カミノセキ 母の祈りに応えるとき

長らく日記を書いていない間にも多くのことが起こっていましたが、今回はそれらのことはすべてとばして、上関原発について思うことを書いてみたいと思います。

私は今まで上関原発関連の動きに、具体的に加わったことはありません。
しかし一昨年だったか、祝島のドキュメンタリー映画のチラシに載っていた島の古老たちの写真を見かけて以来、ずっと心にとめて、原発工事が撤回されるのを祈っていました。
チラシに掲載されていた古老たちの微笑みは、とても温かく、やさしく、私が暮らす大和高原の古老たちと同じ表情をしていました。
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ここ大和高原の暮らしにおいて、古老と子供たちは、特別かつ不可欠な存在です。
古老、特に現在70歳代以上の方々は、石油エネルギーに依存しない自給自足の暮らしを営んでこられた世代で、おしなべて皆、微笑ましいほどに個性的です。

長閑な里山の風景にとけ込み、大地と同化するかのように身をかがめ黙々と田畑を耕す古老たち。 普段はきわめて地味で目立たないながらも、年が長ずるにつれてムラ(集落)の祭事の折には、神官となって粛々と段取りを整えます。

 同じく欠かせないのが、子どもたちの笑い声。
古老と子どもがいるからこそ、かくも美しい山里。

祖霊とつながりながら里を守り続けてこられた古老たちに接するとき、いつも敬意と感謝があふれてきます。そして週末、ムラの中に響きわたる、やんちゃな子どもらの声。
これ以上は何もいらない、そう思える日常の温かなひとときです。

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先日から、かねてより気になっていた上関原発の工事が強行に進められているとの情報が入り、しかも警備隊との衝突で、祝島の高齢の女性が負傷したという一報を知ったとき、文字通り、胸が張り裂けそうになりました。

島や山間部に長く暮らしてこられた70歳代前後以上の方々は、長年にわたって、この島国の日常の霊性を底辺から支えてくださった、無形文化財級の存在です。
そして今なお、日本の主食の自給率を支え、荒廃が進む田畑を維持する最後の砦となってくださっています。
敬愛すべき古老たちに、そんな対応をとるとは、、まったくもって信じられません。

山口県の瀬戸内海に浮かぶ島と言えば、まず思い浮かぶのが、尊敬する民俗学者の故・宮本常一の故郷、大島です。
全国の古老たちから生活誌の聞き取りを行い、高度経済成長期にあって、世間から忘れ去られようとしている辺境の地の生活文化を記録し続けた宮本常一。

常に「大島出身の農民」であること公言しながら、山村や漁村を歩きまわった宮本常一の姿に、故郷の愛を感じるのです。
農民・漁民不在の観光開発に異論を唱え続けていた宮本常一が、今この状況を知ったら、何と思うでしょう。
教育機関やマスコミは、有名人の偉業のみを伝え教えようとします。
しかし実際にこの島国の衣食住を支えてきたのは、まったく無名の庶民たちであり、その心意気は本来、日常生活のなかで自然に教わるものでした。

祝島の古老たちは、決して原発反対運動だけをしているのではないと感じています。
 それは、ただ故郷を愛して愛して、愛し抜いている姿。
私たちは、彼らから何を学び、何を思い出すことができるでしょう。

私は、大和高原に暮らすイチ母親として、もうこれ以上、多様な自然と地域文化を根絶やしにするような施策を続けてはならないと、強く感じます。
祝島の古老たちの声に応えるために、できること。
まずは電力消費を抑えるために、不要な電化製品は使わない、不要な電源は抜く(特に保温機能)、なるべく家族が同じ部屋で過ごすなど、日常の小さなことの積み重ねこそが肝要なのでしょう。

しかしさらに長期的にみるならば、一人一人が今、暮らしている地域を愛するというのも、非常に大切なことだと思うのです。今回、上関の動きの中心軸となったものは、祝島の人々の郷土や子どもたちへの思いでした。

都会の現役世代よりも、ある意味、より個性的で多様な古老たちが、どうやって等しき和を保って里を守ってきたのか。
実際に里で暮らしてみて、ますますその心を言葉で表現することに困難を感じている私ですが…、とにかく言えるのは、地域への愛があってこそ、多様性が生きてくる、ということです。

原発建設に注入されるエネルギーと資金を、電力会社と協力しながら、より小規模で地域生活になじむ発電施設の開発に転換させる。そんなオルタナティヴな方向。
これはまさに、郷土愛なくしては始まらない作業です。

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上関原発工事の今
http://iwaijima.jugem.jp/
周辺の自然環境
http://sunameri09.blogspot.com/2011/01/6.html
狙われる農村・漁村
http://www.youtube.com/watch?v=G2oDvAn_zdQ&feature=related
「地下深く永遠に~核廃棄物10万年の危険~」
http://bit.ly/ha1GHT 
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さて前述した、大和高原をはじめとする農村や漁村での古老たちの役割の大きさについてですが…、参考までに以下、宮本常一による故郷の大島についての記述を引用させて頂きます(長文で申し訳ございません)。

今から約80年前、瀬戸内海の島々の日常。

   想像していただけると幸いです。

              宮本常一『家郷の訓』から 「母親の心」の章 抜粋

(前略)
素直に子供たちを他郷へ出してからの女親たちの子への思いやりも実に深いものであった。子が他郷にあるほどの女であればほとんど一様に朝早く氏神様へ参るのである。これは雨が降ろうが風が吹こうが、おかまいなしに毎日続けられる。たいていは皆朝飯を炊くまえに参るのである。先ずお宮の前の浜に出て潮ばらいをする。自らの額に潮水を三度指先でつけ、四方を潮で祓うのである。そして手に砂・礫などを持って神前に至り、この砂礫を投げてていちょうに拝む。この参拝は決して一回だけではなくて、三回も五回も、時には十回もくりかえされて、家へ戻って来る。家へかえる時、お潮井または砂などを持って来て家の中をきよめる。それから朝飯をたきにかかるのが普通である。

 私の家は氏神様のすぐ下にある。十年あまり前病気で二年ほど故里の家に帰郷していた時、毎朝目をさまさせられるのは、この宮参りの人の石段を上り下りする下駄の緒とであった。その音は必ず朝三時半頃から起った。

(略)
家の前の道を女の話声がすぎて行くと、家でもかならず戸のあく音がする。母が宮へ参るのである。(略)親戚の女であれば「おかか」または「これのおかか」と声をかける。他人だと「おばいさァ」「よういおばいさァ」などと言う。私もねていてそれが誰だということが分る。(略)その足音が浜へ下りると消える。次に柏手の音がする。海の沖の方を向かって拝んでいるのであろう。しばらくすると石段をのぼる音がする。柏手の音、石段をのぼる音が無数に折り重なって来る。それに話声が交る。静かな朝などは、それが一種のリズムをおびてさえきこえるのである。本当に信心な人は、それから寺および自分の家の墓まで参って来る。雨の日などはピチャピチャと水の中を裸足で歩いて行く音をよく聞く。私はそこにひたぶるな女親たちの子への慈しみの心をきくように思うのである。

(略)
傍らで祈っている女親の低いしかし迸(ほとばし)り出る熱い声をきいた。旅にいる子供の名をつぎつぎによびあげて、「どうぞマメ(健康)であるように息災なように。もし病気にでもなるようなことがあったら、どうぞこの私をかわらせて頂きたい。たとえどのような苦しみをうけましょうともよろしゅうございます」というものである。しかもこれはこの一人の女親だけの言葉ではなかった。すべての女親たちの言葉でもあった。真心をこめてかく祈っているのである。(略)親たちはかくまでにその子を愛してその子の命をいたわっているのである。

(略)
家々ではまた陰膳を供えた。(略)弟を養子にやって他所へ出したので、弟の膳箱があいたが、やはり膳だけは出させ、われわれの食べるものと同じものをついで膳の上へおいた。その膳の一隅にはいつも写真をかざった。(略)この頃はこの陰膳ばかりが実に殖えていて、私の帰郷している時など箸を持って食べる者は母と私だけ、後は皆はるかなる彼方の人びとに供えているのである。それがまた姉、弟、私の妻、私の子を初め、両親を失って他郷にある近所の若者、私の家に下宿していた数人の兵隊さんと実に十近くも食物を盛った皿と茶碗と、その写真がならぶのである。かくて一人の女親の愛情はその肉親の子にのみ限られてはいないのである。

(略)
かつて飛騨山中のさる農家の井戸ばたに、茶碗に一杯の水の盛ってあるのも見てたずねたら、その家の老女が戦地へ言っている兵隊さんたちが喉の乾かぬようにとの心から毎日供えていると話してくれた。自らの子を愛する心の深い人はまた他人の子をも同様に愛し得たのである。

(略)
「私は神仏を拝むのも、人に功徳をほどこすのも一つだと思いまして。」(略)自分の息子が旅でどんなお世話になっているやら分らぬと思うと、困っている他人もおろそかには出来ないとのことである。親として最もうれしいのは子供が他人に親切にされたことだという。このようにして子への愛情はまたひとり子にとどまっているものではなく子を通じて発展するものであった。
 かくしていったん手ばなした子供たちに対して、その理解とあきらめのよさの中に神明の加護が祈られていたのである。(略)自らはその不安もさびしさもかくして働いた。

(略)
父なき後、母は、祖父が、また父がこの上もなく愛し血の通うほどに耕した田畑をその死の日まで耕そうとしている。どのように町へ出ることをすすめても母は出ないのである。母には私たちの心がよく分るばかりでなく、それ以上に祖父や父の気持が分っている。そうしてこの土地にこもる先祖の魂に殉じようとしている。
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by rupa-ajia | 2011-02-25 13:33 | 子育ち・親育て
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