そして、火が灯された

ここのところ、毎日のように、かつてない深い体験が波のように押し寄せてくる。
未熟者の私にとっては、どう考えても、処理能力を越える情報量。
しかし、体験からくる情報であるということ、そして、一見、多様でいて根っこが同じであることなどによって、かろうじてすべての体験を味わうことができているように思う。
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今日は、柳生の刀工の方の工房にお邪魔して、たたら製鉄の現場を拝見させていただいた。
砂鉄から鉄を作る日本古来の製鉄法の原理に基づく、自家製鋼。
「たたら」に関しては、かなり思い入れがある。
説明すると長くなるのですべて省くが、とにかくケラ出しの瞬間は、魂が震えるものであった。
今回、柳生木炭組合の炭を、初めて使用した「たたら」ということで、とても感慨深いものがある。 柳生の里山の木々が、炭焼窯、たたら炉を経て、長じて、剣を生み出すという必然。

人は、確かに錬金術を生み出した。
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この数日間を振り返る。 数日前の私と、今の私。
外見は変わらないけれど、内的には明らかに異なっていると思う。
本当の意味を思い出すことは、こんなにも人を変貌させるとは。 本来の私に。
12月2日に体験したことは、生涯、忘れない。
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日常生活の隅々にまで、霊性が込められていたことを思い出した。
共同作業は、本来、すべて御神事でもあったということ。
昔は、共同で仕事するとき、唄が絶えなかった。次から次へと、みんなで唄を謡いながら、作業を進める。
なんと、スピリチュアルな時空!
建設中の家の幸せを確信するような歌詞。 エイヤソ~レで、一斉に木槌をふるう。
古い家が、何百年ももつ訳。そこには目には見えない理由もあった。
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古老の伊勢音頭は、祖霊と産土の神々を、その場にお招きする神聖なる呪術行為。
宴は、神と人とのお楽しみ。人間だけのものではない。
音楽は、日常生活のなかにあってこそ、活き活きと生かされるというシンプルな事実。
そこには、人と人、人と自然、人と神の真摯な絆と、瞬間瞬間を楽しもうとするポジティヴな意志がある。
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願望成就の祈りは、「成就されまして、ありがとうございました」の如く、完了形で唱えるべし、というジンクスがある。
それは、今に始まったものではなく、大昔からご先祖たちがされてきたことだった。

「めで~た、め~で~た~~の~、わかま~つ さ~ま~」の言葉は、もう、幸せ満載状態。
これを、その場にいるみんなで手拍子して、明るい気持ちで謡えば、それだけでここは地上天国。
現代のように贅沢なものは何ひとつなかった昔、精神的には、とんでもなく贅沢な幸せを庶民は謳歌していたのかもしれない。

貧しいこと、文明的ではないことが不孝だという情報ばかりが流される近代社会。
歴史の授業などでは、昔の苦労話ばかりが誇張されるが、本当にそれだけだったのだろうか。
2日の翌日も、炭焼窯を眺めなつつ、組合員のおじ(い)さん達と炭火地鶏スキヤキと焼酎を頂いていた。このネイティヴ柳生の方々の背中を見て、確信できたことがある。

いっぱい仕事した後、「あ~、今日もいっぱい遊んだ!」てな感じで一日を感謝でしめくくっていた人達が、昔は少なくはなかったのではないかと夢想する。
その調和の意識が、エネルギー循環型社会を保っていたのだろうか。

天国はつくるもの、という言葉を耳にするが、実は、すでにあるものかもしれない。

日常の所作、すべてに、人と神が一体となる術が込められている。
目に見えぬものを招ぐ、真摯で透明な思いは、体験を通して高められる。

この地にかかわるすべての存在、 目に見える方々、目に見えない方々、大いなる自然、日常の積み重ね。すべてに心から感謝したい。
本当に本当に、ありがとうございます。

これからの日常に向けて、とてつもない大きなヒントを与えられている。
小さなことの一つ一つに込められた意味。

 根を伸ばした種
 次なる躍動は、天へ

 流れ出る羊水から立ち現れる私
 歓喜をかたどり、子宮の外へ

 そして、火が灯された


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by rupa-ajia | 2007-12-06 22:28 | 大和高原(地元ネタ)
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