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名もなき創造者たち・2

 最近、特に注目しているのは「お年寄りを含めた地元の方」だ。高齢化が進むここ柳生では、ありふれた日常の風景と言えるだろう。その光景は、一見、井戸端会議に近い。ところが、この土地でお話をお伺いしていると、拝聴を通り越して、ひれ伏したい気持ちになることすらある。

 決して威厳たっぷりというわけではない。むしろ地味で目立たず、口数は少ない。しかし、ゆっくりとした所作からにじみ出る謙虚さと信頼関係、そして、眼差しの奥に光る優しさに触れると、もうそれだけで心が満たされる。地元の方々が集うときに漂う、なんとも陽気な、微笑ましいとすら言える空気感。お腹の底までじんわり広がる温もり。

 時折、夢想することがある。今ここに、皆さんのご先祖たちも共に来られて、おしゃべりを楽しまれているのだろう、と。祖先を大切にし、農業のかたわら古の風習を継承する。何百年にもわたって続けられてきた日常生活が、底の底まで染みこんでいる土地。挨拶ひとつ交わすだけで、何か穏やかな響きが足元からも伝ってくるような気がする。
 ここにいるのは、今、目にしている相手だけではない。その人の背後に連なる、目には見えざる無数の存在に対しても、挨拶の意を伝えたくなるのだ。

 移住者でありながら、この山村風景を安堵の思いで眺めることができるのは、何百年にもわたって同じ景観に心休めてきた、先人たちの存在があるからなのだろう。
 ある意味、ここの里人たちは、死んでも生きている。風に揺れる梢に、石仏に生えるしっとりした苔に、薄暗い山の細道に、そして何よりも子孫たちの心のなかに。

 極言するなら、今後、私が拝聴していきたい相手は、そんな目には見えない無数の存在だ。
 その多くは生涯、無名であったことだろう。畑仕事に精を出し、お地蔵さんに祈りを捧げ、花を手向けてきた人々。遠い誰かに知られることもなく、静かに続けられてきた日常生活。大地そのものと一体化し昇華された、人々の鼓動。
 私たちの生命は、本当はこのような名もなき存在たちに支えられているのではないだろうか。地霊とも、カミサマとも呼んでもいい。それらは、崇め奉るだけの対象ではなく、日常生活を共にする親しき存在なのかもしれない。大地とつながり感謝と共に生きるならば、旅人や余所者であっても、きっとその波動を感じ取ることができるはずだ。

 日々の暮らしで感じるささやかな喜びは、決して自分一人だけのものではない。

より大きな存在とともに、私たちは生きている。
それこそが、幸せの本質だ。

 このことを体感させてくださった柳生の皆さんには、どう表現していいのかわからないほどに感謝している。東山中、柳生での日々は驚愕に満ちている。
 今夏、広報にはさみこまれて、町内の地蔵盆のチラシが届けられた。疱瘡地蔵の写真の下に書かれたお知らせ文を読んだ刹那、思わず手を合わせたくなった。
 素朴な民俗行事のなかに、実は壮大な宇宙観が込められているのではないかと、常々感じる。それはまさに、今に生きる人と人の絆、過去と未来の絆を再生し、創造する行為。その直感が、いとも見事に表現されていたのだ。このような言葉で地蔵盆を知らせる土地に暮らせるとは、なんと幸せなことだろう。折々に柳生の奥深さを教えてくださる、雅号“白羅布”さんが書かれたその文章を、最後にご紹介したい。

 私たちは、宇宙生成にかかわっている。
 だから堂々と、幸せになろう。

 そして世界に宣言したっていい、
 「光あれ」と。

 名もなき創造者として。

・・・以下、白羅布さんによる告知文

「この地球のかけらは、はじめはただの岩。それが数百年の数千数万人の『祈りのあつまり』となって、風や土や水を生み私たちの営みを見守り育て上げてくれています。

この村が好きだとみんなが思う。そん な集まりを、いつものようにおこないます。
豊かな自然と豊かな隣人愛に囲まれて育っていることのうれしさを、子どもたちとともに感じ取りたいと思います。みんなできてください」
# by rupa-ajia | 2008-01-22 20:31 | ライターの仕事

名もなき創造者たち・1

年末年始にかけて、多くのことがありました。

祭祀、伝統行事の見聞、我が家での出来事など、それらを列記したら、あまりにも長大なことになってしまいますし、今はインプットの時として、アウトプットはもう少し先にします。

とにかく、この地の魂の一端に触れ、驚愕と畏敬、歓びと希望を感じています。
日本は、そのような島なのです。

結局、神野山から美しい初日の出を拝むことができたのですが、実は、まだ本格的な年明けという感じがしていません。

ここ柳生でも、年末年始にかけて、重要な(少なくとも私の中では)出来事が起こりました。いつか書きたいと思っていますが、それは長年にわたって蓄積してきた、この地の役割というものの象徴でもあるように感じています。
地元の方々も口に出さずとも感じていることでしょうが、唯一の移住者である未熟な私などには、まだまだ整理のつかないことです。

 つつましくも逞しく、そして、美しい。
 日本人の本来の姿を、目の当たりにしております。

今月上旬には、熊野の那智を訪問。
「色川百姓養成塾」を取材させていただいて、事務局の春原さんと意気投合!!
http://blog.goo.ne.jp/irogawa100sho
春原さんたちとは、今後も交流を続けていきたいと思っています。
世界最高水準の循環型社会だった日本。
その心を何としてでも、次代に継承せねばなりません。
ゼロに戻るのではなく、ぐるりとまわってスパイラルにスタートさせるのです。

そして大和高原での活動の必要性も、日に日に高まっているのを感じています。
複数に企画を提出しなくてはいけない状況になってきているのですが、インプットの状態を通り越して、立ち止まり再考するような、そんな気分になってきていて、なかなか動けません。。

妊娠中で言えば、臨月。そんな感じでしょうか。
あと少し、待っていただきたい。
新しい生命のために。

立春。

この、待っているという感覚は、何とも言葉にしがたいものがあります。

でも待ちつつも、準備は始まっています。
昨日は、深いご縁のあるo神社にご挨拶にいきました。
ここのところ毎年1月は、o神社に参拝した後、宮司さんの有り難いお話をお伺いするのが恒例になっています。

今年の参拝は、非常に深いものでした。
いよいよ、という感がします。
オオクニトコタチノオオカミサマ。
くじ引きは、十八番、大吉でした。

ここの宮司さまは、本当にスゴイ方です。
いつも、やられてしまいます。 今年も、見事、撃沈(詳細は略)。
和歌や掛け唄など、古の美風であるダジャレの世界へと、ものの見事に誘ってくださるのです。

今年はネズミ年ということで、「子」に関するお話を、たっぷり。
今年の元旦は、「子」の日にあたったそうで、これはとても珍しいことだそうです。正真正銘のネの年なんですね。
それと、女の子の名前に「子」がつくのは、とても意味深いこと。
女性には「子宮」があるから。とても大切な言葉だから、女性にふさわしい漢字だそうです。「子」にまつわるお話をお伺いするうちに、やはり、象徴的な意味として、妊娠というイメージがきました。

毎年恒例、お札と暦、車のお守りを購入したところ、またしても、数々の有り難いお宝をくださいました。 大黒さんとえびすさんの熊手、自然薯、ミカン一箱、野菜いっぱい、卵いっぱい…。

地のもの、天になるもの、新たな生命を宿すもの。

昨年末には、境内で採れたシイタケをどっさり送ってくださったり、ここの宮司さまは、まさに大黒様。
今年はネズミ年ということで本領発揮。大黒様パワー、全開です。

最近、ずっと熊手の話をよくしていて、前日も当日も、クマデの話ばかりしていた私。
で、神社で熊手を頂いたので、ますます確信が深まります。

最後に、これも!と言って、ポンとくださったのが、「子」マークの入った黄色い長財布。箱には大和神社の印。
前日、Rupaに来てくれた友人と、ちょうど財布の話をしていました。「新札は折らずに使うといい」という友人の言葉に、「黄色い長財布があったらいいね」などと、安直な話をしていたのです。

こんな未熟者の私達に、ここまで親切にしてくださる宮司さまご夫妻には、どんなに感謝しても感謝しきれません。
南西諸島との本来の絆を復活させてくださったo神社。
ネの年の今年、いよいよ本領発揮ということで、心が引き締まります。

今年の節分は、鬼は内。

年明けの準備をせねばなりません。
どのようにすべきか。

   私は、まずネをはり、伸ばしたいと思います。
# by rupa-ajia | 2008-01-22 19:19 | ライターの仕事

年末の雑感

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日にあててから何度も水にさらしてアクを抜いたドングリ。
砕いたものたっぷり入れた天然酵母パン。
縄文大好き人間向きの、もっちり歯ごたえ抜群で、奥深い味わいのパンになりました。
試しに友人のお客さんたちに出してみたら好評だったので、帰られた後、記録写真を。ちょっと気を利かせて、豆乳グラタンとの間にワタルがつくったスプーンを置いて撮ってみたら、スプーンが主役になってきました。
年末の雑感_f0018942_14324664.jpg




息子にいっぱい楽しませてもらったクリスマスが過ぎて、いよいよ年末年始の時期に突入。
今年はじめて、息子の元にサンタさんが来てくれたのです。
息子は今3歳で、本当に興味深い言動の連続で、見ていてまったく飽きません。
こんな感覚で物事を認識しているとは。。。 
自分の幼少時代を思い出すだけでなく、背後により広大な世界があるような感じで、興味が尽きません。本当にすごいです!!
・・・
いよいよ年末年始。
夕方から、うちの小字の忘年会@Rupa。
明日は一日、神野山で餅つき大会。

大晦日は、隣の山添村のとあるお宅にお邪魔して、東山中に独特の「年迎え」の様子を見聞させて頂く予定。ご紹介頂いた方には、感謝に尽きます。夜、一旦、柳生に戻り、柳生地区の別のお宅での家庭内祭祀の様子もお伺いできるようお願いしています。 元旦は早朝からまた山添村のお宅にお邪魔する予定。
他にも、写真を撮っていて頂いて、後で説明をお願いしているお宅もあります。

残念なことに、元旦は神野山、山頂での初日の出をご案内することになっていたのですが、日の出の瞬間をご一行とご一緒できない可能性が大になってきました。神野山で見る日の出、最高なのに~。。
正確なスケジュールは大晦日、当日に決まっていく感じです。

東山中一帯は、大きく一つの文化圏にくくることができるのでしょうが、実際は集落ごと、さらには家庭ごとに祭祀の様相は変わってきます。
隣家で行われている神事を、まったく知らないという場合も多いのです。
このようなノリは、私にとっては親しみの湧く感覚。
例えば、沖縄などで身近に接してきたスタンスです。

あるウタキがあって、いろんなカミンチュがウガンに来ます。
知らない人が見たら、一見、同じようなウガンなので、一つにくくってしまうかもしれませんが、実のところ、具体的な、つまり霊的なウガンの内容は一人一人、千差万別。一人一人、霊的系統は微妙に異なりますし、何よりもプロセス(層のようなもの)が異なります。

すべてはつながっているとはいえ、同じものを見ていても、接しているものは異なる場合が多いのです。 カミンチュも、家ごとに、実に多種多様な神さまを祀っておられます。

私は学者や研究者ではないので、何かの範疇に分類するという作業にはさほど関心がありません。
私が、このような「一見、民俗学的な事柄」に興味を示すのは、より古い存在からの声が聞こえてくるからです。

例えば、世間一般的には、節分といえば豆まき。
で、「鬼は外」ということになるのですが、僻地や、よりプリミティヴな感覚が残っている地域では、鬼は神にもつながっています。
「より古い存在」の系列は縄文以前の存在で、日本では特に「山の神」の系統でもあり、その根源はクニトコタチとも称されるものと感じています。
日本では多くの場合、山間部にその霊統が秘められているように感じています。大和の東北、ウシトラに位置する東山中も、例外ではありません。

沖縄では、ガマ(洞窟)におられることが多いです。
南西諸島の地下には、広大なガマがいくつもあり、迷路のようになっています。入り口は、一見してまったくわからないようになっていますが、昔からカミンチュたちは、呼ばれる度、その暗闇に降りていきました。中は非常に変化に富んだ地形で、絶壁や奈落の底のようなところもあり、とにかく強烈な地場です。しかしそのような場所には、用事がない限り、絶対に立ち入ってはいけません。

山添村では、1月7日の早朝に、各集落で山の神の神事が行われるのですが、来年早々、この神事を見聞できることになりました。その数日前より、別な集落の古老宅にもお邪魔する予定。

山の神の「クラタテ神事」は、非常に意味深く、そのプロセスは驚嘆すべきものです!
が、ご存知の通り、日本では山の神の怒りをかうということで、女性は山の神にはまったくかかわることができません。
なので、山添村の山の神神事を見聞できるとは思ってもみませんでした。
(柳生では1/7早朝は弁天さんの日で、とあるイワクラにウガンに行きますが、こちらは住民であれば女性もOKです)

もちろん、古代には男女ペアでの神事が一般的だったでしょうし、現代の沖縄でもそうであるように、むしろ男性立入禁止の聖地の方が多いのが事実なのですが、そのようなことを村の方々にお伝えするつもりは毛頭ありません。

私は、この東山中の方々が大好きです。
外向けには保守的に見えても、その実、とても温かく、底抜けに陽気で人間的。この方々と、皆さんのご先祖様のお陰で、ここに住まわせて頂くことができているという気持ちがベースにあるので、皆さんの気持ちを一番尊重していきたいのです。

私に言わせれば、この地域の古老は無形文化財、一番の教授です。

ギニアか、どこだったか、「お年寄りが一人亡くなるということは、図書館が一つ消滅するのに等しい」ということわざがあるそうですが、この地域のお年寄りは、まさにそんな感じです。

今の日本では、身近な存在への敬意が軽んじられるような、そんな歴史教育がなされているのかもしれません。
先祖代々、何百年も継承されてきたこと、ひょっとしたら、感覚的には何千年単位で引き継がれてきたものが、すぐ足下にあるというのに。
そこに、未来への輝く光があるというのに。

先人たちがつないできたもの、五穀豊穣・子孫繁栄の思いは、ひたすらに未来へとつながっているのです。
そして、それは日常の営みそのもの。

衣食住から、さらに多くの細かな事象に分類していく今の研究方法では、到底、把握することは難しいのではないでしょうか。
祭祀において、ある部分だけを抽出することは難しい。
生まれたときから、それを身近に丸ごと体験してきた古老こそが、最高の師であり、語り部になり得ると思っています。
学校の授業でも、是非、「古老の時間」を設けてほしいものです。
自分が今、何故ここにいるのか。存在することができるのか。
足下の大地とつながるような時間が必要です。

そんなこんなで、いよいよ東山中の奥深さを見聞できそうなこの年末年始。気が引き締まります。

訳の分からない移住者。何の肩書きもない、そそっかしい未熟者に心を許し、見聞を許してくださる地域の皆様への深い感謝と敬意。
その背後に存する、古き存在の方々との邂逅に、心が震えます。


近頃、意味深い夢を多くみます。


目に見えること、目に見えないこと、

すべてがメッセージ

 息子のような感覚を、思い出せるかな。
 
 懸命にものを掴む、小さな手。

 いろんな宝物を、いっぱい持っている。

 薪ストーヴの傍らで広がる


 神々との対話
# by rupa-ajia | 2007-12-29 14:33 | 大和高原(地元ネタ)

一陽来復 東方からの光

最近、東京からの強い光を感じています。
東京在住・東京勤務の友人・知人の方々の想いや動きとリンクしているのだと想いますが、まぶしいぐらいに強い光です。
皆さん、それぞれに浄化・掘り起こし作業を真摯にされていて、それがここ柳生にいても、ダイレクトに感じられるのです。 そして、とっても助けられています。

ここ数日、山崎まさよしの「ツバメ」という歌をよく聴いています。
http://jp.youtube.com/watch?v=VRDBFNaBMGo&feature=related
「東京での日常」を描写した歌詞ですね。

なのに、この歌を聴いていると、柳生の自然を背景にして、柳生木炭組合のおじさん達の顔が次々と思い浮かんでくるのですよ。
で、この歌を聴きながら、炭焼窯づくりの工程をまとめていました。

つながっているのですね。

山崎まさよしさんのことは、さほど気にしてはいなかったのですが、数日前、以前に購入したけれどあまり聴いていなかった彼のCDを思い出しました。
日常のなかにあふれる光。

今月、東京の都心を歩き回ったことの影響もあるのかもしれませんが、 何故か、とても心に響く歌です。 今回の東京滞在では、友人・知人から、本当に心づくしのサポートを頂いて、なんとか乗り切ることができました。 本当にありがとうございました!

昔4年間、新宿区に住んでいましたが、自分の内側を見直す日々でした。
故郷の奈良のこと、特に奈良の穏やかな山々のこと、子どものときの頃、そして長く世話していた庭のチャボのことまで、よく思い起こしていました。
外食はさほどしませんでしたが、コインランドリーや銭湯には、ちょっと余裕で通っていたかな。

東京中をかけずりまわった、ものすごく、ものすごく濃い日々だったのですが、実は、その頃の感覚をあまり思い出すことができないのです。
「東京に住んでたんだったら、少しは慣れてるよね」と言われたりするのですが、もうその時の感覚は霞の向こう。おぼろげな影のようです。

東京の大学を卒業後、とんでもない濃い4年間からなんとか脱出して奈良に戻りました。激変した環境のなかで、東京での日々のことをゆっくり回想していれば、もう少し根付くものもあったのでしょうが。
卒業してすぐ、大好きな兄の難病が発覚し、その年の12月に亡くなりました。
その後、数年間どうやって生きていたのか、あまり覚えていません。
本当は、生きていなかったのかもしれません。

今年の命日は東京におりました。
兄も東京で4年間、大学生活を送っていたのですが、とても楽しい期間だったようです。兄が亡くなって何年か後、改めて兄の大学やサークルの稽古場を訪れたこともありました。

滅多に行かないところですが、私にとって東京は特別なところでもあります。

ところで、大都会から東山中、柳生に来てくださる方々は、とても清らかな心の持ち主の方ばかりです。 そして、「都会は本当に大変なところ」と説明してくださいます。

久々に東京に行った感想。
視界に入る人のほとんどが、「知らない人」であるという驚愕。
テレビを見ているわけでもないのに(うちはテレビないですが)、ナマで知らない人達が、こんなにも、こんなにも無数にいて、電車の中などでは肩が触れるどころか、押し合いへし合いして隣り合わせになっている。ほんの時々、奈良の町へ行く機会もありますが、道中、ずっと車の中にいるので、すぐそばに知らない人がこんなにもいるという状況にはなり得ないのです。

柳生では、知らない人に会う機会はとても少ないです。
時折、観光客が歩いていることもありますが、一つの目的でくくることのできる人々であって、「知らない人」という範疇とは少し異なります。
普段会うのは、見知った顔の人達ばかり。
すれ違うときは、ニッコリ挨拶。小中学生は、子どもたちの方から声をかけてくれます。
一人一人、個性の際だった方々ばかりで、微笑みのニュアンスもそれぞれ微妙に違っているところが、また安心できます。
でもこの季節、道を歩いている人はほとんどいませんが。

東京ではあまりにも人が多いので、このような小さな交流ができる相手は、人口からいうと、柳生の何千倍、ひょっとしたら何万倍もの割合になるのかもしれません。圧倒的多数の人達に対して、表面上、無関心・無関係のままですれ違がうしかない状況。

知らない人の多い都心を歩いていると、自分の表面に何かフタをせざるを得ない状況が苦しくなってきて、存分に交流できる相手、つまり木々や大地、石、岩、太陽の光などに、より一層、助けられているのを感じます。

人には本来、何のこだわりもなく、自分以外の存在と親しく交流し、交歓したい欲求というものがあるのかもしれません。
生きている人だけに限らず、自然や目に見えない存在も含めて。
そのようなエネルギーの流出入といのは、想像以上に大切な役割を果たしているのでしょう。
柳生のような僻地にいると、このような交流が当たり前になってしまうので、ついつい感謝を忘れてしまいがちです。
東京のような大都会に暮らすということは、逆説的ですが、とても小さなことに目を向けることができる機会が多いのではないでしょうか。

都心では、コンクリートで覆われていない土地は貴重なので、それだけ集中して交流できて、木々にも感謝できます。東京滞在中、街路樹の木々、公園の岩たち、小さな祠、太陽からの光にも、どれだけ助けられたことでしょう。手に触れては、挨拶してまわりました。
要所要所で、大切に守られている聖地がとても多いように感じました。
本来、とても重要な地なのです。

そして最近、東京の友人・知人の皆さんが集中的に浄化・掘り起こし作業をされているブログなどを拝見して、とんでもない数の光が集約されてきているのを感じています。

小さなこと ささいなことだと 想わないで
それは計り知れないほどの光を放っている

 どこにいても、つながっている

あまねくものを照らす陽が、今日からより一層、長くさすだろう

   もっとも小さな処へと
   もっともありふれた処へと

霞の向こうに新宿が見える
ツバメはうまくビルを縫ってゆく

そっちには僕の声とどいてますか

    届いています。
    どこにいても。
  
山崎まさよしさんは、今日が誕生日だそうですね。
12月23日といえば、大倭紫陽花村のある方の誕生日もそうだったような。
「あじさい」
http://jp.youtube.com/watch?v=5TOQiPqswuk&feature=related

私の兄と、私の息子は、8月生まれです。
「8月のクリスマス」(映画「8月のクリスマス」主題歌)
http://www.youtube.com/watch?v=ZcWF4TNomng&feature=related

涙から始まるもの、

     生まれるもの。

浄化の雨が止んで、今、突然、陽がさしてきました。

東方より、再生の光

皆様、良きクリスマスを☆
# by rupa-ajia | 2007-12-23 13:34 |

来年の「柳生さくら祭」は4/5~6に決定!

ただ今、来年の「柳生さくら祭」の日程が決定しました!

 2008年4月5日・6日(土・日)  (← 4、5、6 と覚えてください)
 於 柳生陣屋跡(Rupaの東隣)
 主催 柳生地区自治連合会&柳生観光協会
(柳生町、柳生下町、興ヶ原町、邑地町、丹生町、大保町、北野山町)

各界で話題をふりまき、数々の伝説を生んだ今年の「柳生さくら祭」を上回る、より濃厚な祭りを、柳生から創り上げていく予定です。
柳生のプリミティヴなエネルギーを浴び、あらゆるジャンルの老若男女の坩堝に飛び込みたい、全国の皆様!
是非是非、「柳生さくら祭」へお越しくださいませ。

来年の「柳生さくら祭」も、何卒宜しくお願い申しあげます。

  春の準備が、始まりました。

  今年もみんなで、花、咲かせます!
# by rupa-ajia | 2007-12-13 21:49 | ◆柳生さくら祭