取材仕事や個人的な用事が山積してしまい、かなりあわただしい日々が続いている。
7月に入り、時代的にも個人的にも、いよいよ大きな過渡期に入ったのを感じる。 あさっての、吉本有里さんのコンサート&シェアリングも、大きな過渡期をシェアすることになりそうで、ご参加を表明いただいている皆様お一人お一人に、深いご縁を感じている(↓まだ余裕がありますので、ピン!と来られる方は是非ご参加くださいませ)。 http://rupa.exblog.jp/11276803/ ところで、あさってのテーマ「陰陽和合と再生」に関して、七夕にからめてイメージを広げてみたい。実は、少し前から降りてきている、七夕のイメージがある。 七夕と言えば、天の川にはばまれて、年に1回しか会えない彦星と織姫の神話が一般的。 でも私が感じているイメージは逆で、天の川とは、陰陽和合の中心に誕生しているものの象徴。 つまり、彦星と織姫のエネルギーが和合したからこそ、そのハザマに強烈なエネルギーが出現し、流れが生じているという感覚。 川はむしろ、異なる両者が和合している証。 地上に投影するならば、それはフォッサマグナ。 東西のエネルギーのハザマに生まれるフォッサマグナの「翡翠」は、再生の象徴である鳥、「カワセミのつがい」という意味を持つ。翡(雄)翠(雌)。セミもまた、再生の象徴。 陰陽和合の奥深さを熟知していた縄文時代。 再生のエネルギーに満ちた翡翠を重視し、それで勾玉をつくるということは、縄文人にとって当然のことだったのだろう。 翡翠を身につけるということは、陰陽和合~再生、つまり、時空を超えたエネルギーとの一体化。 七夕は、悲劇的神話ではなく、生命エネルギーの蘇りと活性化を意図した陰陽和合の霊的作業が行われた日だったのかもしれない。 陰陽和合を成すための橋がかかり、柱が立つ日。 中国の神話では、彦星と織姫が、夫婦となって楽しい日々を送ったために、仕事がおろそかになってしまったというプロローグがある。 しかし本来、陰陽和合のエネルギーが生まれれば、日常の仕事はむしろ潤滑になっていくように思う。 つまりは、為政者たちの意図的な神話のコントロール。 その陰陽和合の鍵になるのが、二人の飛翔、アセンション。 シンボルは、羽、鳥。 日本には、中国とは異なる七夕の神話がある。 http://www2.plala.or.jp/cygnus/st5.htm 彦星は、天稚彦であり、矢や鳥のイメージ。 また、陰陽和合のエネルギーがこめられた布を織る織姫には、天羽衣のイメージ。これも飛翔。 少し前、やまんと小山氏が、「万葉集の歌番号を西暦の年号と重ねると、予言の書やという説があるんや」と言い始めた(珍しく、意味は解説せず)。 万葉集2009番は、七夕の歌。 汝が恋ふる 妹の命は飽き足らに 袖振る見えつ 雲隠るまで 訳:あなたが慕う織姫は、恋しい気持ちを抑えられないので、袖を振っていましたよ、雲に隠れてしまうまで。 雲は、「籠もる」ことの象徴か。一度、子宮のような時空に籠もることで再生エネルギーを内に充たしているイメージでもある。 「振る」の一般的な解釈は、魂振り(たまふり)のことで、振動させることによって、魂のエネルギーを活性化させたり、新たな魂を招く呪術とも言われている。 また、私が明治生まれの古老からお伺いしたのは、「神が人に降りると、祈りのために合わせた両手が、自然と【ふるえてくる】」とのことでした。それが「勇む」ことの本来の意味だと。 振る、震えることは、原初のエネルギー活性化現象に通じていたのかもしれない。 ただ気になるのは、「袖」を振るということ。 私のイメージでは、それはどうしても、「羽」となる。 飛翔を象徴しているのではないか、と。 飛翔してこそ、彦星と乙姫は陰陽和合を成すことができる。 飛び立つ先は、何処へ。 3次元的な象徴としては、かねてより「川の中洲」が思い浮かんでいる。 (ちなみに熊野大社は、かつて熊野川の中洲に建っていた) 中洲は、古来、陰陽和合の霊的作業がなされた時空であったのかもしれない。 「中心のス」は、陰陽和合の聖域。 夫婦鶴の飛翔が、なぜ、祝福、寿ぎのシンボルになっているのか。 七夕も、本来は悲劇ではなく、祝福のシンボルであっていいはず。 さて私自身は、七夕の日は、天橋立あたりで過ごしていた。翌日の仕事が、早朝から舞鶴であったので、前泊にて丹後地方に入った。時間が少しあったので、元伊勢・内宮皇大神社と、籠神社に参拝することに。 元伊勢内宮皇大神社の社務所には、『岩長姫命』に関する和綴じの本がおいてあった。 ちょうど少し前に福岡の友人と電話で「岩長姫」の話になっていたので、ちょっと立ち読み。 曰く、本来、木花咲耶姫(陽)と岩長姫(陰)は、表裏一体、陰陽調和しての働きを担っておられた。ところが、岩長姫が退けられたため、バランスが崩れ、体主霊従の世界になってしまった。 今、岩長姫が表に出始めたことで、ようやく本来の霊主体従が蘇ろうとしている。 古事記などで【みにくい】と形容される岩長姫であるが、本当は【見えにくい】存在だったという。 目には見えない、見えにくい存在は、どうしても選択肢のなかからこぼれ落ちてしまう。 色や形があり、目に見え触れることができるものを、私たちは選択してしまう。 先日の電話で、福岡の友人と岩長姫の話になったのだが、最近、彼は福岡で、岩長姫と木花咲耶姫が共に祀られている神社に参拝したという。 それは、細石神社。(さざれいし) そして近くの桜谷神社には、「苔むす姫」と木花咲耶姫が祀られていたとのこと。 「苔むす姫」は、岩長姫のことかもしれない。 それで「君が代」を思い出していたのだけれど、岩長姫の和本にも「君が代」のことが言及されていた。 細石が巌となりて、苔のむすまで。 これはまさに、岩長姫の働きであるという。 私の好きな映画のひとつ、『もののけ姫』。 その独特の雰囲気は、森の中に密生する苔が発しているのだと感じている。 以前、奈良の大台ヶ原についての紀行文を書いたことがあって、そのとき私は苔に関して、「君が代」をイメージしながら切々と書いた(編集部からは相当な苦情が)。 大台ヶ原に迫る環境破壊、苔の退縮による木々の枯死を間近に見てしまい、泊まりの取材から帰ってから、ずっと泣いていたことを思い出した。 ・・・ (以下、当時執筆した原稿より引用) 苔の襞につく露の一滴一滴にも、生命が宿る。 倒木や切り株をおおいつくし、悠久の時空を放散させる苔。 その苔の上に落ちた木の種が、新たな芽を伸ばす。 生命再生のむすびを伝える歌が、この国にはある。 その原点は森にあった。 巌も亡骸も、苔むすことで永遠へと向かう美に組み込まれていく。 生と死の神秘なる一体化。森の奥深く、密やかに流れ出す生命の調べ。 森は、静謐なる豊穣の音楽に満ちている。 ・・・(引用終わり) 森は、苔と倒木更新で再生し、生命を更新していく。 (倒木更新:枯れて倒れた木に苔が生え、そこに落ちた種が芽を出す。苔がないと種は発芽しない) まさに、岩長姫と木花咲耶姫、両者の働きによって、生命は循環していく。 足下の岩とつながり、苔の胞子を感じる、開かれた感覚を取り戻したい。 さて、社務所に荷物を預けて、境内を巡り、天龍八岐龍神社で、昔、宮古島の石庭に行ったときに降りてきた唄を奉納。 さらに、谷を下り、清流沿いの岩戸神社に。 とにかく道中、岩や木に生えた苔の美しさが印象的だった。 社務所に戻ると、番をされている女性が、またいろいろとお話をしてくださった。 お茶をいただきながら、いろんな話になり、なんとなく最後は、また泣けてきてしまった。 岩長姫のパンフレットをいろいろとくださった。「初めて会う人に渡すのは初めて。でもご縁があるようなので」とのこと。 それらを特別にいただいたことは、その内容よりも、岩長姫が表に出てこられたことのサインとして、胸に響くものがあった。 それで、かなり昔のことを思い出した。 どうして今まで思い出さなかったのだろう。 私は柳生の前は、天理。天理の前は、京都市内に住んでいた。 アパートを探すとき、なんとなく京都の地図を見ていて、鞍馬の地名を見つけ、そのあたりにしようとイメージ。 京都市内の不動産屋さんに尋ねたけれど、そのあたりはアパートがないとのこと。で、なんとなく京都市内を歩いていたら、またしても、なんとなく気になった不動産屋さんがあったので入ってみたら、「すごくいい部屋が、西賀茂にある。以前、自分が借りていた部屋で、中庭もある」と薦めてくれた。で、その部屋に即決定。 アパートの名前は、「大将軍荘」。 アパートの前には、大将軍神社。 大将軍神社の祭神は、岩長姫とその家族たち。 私が住んでいたとき、神社の本殿はずっと建設中だった。 放火で本殿が焼けてしまい、その廃材を使って新築するという。 以前の本殿は、賀茂別雷神社摂社「片岡社」の本殿を遷したもので、相当、古いものだったらしい。 大将軍荘に引っ越して1年半ほど経った夏の夜。 家の前の大将軍神社から、雅楽が聞こえてくる。けっこう遅い時間帯だったけれど、その音色を聞くやいなや、私は取り付かれたように外にとび出した。 大将軍神社に、幻想的な光景が出現していた。 本殿が完成し、記念の祭祀が行われていた。小さな小さな境内に、京都中からぎっしりと宮司さんが結集。八坂神社、上賀茂神社、下鴨神社…、とにかく有名無名、ものすごい数の神社から宮司さんが集い、一人一人神社名を呼ばれては、榊を奉納している。 で、イスが一つ空いていたので、思わず私も末席に加わってしまった。 驚くべきことに、そのことを咎める人は誰もいなかった。 蒸し暑い夜で、私の格好といえば、ランニングに短パン。そのランニングはウサギ柄で、母が縫ってくれたもの。ヨレッとしていて、ほとんど下着に近い。親しい友人の前でも着るのがためらわれるような、、ましてや外に着て出る服ではない。 目の前には、絢爛豪華な衣装を着た人達が勢揃いしているというのに、なんて子どもじみた格好をしているんだろう。 でも魂が魅入られてしまったようで、どうしてもその場を立ち去ることができなかった。 宮司さん以外にも、背広姿の関係者が何名か来られていて、その代表者が名を呼ばれると、その関係者たちも同時に起立して二礼二拍一礼。 「地元関係者」というような感じで呼ばれたとき、私も一緒に立って参拝。 やがて、すべての灯りが消され、まったくの暗闇になったかと思うと、マスクをした人々が白い布で囲いながら、本殿に御霊を遷していった。そのときの奏楽は、龍笛のソロ。その神秘的な音色は、凄まじいエネルギーに満ちていた。 目の前を御霊が通ったとき、私の頭の中は真っ白。何かが乗り移ったような感覚で、呆然としていた。 気づけば、すべての儀式が終了し、参加者は手土産を配ってもらって解散し始めていた。配っておられるのは柔和な方で、私も「おいで」と呼ばれ、記念のお盆と、赤飯の重箱を頂いた。お土産を手に部屋に戻ってやっと、ハッと我に返る。 その出来事があってから、京都での生活は急展開。 奈良の天理への引っ越しが決まったり、鞍馬を巡ったり、なんだか目まぐるしい日々が始まった。 そして10年前の9月に天理に移住。 ・・・ 10年前の夏、社殿に戻った岩長姫の魂。 10年後の今、社殿から出るトキが来たのだろうか。 岩長姫との再会で、今、次なる転換点が訪れたのだと思った。 ちなみに「Rupa」という名前の由来は、ワタルの寝言。ワタルが決めた。後で、東大寺の和尚さんが教えてくれたのだけど、「色、物、かたち、目に見えるものすべて」という意味があるそうだ。つまり「色即是空」の「色」。 霊主体従の世界に立ち返ろうとしている現在、何らかの卒業のようなトキが近づいているのかもしれない。 しかし、その「色」も、すべて神そのもの。 大自然、大宇宙、この私自身も、髪の毛一本にいたるまで、すべて神の顕現。 その表裏一体の奥深さを思うとき、節目節目の転換期は、感謝に始まり、感謝で終わるものなのだとしみじみ思う。 ・・・ 岩長姫の社務所を出て、また電車に乗り、今度は天橋立に向かう。 (雨がちな天気だったけれど、社務所にいる間だけ集中して大雨が降ったので、まったく濡れることがなかった) 「天橋立」駅前のレンタサイクルのお店で荷物を預け、自転車で出動♪ 昔、夢で見た通り、天橋立の途中に、真水が湧いているところがあった。 ママチャリをノンビリこぐのは本当に気持ちいい。 すぐに籠神社に到着。本殿で参拝を終えた途端、待ちかまえていたようにご高齢の宮司さんが近づいてきて話しかけてこられた。 いただいた名刺は「宮司:海部光彦」さま。本当に話好きな方のようで、お話が止まらない。 それがだんだん尋常ではない感じになってきて、ほかの巫女さんや禰宜さんたちが「夕方だから、もう閉めますけど」と言っても、意に介さず。 電話がかかってきても「後にしてもらって」。 来客が来られると、「すぐに戻ってくるので、2,3分、待ってて」と言われる。 戻ってこられたときには、手に何かの封筒と資料をお持ちでした。 見ると、それは知人のミュージシャン、小嶋さちほさんのプロフィール! 「小嶋さちほさんという人から資料が届いて、奉納演奏をさせてほしいという話なんですわ」。 ちょうど7月25日の件で、さちほさんとメールのやりとりをしていたところだったので、いっぱい、いっぱいPR♪ 「このタイミングでお会いした、あなたがそう言うのなら、佳い奉納演奏をされるんでしょうなあ。では、このお話をお受けしましょう」。 宮司さんのお話をお伺いしながら、私自身も、海部一族、海人族とかかわりが非常に深いという感覚が明確になってきた。 来週、長野に行くのも、「安曇」というテーマが来ていたので、そのあたりへとつながっていくのだろう。 今再び、船出のときがきた。南への帰還。 「いやー、お会いできて佳かった。ご縁ですなあ、また会いましょう」と、最後は手をさしのべてくださり、握手してお別れ。8月にまた舞鶴での仕事がある。さちほさんの奉納演奏とも日が近いので、また立ち寄らせて頂きたいと思った。 急いで自転車に乗って、今度はマナイ神社へ。 本来の場所は、もっと奥なのだろうから、お通しという感じ。 はるか昔の7月7日、伊勢へと旅立たれたトヨウケさま。 いよいよ夕方になってきたので、再び天橋立へ。自転車は早い早い~☆ 天橋立の宮津湾側(外海側)には、砂浜の所々に、亀の頭のように海に向かって突き出た小さな石垣が組んである。 満月のときが近づく頃から、その石垣のひとつの上に座って、目を閉じて耳を澄ましていた。亀に乗っている気分。 穏やかな波の音が反芻して、響きはどこまでも広がる。 言葉にはならない、目には見えない感覚が、押し寄せてきた。 私の内から、陰陽和合が始まる。 無数の生命、地球そのものに包まれるような、あらゆる生命が、私の中に入ってくるような感覚。 微生物、虫、植物、動物…、とにかくいろんな存在とその連なりが、内なる感覚のなかに、めくるめく打ち寄せる。 その一つ一つの存在が、主役として舞台に上るときがきた。 目には見えなくとも、大きな力を発揮し、一緒になって世界を再生していく仲間たち。 脚光を浴びてきた大スターたちは満足げに退場し、控え室にいた名優たちとバトンタッチ。 表裏の協力体制、絆は、変わらない。 トキが満ちたのを感じ、いろんな感覚に包まれながら立ち上がって海を拝し、天橋立の南側へ戻る。智恩寺の境内に入った。 本堂にポスターがあって、そこに書かれた言葉が気になった。 【人は変われる。一緒なら。】 天橋立で、多くの存在に包まれ、その存在たちが入ってきた感覚。 ・・・ 翌日、午前中に舞鶴での仕事が終わり、特急電車を待っていたら、待合室のテレビで、NHKの番組が放送されていた。 「みんなのうた」。 「I'm here with you」という曲が流れた。 素朴なアニメーションも、とても意味深く、勾玉のようなかたちから、いろんな動植物へと姿が変わっていく。 ああ、昨夕の天橋立での感覚は、これだったんだな。 これが、天の川の感覚なんだ。 別れては、いなかった。 柳生に帰って、you tubeで検索したところ、「川の光」というアニメの主題歌とのこと。 川の光。 http://www.youtube.com/watch?v=uXH_czgyxA8 岩長姫は、見えにくいわけじゃない。 見ようと思えば、ちゃんと見える。 細石が巌になって、苔むすのは、 瞬間ごとに、新たな生命が生まれるのは、 一緒だから。 サミシイヨルモ ワスレナイデネ アナタト トモニイル I'm here with you. It's called the earth.
by rupa-ajia
| 2009-07-10 22:40
| 旅
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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