このところ、山添村を訪問する頻度が、とみに高くなっている。
この吸引力は何なんだろう。 大和高原のセンターでもある神野山の力が蘇ってきているのだろうか。 先週土曜からは、3日間連続でお伺い。 週末は昼間は店の手伝いだったので、夕方から山添へ。 大学生による農家民泊モニターの様子を見聞したり、神波多神社の宵宮にお伺いしたり。 宵宮には見物人は私達以外の他はほとんどいなくて、獅子舞終了後、Y君は帰り、Kさん、H君と一緒に、ラーメンを食べに行った。私は久々の外食だったが、2人はそれぞれ、その店によく行くらしい。お腹がすいていなかったので、お茶用の湯飲みに、麺を少しだけ分けてもらって食べた。が、後味が…。 その後、Kさんに家まで送ってもらったのだけど、車中、延々と大演説された。Kさんは「やまんと」メンバーでもあり、非常にアクの強い人。普通の人だったら、無視するか傷つくか、怒るか…? 私は慣れているので、ヘエヘエ聞いているけれど。とにかくキレイゴトが嫌い、なのにヘソ曲がり。鬼のようにカミナリを落とす。 こういう人がいる方が、世の中、おもしろいと思う。 これが公式なイベント時とかだったら、他の人々の立場もあるので、私も怒ってしまうけど、普段の生活では、たまに鬼が出没するのもいいものだ。 「やまんと」などで、こういう家族的・原始的なつき合いができるのも、今のご時世では希有なこと。世の中、鬼がいないと浮上してこないことが、少なくない。 宵宮から帰宅してから、やっと静かに思いを巡らせる。 このところ、大和高原でも多角的な動きが始まっていて、特に表立ってコトを起こそうとは思っていなくとも、その流れはひしひしと感じられる。 そのなかでの自分の立ち位置を考えてみる。 おそらく私は、何かまったく新しいことを立ち上げるというよりも、古代より続く何らかのエネルギーを新しく更新していく役割の一人かもしれない。 この感覚は、「自己の拡大」という観点に立っている。 古きものとつながることは、本来、保守的なことではなく、実は前衛であり、革新でもあると思っている。 ある友人のネット日記で、アフリカのとあるネイティヴ部族が、「私達の伝統は、新しくあること」というようなことを語っていたと書かれてあった。 古代とリンクすることは、決して後ろ向きの行為ではなく、時空を超えた存在とつながること、ひいては未来の自分を生み出すことに直結しているのではないだろうか。時間は、決して一方向に流れているものではないと感じている。おそろしいほどの情報を有するという遺伝子。その構造自体も、そうなのかもしれない。 今、私が夢想しているのは、完璧なる循環型社会を実現していた江戸時代。もちろん、今の日本では江戸時代に比して人口が爆発的に増加してしまったので、自然への負荷を考えると、仮に当時のシステムをそのまま流用できたとしても、循環型社会の実現はまず不可能だと思う。 それにどうしたって、当時のような生活水準やライフスタイルを復活させることなど、到底、不可能だろう。 物理的には、即、壁にぶつかってしまう。 しかし精神的・感覚的には、どうだろう。 現在の環境活動は、人々の理性や良心、知性に訴えるものが多い。啓蒙活動の必要性は、年々、高まるばかりだ。 ところが江戸時代の人々は、知性・理性への依存度は今ほど高くなかっったのではないだろうか。それらも、イチ個性としてみなされていたのかもしれない。 幕府からの厳しい支配体制はあったにせよ、実際の庶民の生活では、今より多様性のある人間関係が繰り広げられていた可能性もある。 学級崩壊なみの寺子屋(前々回の日記参照)、流浪の民、勘を尊重する各種専門職、自給自足を主軸とした農業…。 今でも山間部では、知性や理性というものをさほど重視しなくてもいい空気感があるように感じる。 都会では無視されがちな変わり者も、田舎ではイチ個性として、そのまま認められているように感じることが少なくない(かく言う私も~)。都会では変わり者はグループにならないと孤立してしまいがちだが、田舎では隔絶されることなく、そのまま景色の一部としてとけ込んでいる。一般的なイメージとしては逆かもしれない。ところが実際に暮らしてみると、大地に根ざした生活をしている人ほど、あまり頭でいろいろ考え込まない。 また、話が逸れてしまった。 とにかく、山間部に流れる縄文的・土着的な空気感は、江戸時代以前のそれと似たところがあるのかもしれない。この空気の延長線で、江戸時代以前の「庶民の感覚」について、いろいろと夢想してみる。 宵宮の翌日、いよいよ神波多神社の例祭で、朝からお伺いした。 山添の秋祭りでは、もっとも盛大に行われるということだが、平日とあって、祭り見学者は非常に少なかった。 いつもお世話になっている方々が、ご親切に説明してくださる。 今回は、初の見学ということで、流れを押さえるのみ。やはり、事実関係などの細かな取材は、取材当日には向かない。ダイナミックな流れを邪魔してでも取材するとしたら、それは無粋というものだろう。来年は、もし可能ならば、祭りの数日前に取材をお願いしてみたいと思った。 しかし私の役割は、専門的なデータ記録にとどまらず、その心をも一般の方々に伝えること。だからもっとも大切なことは、祭りの空気を存分に味わい、体験することに尽きる。 その祭りの空気。 かなりの時間をかけて催される祭りであるが、観衆の少なさが気になった。 獅子と天狗が共に登場する獅子舞でも、観衆との双方向の感応はほとんどなかった。きっちり形式化されている伊勢大神楽でも、もう少しは観衆とのかかわりがある。往古、村に伝播され、長く伝わってきた獅子舞であるならば、もう少し、はみ出たものがあってもいい。もっと盛り上がっていたという昔は、より「天王さんらしい」獅子舞だったのだろう。 天狗の衣装は、身の回りにある身近な材料を使いつつも、独自の工夫を凝らしたもの。頭にかぶる、ニワトリの作り物が載った笠が微笑ましい。隣の月ヶ瀬では、雉の剥製をかぶる天狗もいる。全国的にも、烏や白鳥の作り物を被る舞は散見されるので、ここ山添村でも、その風潮が入ってきたときに、苦心してこしらえたのかもしれない。 折り紙でつくった天狗の蓑も、本当に細かな造作で感心した。蓑をはおった来訪神のイメージは、南西諸島や東北で顕著だ。 古き土地神としての獅子、鳥をトーテムとした来訪神の天狗。女性性の獅子に、男性性の天狗とも見える。牽制しあいながらも、やがて仲良く踊る2つの両極。天狗がササラで獅子の鼻面をペシッと叩く場面などもあり、昔は、もっと大袈裟に、滑稽に踊っていたのかもしれない。大きな流れのなかでは、ケンカやこぜりあいも、意味がある。要素をシャッフルし、活気づけ、新たな流れを呼び起こす。それに、ケンカできるぐらい仲が良いってことも、あるじゃないですか。 御旅所、アシナヅチ・テナヅチが祀られる「牛の宮」までのお渡り。 太鼓をかついで叩く3人は、佐久魔、太夫、名称不詳の能面など、かなり古い面をそれぞれ被る。そして、おとなしめの赤鬼と黒鬼。これまた、昔は泣く子を追っかけ、周囲を囃し立てて、かなり賑やかだったとのこと。 以前は、マリを奪い合う余興など、数種の催しがあり、面の数も10は出たというが、今は余興はすべて省略されている。 昼食後、「牛の宮」から本殿へと、神輿が帰った後、会所ではナオライが行われる。その間、最後に、本殿周辺でひっそりと田楽が執り行われた。田楽の見学者は、県から調査を委託されたお二人と私の3人のみ。「まじゃらく」と声を出しながら、地蔵講(地蔵方)の長老たちが、ササラや太鼓を散発的に鳴らしながら、規定の回数とルートに従って、本殿、産土の社などを巡る。「まじゃらく」は、今では単なるかけ声になっているが、もとは何らかの呪術的な祝言だったのだろう。この場合、「まじゃらく」は万歳楽かもしれないが、その言葉のもともとの意味もさることながら、簡略化されつつも、何故、そうした行為が行われたのか、その心が気になるところだ。境内の産土神をきっちりと巡っているところからも、より古層の精神世界を垣間見ることができる。 ところで、祭りは、本来、新旧を接続することで、新たなる生命を更新する場でもあった。が、過疎化とライフスタイルの変化によって、新旧の和合はますます難しくなってきている。 新旧の接続が難しいとなると、同じ性質を探すとすれば、あとは内外の接続を導入をするしかないのかもしれない。 何かが姿を消すのは、それが必要ないからではなく、忘れ去られているからというケースが多い。 個人的には、完璧なる循環社会の核となっていた、祭りの心が失われてしまうことに対して、切なさと寂しさを感じる。 何百年にもわたって、自ら神となり、鬼となり、道化となってきた人々。 目には見えない存在とともに、ハレのエネルギーを発露してきた時空。 私達は、まったく新しい発露の場を、今から見つけることができるのだろうか。理性や感情を超えて、大自然の循環のなかで、見えざる古代の存在たちとの共同作業を営むことができるのだろうか。 かそけき型のなかに、宇宙の原理が込められている。 型がおぼろげになる前に、その心だけでもすくいとり、つなげておきたい。 眠れる遺伝子を呼び覚ます鍵。 今、山添村では農村民泊など、外からの人々を迎えるための準備を進めている。もともと受け皿の大きい、可能性の大きな地域だ。来年からより一層、内外の交流が促進されるていくだろう。 祭りへの門は開かれた。 祭りの裏舞台で準備を続けてこられた女性陣から、ジャコ、甘酒、お下がりの餅、海山の7つの恵みをクシに刺したナオライ用の特別な肴、昼食用の特別な味ご飯を頂いた。 村外者で頂いたのは私だけだったが、これはとても希なことだったのかもしれない。 大地の神が、いよいよ扉を開けたようだ。 新たな統合の世 長々とした手と足を そろそろ伸ばしてみようか カンパタの神 いよいよ 柳生の奥で 翁に会える 一万三千年の底力
by rupa-ajia
| 2007-10-18 13:11
| 大和高原(地元ネタ)
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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