください」
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by rupa-ajia | 2008-01-22 20:31 | ライターの仕事

名もなき創造者たち・1

年末年始にかけて、多くのことがありました。

祭祀、伝統行事の見聞、我が家での出来事など、それらを列記したら、あまりにも長大なことになってしまいますし、今はインプットの時として、アウトプットはもう少し先にします。

とにかく、この地の魂の一端に触れ、驚愕と畏敬、歓びと希望を感じています。
日本は、そのような島なのです。

結局、神野山から美しい初日の出を拝むことができたのですが、実は、まだ本格的な年明けという感じがしていません。

ここ柳生でも、年末年始にかけて、重要な(少なくとも私の中では)出来事が起こりました。いつか書きたいと思っていますが、それは長年にわたって蓄積してきた、この地の役割というものの象徴でもあるように感じています。
地元の方々も口に出さずとも感じていることでしょうが、唯一の移住者である未熟な私などには、まだまだ整理のつかないことです。

 つつましくも逞しく、そして、美しい。
 日本人の本来の姿を、目の当たりにしております。

今月上旬には、熊野の那智を訪問。
「色川百姓養成塾」を取材させていただいて、事務局の春原さんと意気投合!!
http://blog.goo.ne.jp/irogawa100sho
春原さんたちとは、今後も交流を続けていきたいと思っています。
世界最高水準の循環型社会だった日本。
その心を何としてでも、次代に継承せねばなりません。
ゼロに戻るのではなく、ぐるりとまわってスパイラルにスタートさせるのです。

そして大和高原での活動の必要性も、日に日に高まっているのを感じています。
複数に企画を提出しなくてはいけない状況になってきているのですが、インプットの状態を通り越して、立ち止まり再考するような、そんな気分になってきていて、なかなか動けません。。

妊娠中で言えば、臨月。そんな感じでしょうか。
あと少し、待っていただきたい。
新しい生命のために。

立春。

この、待っているという感覚は、何とも言葉にしがたいものがあります。

でも待ちつつも、準備は始まっています。
昨日は、深いご縁のあるo神社にご挨拶にいきました。
ここのところ毎年1月は、o神社に参拝した後、宮司さんの有り難いお話をお伺いするのが恒例になっています。

今年の参拝は、非常に深いものでした。
いよいよ、という感がします。
オオクニトコタチノオオカミサマ。
くじ引きは、十八番、大吉でした。

ここの宮司さまは、本当にスゴイ方です。
いつも、やられてしまいます。 今年も、見事、撃沈(詳細は略)。
和歌や掛け唄など、古の美風であるダジャレの世界へと、ものの見事に誘ってくださるのです。

今年はネズミ年ということで、「子」に関するお話を、たっぷり。
今年の元旦は、「子」の日にあたったそうで、これはとても珍しいことだそうです。正真正銘のネの年なんですね。
それと、女の子の名前に「子」がつくのは、とても意味深いこと。
女性には「子宮」があるから。とても大切な言葉だから、女性にふさわしい漢字だそうです。「子」にまつわるお話をお伺いするうちに、やはり、象徴的な意味として、妊娠というイメージがきました。

毎年恒例、お札と暦、車のお守りを購入したところ、またしても、数々の有り難いお宝をくださいました。 大黒さんとえびすさんの熊手、自然薯、ミカン一箱、野菜いっぱい、卵いっぱい…。

地のもの、天になるもの、新たな生命を宿すもの。

昨年末には、境内で採れたシイタケをどっさり送ってくださったり、ここの宮司さまは、まさに大黒様。
今年はネズミ年ということで本領発揮。大黒様パワー、全開です。

最近、ずっと熊手の話をよくしていて、前日も当日も、クマデの話ばかりしていた私。
で、神社で熊手を頂いたので、ますます確信が深まります。

最後に、これも!と言って、ポンとくださったのが、「子」マークの入った黄色い長財布。箱には大和神社の印。
前日、Rupaに来てくれた友人と、ちょうど財布の話をしていました。「新札は折らずに使うといい」という友人の言葉に、「黄色い長財布があったらいいね」などと、安直な話をしていたのです。

こんな未熟者の私達に、ここまで親切にしてくださる宮司さまご夫妻には、どんなに感謝しても感謝しきれません。
南西諸島との本来の絆を復活させてくださったo神社。
ネの年の今年、いよいよ本領発揮ということで、心が引き締まります。

今年の節分は、鬼は内。

年明けの準備をせねばなりません。
どのようにすべきか。

   私は、まずネをはり、伸ばしたいと思います。
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by rupa-ajia | 2008-01-22 19:19 | ライターの仕事

森の声

『naranto(奈良人)』という奈良の季刊誌があります。
そこで連載コラムを担当させて頂いているのですが、実は、他にも民俗学的な原稿も書かせて頂いています。「民俗学的」と言っても、編集部から提示されたテーマを、自分で民俗学的に展開させているだけなのですが。
貴重な紙を使った雑誌をわざわざ購入して頂いている以上、その誌面でしか読めない内容にしないと、自然にも読者にも申し訳ない…。常々、そんな思いで執筆させて頂いております。ネットで流布している言説をコピー&ペーストしたかのような「リライト原稿」だけは、できる限り避けたいのです。

私は人生のほとんどを奈良県民として生きてきましたので、奈良の専門誌とも言える『naranto』には、他誌よりもねばり強い態度で書かせて頂いています。表だって民俗学的に仕上げることはしていませんが、与えられたお題に、目立たぬようにそのエッセンスを盛り込むようにしています。地域情報誌の特集企画ならではのカラーを出すためにも。
「民俗学」という言葉を使うと難しく聞こえてしまうかもしれません。要は、「その土地で長らく続けられてきた自然と人との真摯な関係性、そして、その心」を、盛り込むように心がけているということです。事実の提示だけに留まらず、その由縁や意味、つまり心をお伝えしたい。
しっかりと奈良の大地に根を張るような、そんな記事ですね。

今、発売中の『naranto秋号』では、コラムの他、「大台ヶ原」についての原稿を書かせて頂きました。原稿内容はともかく、何よりも写真が素晴らしいので、多くの皆様に、ご覧頂きたいと思っています。1泊2日の取材では、初日の朝まで台風が大荒れ。大台ヶ原方面は通行止めでしたが、私達が進むにつれ、通行止め解除。直前までの大雨のお陰で、実に瑞々しい大台ヶ原を撮影することができました。カメラマンの澤地さん、素晴らしい!
特集最初の見開きは、「地の龍と天の龍が対面している」壮大な写真。この撮影地点、ダイジャグラに到着した途端、急に太陽が顔を出し、視界が急に広がりました。そして、ダイジャグラでの撮影が終了した途端、再び曇天に戻りました。

ここは、聖地なのです。

ところで今回も、「大台ヶ原」というお題だけ頂き、内容はこちらで構成させて頂きました。良いか悪いかは抜きにして、とにかく、今までどの紙媒体にも取り上げられてこなかった大台ヶ原の顔を、ご紹介することができたのではないかと思っています。

取材から帰った翌日。一日中、家で泣いておりました。
刻々と退縮している大台ヶ原の自然。その現実と対峙して、ただただ、無性に涙が出てくるのです。身体は柳生にあっても、心はいよいよ森の最奥に入っていったのですね。
涙を出し切った後、改めて意識を大台ヶ原に集中させました。
深い森の波動を感じながら、その声に耳を傾けてみました。

それは、とても静かな世界。

私が「民俗学的ファンタジー」と称してきたものの最奥にあるもの。
何があっても揺るぎない、大いなる力。人智を離れた、その精妙な感覚を表現したい。

…その結果が、今回の拙い原稿です。(他誌と締め切りが重なり、連日の徹夜でしたが…)
もし宜しければ、是非、お目通し頂けると幸いです。

数々の素晴らしい写真から放散される原初の氣を、存分に感じて頂きたいと思っています。

  森の声が聞こえるとき
  私の声が聞こえる

  森の最奥に木霊する産声

  密やかな 私の声

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by rupa-ajia | 2007-09-20 18:27 | ライターの仕事

陶器神社Ⅲ ~蔵のご開帳~

ふっと、…一息。
やっと、柳生にいる時のような感覚で歩くことができる。
大樹を通して、この神社の境内だけが、スカッと天空とつながっている。

まずは、坐摩神社と陶器神社にお参りしたが、なんだか、神様用の建物の方はお留守のよう。陶器神社の本殿の扉は固く閉ざされ、お手水には蓋がされていた。とにかく、ここに来れたことに感謝しつつ、陶器神社の向かいの通り、せともの町筋に向かった。
今回の目的地、「つぼ善」さんこそが、陶器神社の奥の院。

「つぼ善」さんが編集部に電話をくださったわけ。それは、私が担当した原稿の陶器神社の由来に誤りがある、ということが一番の理由だった!それで、お店に到着後、真っ先に謝罪させて頂いた。今回、非常に有り難かったのは、その誤りを指摘するだけでなく、私めを呼び出してくださったことだ。そのことが、私にとってどれほど価値あることか、この後、痛感させられることになった。

ご主人が、奥から古い箱や資料の束を出してくださった。ガラスに焼いた古い写真ネガや、ボロボロの新聞記事、幻の「陶業時報」のバックナンバー、数々のメモ書きやリストなどが、小さなテーブルの上に広げられた。あまりにも多岐にわたる資料に、思わず沈黙が広がる。私のごとき素人は、順序を乱さないため、極力手を出さない方が懸命だ。が、「どうぞ」と、直接見せてくださった。

03年11月に行った取材を思い出すと…。今は途絶えた「せともの祭り」についてお伺いしようと、せともの町筋の一軒に入った。そこで「同じ並びの、つぼ善さんに聞いて」と言われた。お伺いすると、休店日だったのか、シャッターが閉まっていた。私の怠惰で、再度、日を改めなかったことから、今回のような事態を招いてしまった…。
原稿を書くにあたり、参考文献として、大阪市の歴史関連書籍数冊、新聞記事のほか、メインに坐摩神社から頂いた、陶器神社発行の由緒書き、を使わせて頂いた。ところが、この由緒書きを始めとしたすべての文献が、もとをたどると、すべて「つぼ善」さんのところにあった資料に行き着くらしい!

ところが、どこかで大きな誤解が生まれていた。
今、陶器神社本殿の中には、火防愛宕将軍地蔵がいらっしゃる、と思われている。
愛宕将軍は、火除け・防火の守護本尊で、京都の愛宕山や清水寺が総本山。

産経新聞(なにわの語りべ:某大学教授)「陶器神社は、信濃橋付近にあった愛宕山将軍地蔵がはじまり。甲冑姿の馬に乗った地蔵さんで、あちこち転々とした上で、ここに落ち着いた」
毎日新聞「江戸時代前期、陶器商たちが守護神として仰いだ陶器神社」
由緒書き「嘉永の頃、愛宕山将軍地蔵を祀ると伝えられ、当初は靱南通にあったが、明治40年、現在地に移転」
大阪の歴史関連書、数冊:上記を踏襲(より簡潔な表現)
それらを参考文献にした私の原稿「嘉永年間に愛宕山将軍地蔵を勧進して祀ったのが始まり」

「つぼ善」ご主人も、上記の如く、ご神体は将軍地蔵だと思われていたらしい。
が、ある時、不審に思って、店にある資料を調べてみた。すると…、

ことの始まりは、江戸時代、山田さんという人が横堀川から拾った、石の地蔵さまだった。

その地蔵さまは、明治初年、靱南通りから立ち退きになった後、山田さん一家と一緒に京都に引っ越していた。
一方、明治5年、信濃橋では、火と土と水の神と愛宕将軍地蔵を新たに勧請して陶器神社が創設された。その後、明治40年に現在地に移転。

世間では、靱通りから信濃橋、そして現在地に至るまで、それはそのまま将軍地蔵さまの移動ルートだと思われている。

だが実際には、愛宕将軍地蔵さまが存在したことは、一度もなかった。
陶器神社が生まれた信濃橋には、もとの地蔵さますら、存在したことがなかった。

しかも、もとの地蔵さまを寄進したいという、山田さんの子孫の申し出を、陶器神社は断っていた。それで、桃谷の地、お稲荷さんの境内に祀られることになったものの、第二次大戦中もしくは戦後しばらくの間に盗難に合い、現在のところ、行方不明のまま。社紋も、鳩から三つ巴に変わってしまった。

…。

さらに、かつて賑わいをみせていた頃のせともの町筋の様子が、貴重な資料の解説と共に、「つぼ善」ご主人の口から語られていった。
その移ろいは、ご主人のお祖父さま、善右衛門さんの人生にそのまま重なる。陶磁器の文化・科学・交易などなどに関して、多岐にわたる記事を掲載し続けた「陶業時報」編集人。大戦中も、大八車に数々の資料を積んで疎開先に逃れた、熱き人。戦火ですべての古きものが失われた大阪の町にあって、この善右衛門さんのお陰で、せともの町筋の資料だけは残った。
武士の血を引く善右衛門さんこそが、火伏せ愛宕将軍さまのような人だったのだ。

「つぼ善」ご主人の切実な願いは、亡き祖父が残してくれた貴重な資料を編纂し、出版や展示などで後世に伝えたい、とのことだった。しかし、この膨大な資料は、目を通して整理するだけでも何年もかかるだろう。
これらが、博物館のガラスケースの中に並んでいる様子が思い浮かぶ。それだけで、一つの博物館ができるほどの量と質。しかし、その陰に秘められた、人生をかけてまとめた執筆作業や、大八車での逃避行、炭箱からの発掘などの、長い長いプロセスは、展示されることはないだろう。偉人となったドラマの主役たちは、ちょっとかしこまった感じで、人々から眺められることだろう。

ご主人の語りは続く。目の前に、在りし日の善右衛門さんが立ち現れる。
戦前まで大阪市内に100以上あった窯を訪探し、丹念に記録する姿。せともの町筋に関する古文書を探す姿、朝5時から「陶業時報」原稿を清書し、音読しながら校正する姿…。

私達は、博物館で知識を増やすのと同時に、その心を学ばなくてはいけない。

ご主人の生の語りは、最高の資料だ。
学びは、モノだけでなく、人との触れ合いが伴ってこそ、最高のものとなる。これは、古代から脈々と続けられてきた手法だ。私は、感動して取材中にベソをかいてしまうことが、よくある。今回は取材ではないけれど、密かにウルウルしていた。

残念なことに、陶器神社に関する連載が掲載されている号のみ、「陶業時報」バックナンバーが欠けている。とある本の出版に際して、外部に貸し出した際、紛失されてしまったという。

歴史とは、数々のドラマやモノたち、神々の、紛失と再創造のプロセスでもある。
閉じられた扉の前で、私達はまったく異なるものをイメージして拝しているかもしれないのだ。
その中で、私達がもつことのできる誠実さとは、一体どのようなものだろう。

善右衛門さんの生き様は、確実に、今のご主人に伝わった。そのことによって、ご主人は世界をまたにかけた、波瀾万丈の人生を送った。

一子相伝。
これこそが、とり得るべき最高の誠実な態度なのかもしれない。両親から、私は何を学んだだろう。息子に、私は何を伝えることができるだろう。

「つぼ善」の蔵は開かれた。いかめしい甲冑姿の将軍様は、もういない。そこには、激動の時代を生きた、等身大の人々の息づかい。
今できることは、何だろう。玉手箱の煙にまかれて、白髪の爺になってしまう、その前に。
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by rupa-ajia | 2006-01-14 21:20 | ライターの仕事

陶器神社Ⅱ ~人混みの中、一人で歩く~

1年半ぶりに、電車に乗った。
しかも、一人で。

1年半というタームがあくのは、もの心ついて以来の経験。少なくとも、年に数回は電車に乗っていた。中学生になってからは、毎日、のべ2時間ぐらい電車に揺られていた。仕事や旅で、新幹線や飛行機、船にまで、当たり前のように一人で乗っていた。当たり前のように。

通常と異常の感覚は、互いに入れ替わりながら、刻々と変化し続ける。

出産という、野生の感覚を取り戻す体験の後、四六時中、野性的な赤子と共に過ごす日々。駅やコンビニまで、車で30分近くかかる、静かな田舎。この山間部では、小学校に上がるまで、電車に乗ったことがない、という子供達も少なくない。
私はペーパードライバー。もちろん、産後も何度か取材に行ったが、パートナーに現場まで車で送ってもらい、取材前後に授乳、というパターン。天理への買い物にしろ、イベントにしろ、私が行くということは、赤子も一緒ということで、すぐに一家総出の行事になってしまう。財布なんかを忘れた日には、サザエさんのように愉快な出来事ではすまない。

11日、大阪市内に行く用事ができた。「車で近鉄奈良駅まで送るぐらいなら、大阪市内まで送る」、と亘。ということで、また一家総出の行事になった。
私が現場にいる間、二人には吹田市の「モモの家」で待ってもらうのはどうだろう…。と、思った途端、健ちゃんから電話があり、11日に「モモの家」に行く、という。電話を置いて、ネットでmixiを見たら、「モモの家」の、ぎのさんがコメントを書き込んでいてくれた。久しぶりにPCを開いて、その日はRupaの日記だけを見てくれたらしい。

これは、「モモの家」に寄らせてもらうしかない!

神野山でつくった鏡餅を積んで、いざ、吹田へ。
久々の「モモの家」。この、のどかな家は、赤子にとっても天国。その日は、健ちゃんをはじめとする、農的暮らしをする若者たちが集っていたから、早速、みんなに相手をしてもらって、超ご機嫌。それで安心して、サザエさんのように、「いってきまーす」と、家を出た。

が、一歩、出た途端、一人で町を歩くということ自体、久々であることに気が付いた。
いろんな町を一人、ただひたすら歩くのは、むしろ大好きだった。が、この1年半あまりの静かな田舎暮らしで、どれほど感覚に変化が生じていたかが、痛いほどわかった。
いつも車の窓から見ているコンクリの町を、実際に歩く。パッチワークみたいな道の表面を見ていると、結構、楽しい。周囲は、知らない人ばかり。信号が変わろうとする前に走る、という行為は、ゲーム感覚。

亡き祖母が、初めて大阪や東京の町に出たときの驚きを、度々、私に語ってくれたことがある。奥出雲の山奥から大阪に就職した私の父。息子の誘いで実現した、物見遊山。当時は、テレビもない。江戸時代的な生活環境から、いきなりの大都会。生まれて初めて見る、大群衆。もちろん、信号も初めて見るものだから、突然、動き出す群衆の波にびっくりして、横断歩道をわたりそびれてしまった、という。

彼女の孫が、今、それを追体験している。

駅に着いた。同じ場所に並んでいるというのに、何種類もの切符の自動販売機があって、どれを使うかを選ぶのに、少々時間がかかった。乗り換えボタンがたくさんあったが、知らない単語は無視して、乗るべき路線だけを瞬間的に選ぶ。
試しに駅のベンチに座ってみよう。ちょっとした冒険。なんだか得した気分になるじゃないですか。昼間から、いろんな人達がいて、なんだか、ワクワクしてくる。電車がきたので、急いで乗った。
なんと、暑い空気。コートも脱がずに、よくこんな空間にいれるもんだ。運転手が見えないし、存在が感じられない。同じような景色が、あまりにも受動的に流れていく。流れのない、息がつまるような空気の中でじっとしていると、どこかに移動している実感がなくなっていく。人口密度は、極めて高い。お互い知らないままでいよう、と固く決意したかのような、知らない者同士。
こんな大きな乗り物を見たら、うちの赤子はどんなに興奮と緊張を繰り返すことだろう。でも、この乗客たちを見たら、何よりも不思議に思うかもしれない。どうして遊んでくれないのだろう、と。

電車が地下にもぐり始めた頃から、急に緊張感が高まった。これは、動物的な勘としか言いようがない。本能的な部分が、「ここは危険だ!」というサインを送ってくる。乗り換えのために地下鉄の駅で待っている間も、早く地上に出たくてたまらなかった。
出口を求め、非常階段さながらに、急いで地上へ出た。

振動をともなう轟音。埋め立てられた運河の上の、高速道路。水平な道を、滝のように車が跳んでいく。何台もの車が失踪する様は、巨大な龍のよう。しぶきを浴びないように注意して道をわたり、当面の目的地・目印である神社へ、大急ぎで駆け込んだ。
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by rupa-ajia | 2006-01-12 22:36 | ライターの仕事

陶器神社Ⅰ ~水の神&火の神~

2004年12月に出版された、『大阪力事典』(創元社)という本がある。
大阪ミュージアム文化都市研究会 編、橋爪紳也 監修。

2003年の終わり頃だったと思うが、フリーの編集人である知人から、執筆の話がまわってきて、奈良県民ながら、私も原稿を書かせて頂くことになった。
すでに項目などが決定している段階。企画一覧の中から、書けそうなもの・書きたいものを選ぶようにとのこと。「神社関係なら…」と思い、リストを見てみると、有名な寺社ばかり。
そのなかで、唯一、初めて見る名前の項目があった。同じ敷地内にあるのだろうか、その項目だけ、二社一組になっている。

とても、気になった。

サブタイトルならいざ知らず、境内摂社や末社、または合祀された神社が、タイトルとして同等の扱いを受けるということは、なかなか珍しいのではないだろうか。普通だったら、どちらかがメインの座を占めるに違いない。合祀のために移転された神々というのは、引っ越し先では、たいがい、形ばかりの小さな祠を準備されることが多い。

神社そのものというよりも、その二社の神様同士の関係が、気になる。

人間と同じで、神様も引越を余儀なくされることが多い。たいがい、人間サイドの都合によることがほとんどだが、人間と同じように、神様も、昔いた場所を懐かしく思われたりもしているようだ。きっと、この二社の神様達も、引越を重ねてきて、今、共に寝食(?)を共にしているに違いない。原稿1本のなかで、神社2つ分を関係づけて書くというのは、書き甲斐もある。これが、神様達の慰めにでもなるのならば!

坐摩神社と陶器神社。

この二社をめぐって、宮司さん達から話をお伺いしたり、資料を頂いたりしながら、二社の変遷をたどって市内を歩いた。やはり、驚くべき神様達の関係が判明した。

数奇な運命の下、背中合わせに建つ、水の神と火の神だった。

水の神がもともと座していた石町の跡地には、イワクラもある。この関係性のおもしろい話は、是非、『大阪力事典』でご覧ください(長くなってしまうので…、すいません)。
神様の舟に乗ったような、とても不思議なご縁に恵まれた、楽しい取材でした。

ところで、こちらの火の神を祀っているのは、神様の目の前にならぶ「せともの町筋」の陶器店の方々。昔は150軒ほどあった陶器店も、今は5店ほど。実は、そのうちの老舗「つぼ善」店主の御崎さんという方が、『大阪力事典』の陶器神社の記事を見てくださり、私に会ってみたい、とのご要望を編集部に寄せてくださった。

なんと、「つぼ善」さんの蔵には、今はどこにもないような、江戸時代から戦前ぐらいまでの、極めて貴重な資料が大量に眠っているらしいのだ。
そのお宝が、火ならぬ、日の目を見るときが来たのだろう。
電話で話した編集人の知人によると、それだけで本が一冊はできそうなほどの話らしく、一度、大阪歴史博物館の学芸員の方と一緒にお伺いしてみよう、という話になった。…が、結局、風邪を引いてしまったため、その日、私は同行できず。
その時の様子は、話だけでも、ものすごいボリュームで、歴史博物館で企画が組めるほどの内容だったらしい。しかも、多岐にわたる内容で、何年かがかりで取り組まないといけないかもしれない、とのこと。

そして本年、1月11日。いよいよ、蔵の扉が開く…。
11日は、おりしも、鏡開き、蔵開きの日。楽しみですねー。白い煙がモクモク…、なんちゃって(玉手箱のイメージになってきている)。

今度こそ、私も参ります(おもしろがっている:仕事と思っていない)!

      ※『大阪力事典』の原稿のシメの部分だけ、引用※

水と火はエネルギッシュで恵み深い存在であると同時に、一歩まちがうと災害を引き起こす危険な存在でもある。しかし、今一番大切な要素としては、両者が共に、浄化と再生のシンボルであるということだろう。
 バランスをとるかのように背中合わせにして建つ2つの神社。水加減、火加減をとりながら、新たな時代を渡っていきたい…、そんな大阪の希望を象徴しているように思えてならない。
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by rupa-ajia | 2006-01-09 22:15 | ライターの仕事