今朝は、近所の神野山に、カブトムシとクワガタの観察に行きました。 カブトもクワガタも、カナブン、蛾、蜂、蟻も、みんな元気いっぱいで、子どもたちは大喜び。 夏休みの自由研究、カブトとクワガタの観察記録が終わったら、逃がしてあげようね、と言っています。 多くの生命が共存していることで、森が森として生きてくる。 今のような時代にこそ、しっかりと自然の声に耳を傾ける体験を大切にしたい。 子どもと一緒に、大人も再確認。 長く長く継承され続けてきた先人の知恵は、そのすべてが自然のなかに秘められています。 それはすべて、自然と謙虚な魂との対話によって生まれてきたのでしょう。 今ここの自然が、今ここで必要なことを、きっと伝えてくれている。 近頃ますます、地域の自然に近しさとメッセージを感じるのです。 さて明日から、また九州へ出張です。 【ある古老(80歳)のお話】 昔は、カブトのことをヘイケ、クワガタのことをゲンジとよんどったんや。 子どものとき、よおヘイケとゲンジをつかまえて戦わせたけど、ゲンジの方が強い。はさみよるけ(はさむから)。 薪割りをしてたら、ゲンジの幼虫がコロコロでてくる。それを火であぶって食べるんやけどな、めちゃくちゃ美味しいんや。 カブトの幼虫はでかいのお。刈った草の山とか牛の糞の中におるもんやさきに(いるから)、食べる気せえへん…。 ・・・ そして本題の、イベントのお知らせです。 最近、イベント告知が、どんどん遅くなる傾向があります。 今回のイベント日時は…、なんと今晩! 誠に申し訳ございません!! 【8/6(土)「七夕の集い」@神野山】 ※「山添村イワクラ文化研究会」主催「七夕の集い」は、毎年、旧暦に近くなるように8月上旬に開催しています。 会場:神野山 森林科学館(奈良県山添村伏拝888) http://www.nara-e.net/goo/asobi/forestp-info.PDF (場所の問合せ:0743-87-0548 森林科学館) 参加費:無料 持ち物:懐中電灯(夜は真っ暗になります)、薄手の防寒着(深夜かなり冷え込みます) 午後3時 開場 七夕の短冊飾り付け、 ・抹茶のふるまい、流しそうめん、飲食の出店ほか 午後4時 ホームプラネタリウム組み立て教室 (先着20名様 700円 受付3時~) 夕方5時 ステージがスタート!(例年通り、私は司会) ・石田世里子(Body Sonic) ・山口智(ハンマーダルシマー) 山浦庸平(パーカッション) あかりちゃん(舞)、ほか ・小山聡と「やまんと」バンド、伊川健一、ほか 午後7時過ぎ 竹筒ロウソク点火 午後8時 ステージ終了、お片づけ ☆お向かいの「健民グランド」では… 【深夜まで星空観望会】 大スクリーンに星のビデオ上映と星のお話も。 神野山は、天文ファンの間では有名な、星空観察スポット。 新月の近い日程で、晴れた夜には、燦々と輝く天の川、流れゆく星が堪能できます。 寝転がっていると、宇宙のただ中に存在しているという感覚が広がり、やがて自分自身が宇宙そのものであることが感じられます。 神野山は、古代から星々と非常に関係の深い地なのです。 さて「七夕の集い」当日は、大砲のような巨大な大型天体望遠鏡がズラリと並び、星空愛好家の皆さんがインストラクターとして、いろいろ教えてくださいます。 木星の表面の模様、絶妙な色合いの星雲…、とっても感動的です!! そして600mにわたってイワクラが累々と横たわる「ナベクラ渓」は、現在、太陽電池で夜間ライトアップ中(8/20まで)。 これぞまさに、地上の天の川。 夜、早めの時間帯でしたら、イワクラがまだ温かく、穏やかな岩盤浴のよう。水は見えませんが、イワクラの下を流れる伏流水の音がこだまして、その響きも味わい深いものです。 星空の下、地上の天の川にて神秘のイワクラ岩盤浴。 天地を体感するにふさわしい時空なのです。 太陽のエネルギーを蓄え放つ大地につながり、天へと広がる私。 もっと、もっと、もっと大きくなあれ。 もともとの大きさに、なあれ。 写真1 今朝、神野山中腹から眺める、我らが山添村。 写真2 生命たちの社交場、せめぎ合い、出会い…、 見飽きることがありません。 クワガタムシの下に、雌のクワガタムシが守られて?います。 写真3 ナベクラ渓の太陽光電池によるライトアップは8月20日まで。 周囲が真っ暗なので、夜は、まさに地上の天の川です。 #
by rupa-ajia
| 2011-08-06 12:34
| イベント(ライヴ・ワーク等
またしても前夜のお知らせになってしまいましたが…、 夏至の日の夕方~翌朝にかけて、山添村の大川遺跡にて、音楽会が開催されます。 詳細は↓ http://www.nuexpe.com/prhythm/index.html 主催のヨシタケさんは、春先から何度も山添に足を運んでくれました。 22日は、フランスのツアーから帰国直後。 大和高原に、新たな風を吹かせてくれそうですね。 ・・・・ さて今日は、大川遺跡に前ウガン(前もってのお祈り)に行って来ました。 山添村のなかで、もっとも古い遺跡。 (旧石器~縄文草創期~縄文早期の集積住居跡) 私の大好きな聖地です。 そのエリア内に、もっとも大好きな聖域があって、 非常に古い空気に満ちています。 そこで22日のイベントの許可を願うお祈りをしたのですが、 結局は、このところの原発関連の動向に関する謝罪がほとんどになりました。 梅雨の晴れ間。 鳥の声、川のせせらぎ、爽やかな風。 光。 さんざめく自然の調べのなかで、 あまりにも心地よく、自分が消えてしまいそうでした。 宇宙のなかに融けゆく、 クリスタルボウルの響き、唄と笛の音。 ここ大和も、もちろん放射性物質は届いていることでしょう。 しかし、この地に限らず、どんなに汚染されていようが、 母なる大地は、やはり神聖であり続けると感じます。 それは執着ではなく、母なる大地への愛と敬意。 どんなことになろうが、私はこの島国の自然を愛し続けます。 そして私も、母親。 子どもを守ります。 自然の調べのなかで 21日、神野山山頂からの日没、とても美しかったです。 ~~~~ 追記 祈りに加えて、これからは積極的に声を上げるべき時。 関連地域の知事へのメールだけでなく、以下のようなものも。 NHKスペシャル「フクシマ後の世界」TV番組のアンケート(7/9) http://www.nhk.or.jp/genpatsu/ #
by rupa-ajia
| 2011-06-22 00:25
| 外部イベント参加・出店
3月11日以降、内にも外にも、いろんな思いがあふれてくる。
もう何が普通で当たり前なのか、よくわからない。 でも確かに、心の一番奥底で感じていること。 今、生かされていることが、とても有り難い。 身近な家族や友人がとても愛しく思える。 何も特別なことはないけれど、 愛し、愛されていることが感じられて、とても幸せ。 神さま、ありがとう。 本当は、すべての時が特別だった。 今、この瞬間ですら。 なのに、ごめんなさい。 本当は、知っていたのに。 見失ってしまった、祖先の築いた道 大地に名を刻まなかった無数の人々の合作 埋もれた礎を、また見つけることができるのだろうか 目に見えない猛威と戦ってくださる名もなき人々が、 どうか無事でありますように。 絶望のただ中にある名もなき人々の心に、 どうか光が届きますように。 宇宙の宝物、子どもたちを守りたい。 すべてのエネルギーが、その希望に注がれますように。 解き放たれ、融けゆく 無数の私の、光 #
by rupa-ajia
| 2011-06-09 17:43
| 子育ち・親育て
柳生さくらの集い 開催について
この度の地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された地域の皆様とご家族の方々に、心から お見舞い申し上げます。 一日も早い復興をお祈り申し上げます。そして、続く余震、停電、原発被害の影響等で不安な日々を過ごされておられる地域住民の皆様方におかれましては、早く安息の日々が訪れますことを共に祈願しております。 今年で第6回を迎えることとなりました【柳生さくら祭】は、本年は【柳生さくらの集い ~地域の絆のチカラ~】と名称を改め 参加する人たちの東北関東大震災復興支援の動機付けとして 地域住民をあげて取り組みます。みんなでやれば大きな力になります。 以下により プログラムを変更いたします。 (1) 大阪城鉄砲隊による 火縄銃発砲イベントの中止 (2) 地区の防災について考える展示コーナーの設置 (3) 東北関東大震災義援金 募金コーナーの設置 小中学校の複式学級や小規模校として存続も危ぶまれているこの地域の現実を踏まえ、若い方々に帰って来ていただき、子どもの笑い声の聞こえる里を取り戻すために 里の一番美しいときに「里を愛する気持ちの豊かさ」と「地域の結集力」を肌で感じ取っていただけると信じて、「柳生さくら祭」を開催しております。 また、観光開発としての意味も大きく 地区外の人々には「豊かな自然」と歴史が培ってきた「祈りの心」を五感で感じる柳生地区の魅力を訴えるものであります。 被災地も含め、今の日本にとって一番必要なのは、「地域の絆のチカラ」と「明日への希望」です。 地区の皆様方におかれましては、開催の意味をご理解いただき、ここへ集うことだけで意味のあることを知っていただけるものと信じております。地区から出て行かれたご家族のみなさまにもお声がけいただき、ご参加されることをおすすめいただければ幸いと存じ上げます。 いつもあたたかく見守っていただき さらにはご協力いただいております柳生地区住民のみなさま、地区外のみなさまには、心より感謝いたしております。 たくさんの笑顔が桜の花びらと共に満開で集うことが出来ますようお願い申し上げます。 柳生さくら祭実行委員会 【柳生 さくらの集い ~地域の絆のチカラ~】 とき 4月9日(土)・10日(日) 9:50~16:00 ところ 柳生陣屋跡:小雨決行【雨天時は柳生中学校体育館】 主催:柳生地区自治連合会・柳生観光協会 主管:柳生さくら祭実行委員会 後援:柳生地区万年青年クラブ・消防団柳生分団・柳生小学校・柳生中学校・柳生保育園・布目保育園・市柳生公民館・柳生剣友会・神護山 芳徳寺・柳生花菖蒲園・柳生地区スポーツ協会・柳生青年団・邑地青邑会・丹生青年団・ネットワーク「やまんと」 ・奈良市 ■プログラムについて 詳細は以下サイトをご覧ください。 http://www.yagyu.com/yagyu/sakuramatsuri/2011sakuramatsuri.htm ■大和高原の「おかげ踊り」について ・奈良市田原地区伝統芸能保存会 1983年6月、祭文語りと祭文音頭が奈良市無形民俗文化財に指定されたのをきっかけに、保存会を発足。奈良県下だけでなく、全国各地、時には海外でも披露するなど、田原地区の伝統芸能・文化を多くの人に発信しています。 1999年3月には、祭文語り、祭文音頭に加えて、おかげ踊りが、奈良県無形民俗文化財に指定されましたが、一地域に3つの県無形文化財があるのは、日本で田原のみ。 祭文語りは、室町時代に始まったと伝えられており、浪曲や三河万歳のルーツといわれる芸能。田原地区では、法螺貝と錫杖を使った珍しいものです。他にも江州音頭や河内音頭の基になったといわれる「祭文音頭」も、非常に貴重な音頭。また田原地区の「おかげ踊り」は、円舞の中心で、巨大な御幣を上下させるのが特徴。 毎年、夏の盆踊りには、祭文踊りなどのほか、吉田踊りや大正節など、今でも10種もの踊りを楽しむ田原地区。これらはすべて生唄ですが、楽譜はなく、耳で覚えて手習いされています。 ・菅生おかげ踊り(菅生「スゴウ」は、山添村の東部に位置するムラ) 1992年3月に、県無形民俗文化財に指定された「菅生おかげ踊り」。文政13年(1830年)に流行した、集団での伊勢参り、いわゆるおかげ参りに伴って生まれました。大和高原には、古くから伊勢信仰が浸透していますが、菅生の村でも、7つの講をタイ(組織し)て、すべての家がいずれかの伊勢講に加入し、4年に一度、代参人を決めて今も4月初旬に伊勢神宮にお参りしています(現在はバスにて)。 そしてその翌日は、「足休み(アシヤスミ)」と称して、講ごとの当家(宿元)宅で、賑やかな宴を催します。この祝宴の最中に、各当家へ、趣向を凝らして様々な扮装・仮装をした人々が、講単位で躍り込みをして、酒や食事のもてなしを受ける習わしがあります。この時の踊りが、「おかげ踊り」で、他にも「お伊勢参り」や「住吉参り」も踊ります。 「おかげ阿波から、踊りは河内、施行(センギョ)初めは大和から」という唄に合わせて、幣を束ね柄をつけたシナイを持ったり、扇を両手にしたり。 お伊勢さんのおかげを賜り、村は大きな災害にも見舞われませんでした。 今のこの厳しい時代にこそ、このような、心を一つにできる踊り、伝統文化を継承していくことが大事なのでしょう。神仏に拝礼をして、息災で穏やかに暮らせることの祈りを込めて、伝統の「菅生おかげ踊り」を披露させて頂きます。 ・・・………以下、個人的な思いを少し。。。 この震災被害を無駄にしないため、そして美しい故郷の自然を次代へ継承するために、今こそ全身全霊で取り組まねばいけないと思っていることがあります。 ・原子力発電からの卒業(+節電) ・地域ごとの代替エネルギー 今まで数々の脱原発・反原発運動が繰り広げられてきましたが、ことごとく官僚・中央政権・官製学者たちから無視されてきました。 原発利権をめぐる癒着構造は非常に周到に仕組まれています。 【10日の知事選挙の争点は、エネルギー政策に尽きます】 ※参考「佐藤栄佐久・前福島県知事の告発」 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110330-00000301-sasahi-pol 私は、希望は【古から】未来へ続いていて、その土壌は【地域】であると感じています。 私たち祖先が継承してくださった、1万年以上前から変わらぬ事実として。 例えば、上関原発の工事を約30年もの間、阻止していたのは、【地域の絆のチカラ】でした。 祝島の地域の方々の郷土愛を核にして、その生活文化に敬意を示しながら、各地からサポートが加わったのです。 そしてこれからの自然エネルギー導入にも、地域の絆のチカラが必須。 今まで一部権力者たちは、全国から集結した膨大な数の署名を闇に葬ってきました。 彼ら権力者がもっとも恐れるのは、地域の絆のチカラです。 地域が多様な個性(性格、世代、職業、植物種、動物種…)を生かし、本当に一丸になったとき、【古から】未来へのエネルギーが生まれます。 時空を超えて祖先の魂とつながったときに開く、未来の扉 ※参考「被害を抑えた防災意識の高さ 石巻市水浜集落」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110402/dst11040214030016-n1.htm そして地域の生活文化、地域の伝統芸能は、その地場を生み出す智恵の結晶です。 ・・・・ 地域の伝統芸能について、思うところを書いてみたいと思います。 私たち日本人は、季節折々に、地域ごとの聖域(神社仏閣など)で伝統芸能を楽しんできました。 時期としては、お盆、正月、収穫期、彼岸など、たいがい季節の変わり目、節目に催されることがほとんど。 そして、より大きなタームで見たとき、一年の中での節目だけでなく、時代の変わり目、節目にも、独特な伝統芸能が生み出されました。 なかでも顕著なのは、輪踊り、輪舞です。 何かの発端で生まれ、またたく間に民衆の間に広がり、広域にわたってエネルギーを活性化させ、時代の変換を促す。 鎌倉時代、一遍上人の念仏踊り。 江戸末期の、おかげ踊り。 流行のルーツは、縄文時代以前と感じています。ミクロネシア、ポリネシア文化圏の輪舞は、日本の盆踊りにそっくり。 そして、その特徴は以下の通り。 ・振り付けが簡単で、指導が不要。踊りの輪に入れば、老若男女みんな、自然に体が動く。 ・音楽や歌詞は、楽譜に記されず、口伝えで継承される。即興性が高く、個性が尊重される。微妙な音のズレが、得も言われぬ独特な時空を創造する。 ・結果として地域色が生まれ、風土と時節に合った、「今に生きる輪」が誕生する。 ・・・・ ところで明日から2日間、開催される「柳生さくら祭」改め「柳生さくらの集い」。 9日は各種古武術(伝統芸能の身体操法とつながっています)の演武が充実していますし、10日は、大和高原で継承される2種類の「おかげ踊り」が披露されます。 このおかげ踊りは輪踊りで、2種ともに県無形文化財指定ですが、両方が同じ場で披露されるのは、史上初のことです。 大和高原の伝統芸能は神事にまつわるものが多く、ステージ企画には不向きです。 しかし、大衆的な輪舞のなかでも、躍り込み・ゲリラ的な要素のある「おかげ踊り」は、ステージにもふさわしいものとして、かねてよりこの企画を考えていたのでした。 有り難いことに、今年に入ってすぐに2団体からの快諾を受け、早速に告知せねばと思いながらも、なかなか筆(?)が進みません。 そうこうするうちに、今回の震災が起こってしまったのでした。 震災後に開催された、柳生さくら祭実行委員会・全体会議。 その日は、震災からまだ2週間も経っていない時期。全国的に自粛モードが広がり、奈良県下の行政イベントはことごとく中止になっていました。 柳生の里人の気質は、非常にストレート。 予想通り、開催をめぐって、本音・本気の討論が始まり、公民館会議室は騒然とした雰囲気になってきました。 「この時期だからこそ、このプログラムを決行する意味がある」。 「東北で苦しまれている方々がおられるのに、こんなプログラムは許されない」。 そんな柳生弁を聞きながら、私は胸がいっぱいになっていました。 どちらの側につく、という感じではなく、みんなのすべての思いに共感できて、まさに文字通り、胸がいっぱいになったのです。 一人一人のあるがままの思いが身に染みて、ただ心がふるえていました。 本音の意見が、とても有り難く貴重で、嬉しいこと。 「こんなことをしていいのか」という思いにも、実は共感できること。 本音の討論を経て、やがてその場に一体感が生まれ始めました。 地域のこと、東日本のことを思い、ここまで本音をあるがままに言い合える山里。 祖先が継承してくださったものは、すべて「今ここ」に。 今ここで、私たちにできること。 東方の方々を迎えるためにも。 今住んでいる地域で、チカラをつなげること。 地域の絆のチカラ。 #
by rupa-ajia
| 2011-03-25 11:50
| ◆柳生さくら祭
長らく日記を書いていない間にも多くのことが起こっていましたが、今回はそれらのことはすべてとばして、上関原発について思うことを書いてみたいと思います。
私は今まで上関原発関連の動きに、具体的に加わったことはありません。 しかし一昨年だったか、祝島のドキュメンタリー映画のチラシに載っていた島の古老たちの写真を見かけて以来、ずっと心にとめて、原発工事が撤回されるのを祈っていました。 チラシに掲載されていた古老たちの微笑みは、とても温かく、やさしく、私が暮らす大和高原の古老たちと同じ表情をしていました。 ・・・ ここ大和高原の暮らしにおいて、古老と子供たちは、特別かつ不可欠な存在です。 古老、特に現在70歳代以上の方々は、石油エネルギーに依存しない自給自足の暮らしを営んでこられた世代で、おしなべて皆、微笑ましいほどに個性的です。 長閑な里山の風景にとけ込み、大地と同化するかのように身をかがめ黙々と田畑を耕す古老たち。 普段はきわめて地味で目立たないながらも、年が長ずるにつれてムラ(集落)の祭事の折には、神官となって粛々と段取りを整えます。 同じく欠かせないのが、子どもたちの笑い声。 古老と子どもがいるからこそ、かくも美しい山里。 祖霊とつながりながら里を守り続けてこられた古老たちに接するとき、いつも敬意と感謝があふれてきます。そして週末、ムラの中に響きわたる、やんちゃな子どもらの声。 これ以上は何もいらない、そう思える日常の温かなひとときです。 ・・・ 先日から、かねてより気になっていた上関原発の工事が強行に進められているとの情報が入り、しかも警備隊との衝突で、祝島の高齢の女性が負傷したという一報を知ったとき、文字通り、胸が張り裂けそうになりました。 島や山間部に長く暮らしてこられた70歳代前後以上の方々は、長年にわたって、この島国の日常の霊性を底辺から支えてくださった、無形文化財級の存在です。 そして今なお、日本の主食の自給率を支え、荒廃が進む田畑を維持する最後の砦となってくださっています。 敬愛すべき古老たちに、そんな対応をとるとは、、まったくもって信じられません。 山口県の瀬戸内海に浮かぶ島と言えば、まず思い浮かぶのが、尊敬する民俗学者の故・宮本常一の故郷、大島です。 全国の古老たちから生活誌の聞き取りを行い、高度経済成長期にあって、世間から忘れ去られようとしている辺境の地の生活文化を記録し続けた宮本常一。 常に「大島出身の農民」であること公言しながら、山村や漁村を歩きまわった宮本常一の姿に、故郷の愛を感じるのです。 農民・漁民不在の観光開発に異論を唱え続けていた宮本常一が、今この状況を知ったら、何と思うでしょう。 教育機関やマスコミは、有名人の偉業のみを伝え教えようとします。 しかし実際にこの島国の衣食住を支えてきたのは、まったく無名の庶民たちであり、その心意気は本来、日常生活のなかで自然に教わるものでした。 祝島の古老たちは、決して原発反対運動だけをしているのではないと感じています。 それは、ただ故郷を愛して愛して、愛し抜いている姿。 私たちは、彼らから何を学び、何を思い出すことができるでしょう。 私は、大和高原に暮らすイチ母親として、もうこれ以上、多様な自然と地域文化を根絶やしにするような施策を続けてはならないと、強く感じます。 祝島の古老たちの声に応えるために、できること。 まずは電力消費を抑えるために、不要な電化製品は使わない、不要な電源は抜く(特に保温機能)、なるべく家族が同じ部屋で過ごすなど、日常の小さなことの積み重ねこそが肝要なのでしょう。 しかしさらに長期的にみるならば、一人一人が今、暮らしている地域を愛するというのも、非常に大切なことだと思うのです。今回、上関の動きの中心軸となったものは、祝島の人々の郷土や子どもたちへの思いでした。 都会の現役世代よりも、ある意味、より個性的で多様な古老たちが、どうやって等しき和を保って里を守ってきたのか。 実際に里で暮らしてみて、ますますその心を言葉で表現することに困難を感じている私ですが…、とにかく言えるのは、地域への愛があってこそ、多様性が生きてくる、ということです。 原発建設に注入されるエネルギーと資金を、電力会社と協力しながら、より小規模で地域生活になじむ発電施設の開発に転換させる。そんなオルタナティヴな方向。 これはまさに、郷土愛なくしては始まらない作業です。 ~~~~~~~~~~~ 上関原発工事の今 http://iwaijima.jugem.jp/ 周辺の自然環境 http://sunameri09.blogspot.com/2011/01/6.html 狙われる農村・漁村 http://www.youtube.com/watch?v=G2oDvAn_zdQ&feature=related 「地下深く永遠に~核廃棄物10万年の危険~」 http://bit.ly/ha1GHT ~~~~~~~~~~~ さて前述した、大和高原をはじめとする農村や漁村での古老たちの役割の大きさについてですが…、参考までに以下、宮本常一による故郷の大島についての記述を引用させて頂きます(長文で申し訳ございません)。 今から約80年前、瀬戸内海の島々の日常。 想像していただけると幸いです。 宮本常一『家郷の訓』から 「母親の心」の章 抜粋 (前略) 素直に子供たちを他郷へ出してからの女親たちの子への思いやりも実に深いものであった。子が他郷にあるほどの女であればほとんど一様に朝早く氏神様へ参るのである。これは雨が降ろうが風が吹こうが、おかまいなしに毎日続けられる。たいていは皆朝飯を炊くまえに参るのである。先ずお宮の前の浜に出て潮ばらいをする。自らの額に潮水を三度指先でつけ、四方を潮で祓うのである。そして手に砂・礫などを持って神前に至り、この砂礫を投げてていちょうに拝む。この参拝は決して一回だけではなくて、三回も五回も、時には十回もくりかえされて、家へ戻って来る。家へかえる時、お潮井または砂などを持って来て家の中をきよめる。それから朝飯をたきにかかるのが普通である。 私の家は氏神様のすぐ下にある。十年あまり前病気で二年ほど故里の家に帰郷していた時、毎朝目をさまさせられるのは、この宮参りの人の石段を上り下りする下駄の緒とであった。その音は必ず朝三時半頃から起った。 (略) 家の前の道を女の話声がすぎて行くと、家でもかならず戸のあく音がする。母が宮へ参るのである。(略)親戚の女であれば「おかか」または「これのおかか」と声をかける。他人だと「おばいさァ」「よういおばいさァ」などと言う。私もねていてそれが誰だということが分る。(略)その足音が浜へ下りると消える。次に柏手の音がする。海の沖の方を向かって拝んでいるのであろう。しばらくすると石段をのぼる音がする。柏手の音、石段をのぼる音が無数に折り重なって来る。それに話声が交る。静かな朝などは、それが一種のリズムをおびてさえきこえるのである。本当に信心な人は、それから寺および自分の家の墓まで参って来る。雨の日などはピチャピチャと水の中を裸足で歩いて行く音をよく聞く。私はそこにひたぶるな女親たちの子への慈しみの心をきくように思うのである。 (略) 傍らで祈っている女親の低いしかし迸(ほとばし)り出る熱い声をきいた。旅にいる子供の名をつぎつぎによびあげて、「どうぞマメ(健康)であるように息災なように。もし病気にでもなるようなことがあったら、どうぞこの私をかわらせて頂きたい。たとえどのような苦しみをうけましょうともよろしゅうございます」というものである。しかもこれはこの一人の女親だけの言葉ではなかった。すべての女親たちの言葉でもあった。真心をこめてかく祈っているのである。(略)親たちはかくまでにその子を愛してその子の命をいたわっているのである。 (略) 家々ではまた陰膳を供えた。(略)弟を養子にやって他所へ出したので、弟の膳箱があいたが、やはり膳だけは出させ、われわれの食べるものと同じものをついで膳の上へおいた。その膳の一隅にはいつも写真をかざった。(略)この頃はこの陰膳ばかりが実に殖えていて、私の帰郷している時など箸を持って食べる者は母と私だけ、後は皆はるかなる彼方の人びとに供えているのである。それがまた姉、弟、私の妻、私の子を初め、両親を失って他郷にある近所の若者、私の家に下宿していた数人の兵隊さんと実に十近くも食物を盛った皿と茶碗と、その写真がならぶのである。かくて一人の女親の愛情はその肉親の子にのみ限られてはいないのである。 (略) かつて飛騨山中のさる農家の井戸ばたに、茶碗に一杯の水の盛ってあるのも見てたずねたら、その家の老女が戦地へ言っている兵隊さんたちが喉の乾かぬようにとの心から毎日供えていると話してくれた。自らの子を愛する心の深い人はまた他人の子をも同様に愛し得たのである。 (略) 「私は神仏を拝むのも、人に功徳をほどこすのも一つだと思いまして。」(略)自分の息子が旅でどんなお世話になっているやら分らぬと思うと、困っている他人もおろそかには出来ないとのことである。親として最もうれしいのは子供が他人に親切にされたことだという。このようにして子への愛情はまたひとり子にとどまっているものではなく子を通じて発展するものであった。 かくしていったん手ばなした子供たちに対して、その理解とあきらめのよさの中に神明の加護が祈られていたのである。(略)自らはその不安もさびしさもかくして働いた。 (略) 父なき後、母は、祖父が、また父がこの上もなく愛し血の通うほどに耕した田畑をその死の日まで耕そうとしている。どのように町へ出ることをすすめても母は出ないのである。母には私たちの心がよく分るばかりでなく、それ以上に祖父や父の気持が分っている。そうしてこの土地にこもる先祖の魂に殉じようとしている。 #
by rupa-ajia
| 2011-02-25 13:33
| 子育ち・親育て
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■ライター 近藤夏織子
(こんどう・なおこ) 医学書出版社の編集部に在籍後、フリー。10数年前より民俗学の分野を中心に、古老への聞き取りを進め、独自の視点で記録執筆を行う。ほか、伝統、食農、田舎暮らし、神話、アート、紀行、建築、科学、医学、…、etc. 中世・ルネサンス音楽のレッスンも承ります(リコーダーアンサンブル)。 http://amanakuni.net/rupa/index.html 各種お問い合わせは、直接ご連絡を ■連載記事・掲載誌の一部 ミニコミ誌『なまえのない新聞』 名前のある家 2000年~ 不定期掲載 『チルチンびと広場』web版 連載コラム担当 「7代先につなげたい、 先人の心」 http://www.chilchinbito-hiroba.jp/column/senjin/ 『チルチンびと』 民俗学分野の原稿を企画執筆 『田舎暮らしの本』 など 以前の記事
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